我が家の朝は早い。早朝の5時に小生が起きると義父と義母はすでに畑へ出ていていません。家内は朝食の準備、小生は出勤の準備。息子は6時に起きて小生の見送り。
その後皆で朝食をすませた8時半頃、息子はそとでセミの鳴く声を聞いて、外の様子をみて
息子:「ねえ、今日、お外・・、暑いですよ~。」
皆 :「そ~ぅお」(自転車かな?)
息子:「かき氷つくりましょう!」
皆 :「そっち、きたかー!」
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我が家に「かき氷機」があるのを知っていた?
それから氷作り・・、結局食べるのはパパさんが帰宅してからということになってようです。
帰宅するとかき氷機があるのを知らなかった小生と息子の会話。
小生:「我が家にはなんでもあるんだね~」
息子:「すごいね~、なんでもあるね~」
小生:「ないのはお金くらいだね。」
息子:「お金ならたくさんあるよ~」
と言って義母からもらった小銭の入ったがまぐちを持参。100円玉を取り出して
息子:「パパ、あげようか?」![]()
かき氷機には義母が作ったという立派なカバーがありました。我が家はものもちがいいらしい。
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夕食後、皆でかき氷を食べることになりました。
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シロップはカルピス・・・、未だになぜ息子が我が家にかき氷機があったことを知っていたのかはなぞ! 先週末に近所の喫茶店でかき氷を食べたのと関連しているかな?
さて、本日はまたまた寺崎廣業の作品の紹介です。夏季休暇には帰郷する予定ですので、郷里の画家の作品を紹介します。帰郷の準備やら、各種の補修の手配でブログの原稿は手につかず、ありあわせの投稿です。
舞子朝陽出帆図 寺崎廣業筆 その58
絹本水墨着色軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦2120*横560 画サイズ:縦1170*横415
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共箱の作品ではないので題名「舞子朝陽出帆図」は小生の仮題です。
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同時期の作品で、本ブログに紹介されている作品はいくつかありますが、本日比較紹介するのは下記の作品です。
舞子之帰帆図 寺崎廣業筆 その22
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 鳥谷幡山鑑定二重箱
全体サイズ:横495*縦2070 画サイズ:横357*縦1095
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本日紹介する作品と同一印章が押印されています。同じように「舞子」の風景が描かれた作品ではないかと推定しています。
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舞子(まいこ):神戸市垂水区の南西部にあり、明石市に接する地区である。旧山田村の地域、現在の西舞子・東舞子町・舞子台・北舞子・舞子坂・狩口台・舞子陵が舞子地区である。昭和16年7月に神戸市に合併されるまでは、明石郡山田村に属していた。
舞子の地名の由来は諸説あり有名なものでは明石海峡の潮が舞い込む「廻い込浜」から転訛して舞子の字があてられた等、他にもいろいろな言い伝えがある。多く茂っていた松の木の枝ぶりが、女性の舞う姿に似ていることが由来という説もあります。
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「舞子朝陽出帆図」と仮題しましたが、「舞子之帰帆図」と同じく「帰帆図」で夕陽の可能性もあります。今回はめでたく「朝陽」と題させていただきましたが、どちらが正しいかは後学とさせてください。
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舞子の浜:名勝「舞子の浜」として古くから知られる。小高い柏山から海と淡路島を望む景色が絶景であるとして有栖川宮熾仁親王は別邸を構えたという歴史もある。1934年には当時の日本の文部大臣から史跡名勝記念物の指定を受ける。1996年の日本の渚百選に選ばれた小舞子海岸 (石川県白山市湊町) の「小舞子」という名称は、「舞子の浜」から取られたとされている。日本の白砂青松100選に選定された福島県いわき市の新舞子ビーチも「舞子浜」に由来する。
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落款や印章から明治末から大正初期の作の作品と推定しています。「舞子之帰帆図」には鳥谷幡山鑑定箱書に「寺崎廣業先生晩年作」とあります。
小生:「我が家にはなんでもあるんだね~」
息子:「すごいね~、なんでもあるね~」
小生:「ないのはお金くらいだね。」
掛け軸にも納得・・・、ものもちがいいらしい。
その後皆で朝食をすませた8時半頃、息子はそとでセミの鳴く声を聞いて、外の様子をみて
息子:「ねえ、今日、お外・・、暑いですよ~。」
皆 :「そ~ぅお」(自転車かな?)
息子:「かき氷つくりましょう!」
皆 :「そっち、きたかー!」

