お土産を買おうと寄った道の駅。そこで息子が小生にねだったのがなまはげのお面。どうもこれを被るとなまはげに勝てると思っているらしい。
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本日紹介する作品は、なんどか挑戦した「桑山玉洲」の作品ですが、ことごとく山水画は討ち死・・・。非常に贋作が多いようですが、それでも懲りないのが小生の真骨頂???
贋作に懲りずに挑戦して本ブログに投稿している画家の主な作品には「釧雲泉」と「桑山玉洲」の南画の山水画があります。明らかな贋作は本ブログからも削除し、作品も処分していますが、なんとも打率の悪い二人の画家です。一時は蒐集対象から撤退しましたが、またまた挑戦・・・。
浅絳山水図 伝桑山玉洲筆 その2
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱二重箱
全体サイズ:縦1933*横582 画サイズ:縦1322*横450
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落款には「桒嗣燐」と記されています。この落款のように「桒嗣燐」のみの記載は珍しいのですが、代表作「那智暴布図」(和歌山県立博物館出版「桑山玉洲」掲載 作品NO53)などにも見られます。
なお当方の調べでは「桑」の字がこのような字体で記されるのは晩年の作らしい?
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なお「那智暴布図」は寛政7年作と推定されています。寛政5年に野呂介石、今井元方(藩医)らと熊野地方に旅行しており、その時の旅行が真景の学ぶという玉洲の制作態度に貴重な体験と与えたと思われ、この時期以降の作品は「寛政後期の作」と称され、出来が良く珍重されています。
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描いた時期は年号の記載もないので不明ですが、さて本作品は一見、味気ない山水画? 細かく見ると稚拙?、ただ全体の感じはいい感じ。正直なところ出来は良くわからない![]()
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画像より実物のほうが出来が良く見える? それらしく見える作品のようです![]()
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ちなみに作品中の印章「桑嗣燦印」と「明夫」(白文朱方印)と資料の印章との比較は下記のとおりです。印章はここまで似せられればかなり巧妙?
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いいのが表具と保存箱
表具は古く茶色の粉が吹いています![]()
「秋斎重嶽?」と外箱には記されています。いい箱だね~。軸先は象牙であり、軸先と箱で購入の元手はとったようなもの・・・![]()
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恥をかくならとついでにもう一作品を紹介します。
青緑山水図 桑山玉洲筆 その3
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦2090*横640 画サイズ:縦1310*横480
落款には「丙辰晩春写 玉洲桑嗣燦 押印」と記されています。この作品と同じく「丙辰晩春写 玉洲桑嗣燦 押印」と記され、同年の寛政8年(1795年)51歳の作があるという記録があります(和歌山県立博物館出版「桑山玉洲」掲載)。
小生は上記の真作を見たことがないので、本作品との因果関係などの詳細は不明です。驚くことにまったく同じ構図の明らかな模写のような作品がインターネット上にもあります。
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本作品と詳細な部分に違いこそあれ、瓜二つの作品です。釧雲泉でもそうであったように、明治期には高値で取引された南画家の作品は数多く模写されたような贋作が多いのではないかと推察されます。
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そもそも南画のような即興的な作品にまったく同じ構図の作品が存在するのでしょうか?
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ちなみに印章「桑粲」・「明夫」の白文朱方印累印の資料との比較は下記のとおりです。大きさは同じですが、「桑」の「木」の部分に違いがあるようですね。
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右下には遊印「明光居士」の朱文白方印も押印されています。大きさは同じです。
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これらの印章は資料と見比べて初めて違いが解ることが多く、実際の購入時には資料が手元にない状況での真贋判断ですので難しい判断となります。
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明治期にはかなり巧妙な印章が出来ていたのでしょう。横山大観の贋作の印章など、近代画壇の大家の印章は巧くないものが多いのに南画家の印章は巧妙なものが多いのは不思議です。
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これら南画は真作を並べて制作したものかもしれません。明治期に入札の行なわれた作品を、その入札に際して贋作づくりをしたのではないかと推察しています。入札や展覧会の印刷物と模写の贋作を揃えて地方で幾つかの贋作を売り抜いたのではないかと推察しています。
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南画の作品は素人は手を出さないほうがいい分野と改めて痛感しながらも、ときおり難解な南画に挑戦してます。一般に贋作が勉強になることが多いのもまた事実で、何事も失敗事例に学ぶのは真実や成功に繋がる早道です。
ただなまはげの面を被って挑戦している息子とたいして変わらないかも![]()

