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Channel: 夜噺骨董談義
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掛け軸を額装に改装 三保松原 池田遥邨筆

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今年の夏季休暇における帰省の目的は「男の隠れ家 その4」のリフォーム工事の進捗状況の確認です。


「男の隠れ家 その4」は「男の隠れ家 その1」(下記写真右)の隣地です。空き家になった隣家を倉庫目的として購入しましたが、積雪などにより老朽化してきたので改修工事に踏み切りました。


作品の展示と収納庫が使用用途ですが、いつでも売却できるように改修しています。郷里には「男の隠れ家 その2」もあり、愉しみがたくさんあります。


改修工事の進捗状況の報告は後日として、本日紹介する作品は掛け軸を額装に改装した作品です。こちらも改修・・・。


三保松原 池田遥邨筆絹本着色軸装→額装全体サイズ:横390*縦1190 画サイズ:横260*縦260
 
描いているは池田遥邨ですが、ご存じない方も多いかもしれませんが、池田遥邨は1987年(昭和62年)に文化勲章を受章している画家です。


若い頃より浮世絵の歌川広重に傾倒し、法被姿で広重の足跡を辿り、東海道五十三次を3度も旅しています。生涯、自然と旅を愛し全国を旅して回り、さらに晩年には種田山頭火に傾倒し、山頭火の俳句をモチーフに画作を行い、山頭火の姿で旅をしたそうです。
幼少より画才があったようで、1910年(明治43年)大阪の松原三五郎が主宰する天彩画塾に入門し洋画を学んでいます。1914年(大正3年)第8回文展に水彩画「みなとの曇り日」が入選していますが、わずか18歳での入選が話題となり天才少年画家として名声を得ています。 

同郷の小野竹喬との出会いなどにより、次第に日本画の世界に魅力を感じるようになり、 1919年(大正8年)京都市に移り竹内栖鳳の画塾・竹杖会に入門し、本格的に日本画に転向しています。同年に第1回帝展に「南郷の八月」が入選していますが、この頃はエドヴァルド・ムンクに傾倒し1923年(大正12年)関東大震災の惨状を描いた洋画風の「災禍の跡」を帝展に出展していますが落選しています。この後に一旦は倉敷に帰郷し、しばらく寺に隠って画作の研究を行っています。
1926年(大正15年)京都市立絵画専門学校研究科(現・京都市立芸術大学)を卒業し、1928年(昭和3年)第9回帝展にて「雪の大阪」が、1930年(昭和5年第11回帝展で「烏城」が、それぞれ特選となりました。
額は予備にとっておいたものを使用しています。


掛け軸の名残を残しながらの改装です。


池田遥邨は浮世絵の歌川広重に傾倒したせいでしょうか、富士を描いた風景画が数多くあります。
下記写真は「男の隠れ家 その4」に新設した階段です。もともとは屋根裏部屋に箪笥階段のようなものしかなったので、苦肉のレイアウトにて新設しています。


家も蒐集作品も時を経ながら、その時代に合わせて作品を姿を変えていく・・・。なにごともメンテが大切のようです。





















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