我が家に「かき氷機」があるのを知っていた?
それから氷作り・・、結局食べるのはパパさんが帰宅してからということになってようです。
帰宅するとかき氷機があるのを知らなかった小生と息子の会話。
小生:「我が家にはなんでもあるんだね~」
息子:「すごいね~、なんでもあるね~」
小生:「ないのはお金くらいだね。」
息子:「お金ならたくさんあるよ~」
と言って義母からもらった小銭の入ったがまぐちを持参。100円玉を取り出して
息子:「パパ、あげようか?」

かき氷機には義母が作ったという立派なカバーがありました。我が家はものもちがいいらしい。

夕食後、皆でかき氷を食べることになりました。

シロップはカルピス・・・、未だになぜ息子が我が家にかき氷機があったことを知っていたのかはなぞ! 先週末に近所の喫茶店でかき氷を食べたのと関連しているかな?
さて、本日はまたまた寺崎廣業の作品の紹介です。夏季休暇には帰郷する予定ですので、郷里の画家の作品を紹介します。帰郷の準備やら、各種の補修の手配でブログの原稿は手につかず、ありあわせの投稿です。
舞子朝陽出帆図 寺崎廣業筆 その58
絹本水墨着色軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦2120*横560 画サイズ:縦1170*横415

共箱の作品ではないので題名「舞子朝陽出帆図」は小生の仮題です。

同時期の作品で、本ブログに紹介されている作品はいくつかありますが、本日比較紹介するのは下記の作品です。
舞子之帰帆図 寺崎廣業筆 その22
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 鳥谷幡山鑑定二重箱
全体サイズ:横495*縦2070 画サイズ:横357*縦1095


本日紹介する作品と同一印章が押印されています。同じように「舞子」の風景が描かれた作品ではないかと推定しています。

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舞子(まいこ):神戸市垂水区の南西部にあり、明石市に接する地区である。旧山田村の地域、現在の西舞子・東舞子町・舞子台・北舞子・舞子坂・狩口台・舞子陵が舞子地区である。昭和16年7月に神戸市に合併されるまでは、明石郡山田村に属していた。
舞子の地名の由来は諸説あり有名なものでは明石海峡の潮が舞い込む「廻い込浜」から転訛して舞子の字があてられた等、他にもいろいろな言い伝えがある。多く茂っていた松の木の枝ぶりが、女性の舞う姿に似ていることが由来という説もあります。
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「舞子朝陽出帆図」と仮題しましたが、「舞子之帰帆図」と同じく「帰帆図」で夕陽の可能性もあります。今回はめでたく「朝陽」と題させていただきましたが、どちらが正しいかは後学とさせてください。

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舞子の浜:名勝「舞子の浜」として古くから知られる。小高い柏山から海と淡路島を望む景色が絶景であるとして有栖川宮熾仁親王は別邸を構えたという歴史もある。1934年には当時の日本の文部大臣から史跡名勝記念物の指定を受ける。1996年の日本の渚百選に選ばれた小舞子海岸 (石川県白山市湊町) の「小舞子」という名称は、「舞子の浜」から取られたとされている。日本の白砂青松100選に選定された福島県いわき市の新舞子ビーチも「舞子浜」に由来する。

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落款や印章から明治末から大正初期の作の作品と推定しています。「舞子之帰帆図」には鳥谷幡山鑑定箱書に「寺崎廣業先生晩年作」とあります。
小生:「我が家にはなんでもあるんだね~」
息子:「すごいね~、なんでもあるね~」
小生:「ないのはお金くらいだね。」
掛け軸にも納得・・・、ものもちがいいらしい。