本日紹介する作品は、なんどか挑戦した「桑山玉洲」の作品ですが、ことごとく山水画は討ち死・・・。非常に贋作が多いようですが、それでも懲りないのが小生の真骨頂???
贋作に懲りずに挑戦して本ブログに投稿している画家の主な作品には「釧雲泉」と「桑山玉洲」の南画の山水画があります。明らかな贋作は本ブログからも削除し、作品も処分していますが、なんとも打率の悪い二人の画家です。一時は蒐集対象から撤退しましたが、またまた挑戦・・・。
浅絳山水図 伝桑山玉洲筆 その2
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱二重箱
全体サイズ:縦1933*横582 画サイズ:縦1322*横450

落款には「桒嗣燐」と記されています。この落款のように「桒嗣燐」のみの記載は珍しいのですが、代表作「那智暴布図」(和歌山県立博物館出版「桑山玉洲」掲載 作品NO53)などにも見られます。
なお当方の調べでは「桑」の字がこのような字体で記されるのは晩年の作らしい?

なお「那智暴布図」は寛政7年作と推定されています。寛政5年に野呂介石、今井元方(藩医)らと熊野地方に旅行しており、その時の旅行が真景の学ぶという玉洲の制作態度に貴重な体験と与えたと思われ、この時期以降の作品は「寛政後期の作」と称され、出来が良く珍重されています。

描いた時期は年号の記載もないので不明ですが、さて本作品は一見、味気ない山水画? 細かく見ると稚拙?、ただ全体の感じはいい感じ。正直なところ出来は良くわからない


画像より実物のほうが出来が良く見える? それらしく見える作品のようです


ちなみに作品中の印章「桑嗣燦印」と「明夫」(白文朱方印)と資料の印章との比較は下記のとおりです。印章はここまで似せられればかなり巧妙?


いいのが表具と保存箱


「秋斎重嶽?」と外箱には記されています。いい箱だね~。軸先は象牙であり、軸先と箱で購入の元手はとったようなもの・・・



恥をかくならとついでにもう一作品を紹介します。
青緑山水図 桑山玉洲筆 その3
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦2090*横640 画サイズ:縦1310*横480


落款には「丙辰晩春写 玉洲桑嗣燦 押印」と記されています。この作品と同じく「丙辰晩春写 玉洲桑嗣燦 押印」と記され、同年の寛政8年(1795年)51歳の作があるという記録があります(和歌山県立博物館出版「桑山玉洲」掲載)。
小生は上記の真作を見たことがないので、本作品との因果関係などの詳細は不明です。驚くことにまったく同じ構図の明らかな模写のような作品がインターネット上にもあります。


本作品と詳細な部分に違いこそあれ、瓜二つの作品です。釧雲泉でもそうであったように、明治期には高値で取引された南画家の作品は数多く模写されたような贋作が多いのではないかと推察されます。

そもそも南画のような即興的な作品にまったく同じ構図の作品が存在するのでしょうか?

ちなみに印章「桑粲」・「明夫」の白文朱方印累印の資料との比較は下記のとおりです。大きさは同じですが、「桑」の「木」の部分に違いがあるようですね。


右下には遊印「明光居士」の朱文白方印も押印されています。大きさは同じです。


これらの印章は資料と見比べて初めて違いが解ることが多く、実際の購入時には資料が手元にない状況での真贋判断ですので難しい判断となります。

明治期にはかなり巧妙な印章が出来ていたのでしょう。横山大観の贋作の印章など、近代画壇の大家の印章は巧くないものが多いのに南画家の印章は巧妙なものが多いのは不思議です。

これら南画は真作を並べて制作したものかもしれません。明治期に入札の行なわれた作品を、その入札に際して贋作づくりをしたのではないかと推察しています。入札や展覧会の印刷物と模写の贋作を揃えて地方で幾つかの贋作を売り抜いたのではないかと推察しています。

南画の作品は素人は手を出さないほうがいい分野と改めて痛感しながらも、ときおり難解な南画に挑戦してます。一般に贋作が勉強になることが多いのもまた事実で、何事も失敗事例に学ぶのは真実や成功に繋がる早道です。
ただなまはげの面を被って挑戦している息子とたいして変わらないかも
