三連休の休みは留守番で二日を費やしたので、休みの最後は光が丘へ銀杏の紅葉見物。
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レストランで紅葉を見ながら食事・・。
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銀杏の葉・・・??
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本日は本ブログで投稿された長井一禾の作品の特集です。全部で8作品を蒐集しましたが、ここいらで一服・・。
写真は部分の撮影写真となっておりますでの、全体を見たい方は本ブログで検索してみてください。
鴉図 長井一禾筆 その1
紙本水墨着色 軸先鹿角
全体サイズ:縦2140*横530 画サイズ:縦1330*横335
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長井一禾は河鍋暁斎の門人で、本姓は佐藤、姓は長井、または永井、一禾は本名です。字は子行。瑞雲菴、反哺と号しています。
明治2年(1869年)、越後国蒲原郡水原(現・新潟県阿賀野市)に生まれ、その後、東京に出て、初めは鈴木松年、中野其明、平福穂庵に師事し、円山派の画法を学んでいます。
本ブログでお馴染みの鈴木松年、平福穂庵との関連があります。カラス以外の草花の描き方に四条派の影響が見られます。
東京では下谷上野桜木町に住み、その後に、暁斎にも師事しています。
雪中双鴉之図 長井一禾筆 その2(本ブログでは「その3」となっていますが、「その2」に訂正しています、)
絹本水墨淡彩 軸先 合箱
全体サイズ:縦2050*横500 画サイズ:縦1230*横360
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鴉の絵の技法が妙を得、非凡であることを賞賛され、大隈重信から「鴉博士」の称号を贈られています。
明治33年(1900年)の絵画共進会には「武蔵野」を出品、二等賞を得、翌明治34年(1901年)の絵画共進会に「秋草」を出品して一等賞を得ています。さらに明治36年(1903年)9月から5年間、渡米して絵を研究していています。
柿二鴉図 長井一禾筆 その3
絹本水墨淡彩 軸先木製
全体サイズ:縦1587*横441 画サイズ:縦1022*横332
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ポートランド博覧会に鴉の絵を出品、銀牌を受け、イタリア博覧会の応接所には、尾形光琳風の鴉の絵を描いているそうです。明治42年(1909年)6月に開催された第9回巽画会展覧会では、「晩秋」という作品で褒状を受賞し、その他、受賞すること数回に及んでいます。
枯木鴉之図 長井一禾筆 その4
絹紙本水墨淡彩軸装 軸先鹿角 合箱入
全体サイズ:縦1970*横490 画サイズ:縦1070*横350
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宮内省の御買上げの栄を受けることもあり、日本美術の復興に尽力したアーネスト・フェノロサが帰国する際には、「百鴉の図」制作を暁斎に依頼が来たのでしたが、暁斎がたまたま病であったので、一介の書生であった一禾に依頼が来て、一禾は62羽まで描き上げた。そして、残りの38羽分を暁斎に輔筆して貰って、漸く100羽の鴉の絵を仕上げることができたといわれています。
松ニ鴉図 長井一禾筆 その5
絹本着色軸装 軸先鹿角 合箱入
全体サイズ:縦1993*横493 画サイズ:縦1242*横352
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その後、兵士として麻布三聯隊に入り、期が満ちて、新潟に帰ってからは、石油会社の社長となったとか・・・。
大隈重信に認められ、千鴉叢会を組織し、そのために郊外の天下茶屋に居を移しています。
画家から入隊、そして石油会社の社長Image may be NSFW.
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桐ニ鴉図 長井一禾筆 その6
絹本着色軸装 まくり
画サイズ:縦125*横410
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鴉の研究は、日本のものはもとより、アメリカ合衆国、朝鮮、中国、台湾など諸国の鴉にまで及び、その形態、動作など、鴉に関する知識は頗る深かったそうです。一禾の描く鴉は当時、望月金鳳の狸、大橋翠石の虎とともに並び称せられていました。
夕陽ニ柿下鴉図 長井一禾筆 その7
絹本着色軸装 軸先プラスチック 合箱入
全体サイズ:縦2017*横491 画サイズ:縦1171*横362
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昭和12年(1937年)から翌13年(1938年)にかけて、京都府綾部市の楞厳寺に滞在し、庫裏の4つの座敷に春夏秋冬の鴉の絵を描き、この襖絵は有名になっています。
夕陽ニ三羽鴉飛遊図 長井一禾筆
絹本着色軸装 軸先鹿角 合箱入
全体サイズ:縦1960*横530 画サイズ:縦1110*横400
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昭和15年(1940年)に没し、楞厳寺の境内にある弁財山の池の近くには、一禾画伯が全国各地で用いた筆を納めた筆塚が建てられているそうです。
現在では知る人も少ない長井一禾ですが、鴉の画家としてユニークな存在です。
光が丘の公園はカラスはいなくて、鳩ばかり・・、平和だね。
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レストランで紅葉を見ながら食事・・。
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銀杏の葉・・・??
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本日は本ブログで投稿された長井一禾の作品の特集です。全部で8作品を蒐集しましたが、ここいらで一服・・。
写真は部分の撮影写真となっておりますでの、全体を見たい方は本ブログで検索してみてください。
鴉図 長井一禾筆 その1
紙本水墨着色 軸先鹿角
全体サイズ:縦2140*横530 画サイズ:縦1330*横335
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長井一禾は河鍋暁斎の門人で、本姓は佐藤、姓は長井、または永井、一禾は本名です。字は子行。瑞雲菴、反哺と号しています。
明治2年(1869年)、越後国蒲原郡水原(現・新潟県阿賀野市)に生まれ、その後、東京に出て、初めは鈴木松年、中野其明、平福穂庵に師事し、円山派の画法を学んでいます。
本ブログでお馴染みの鈴木松年、平福穂庵との関連があります。カラス以外の草花の描き方に四条派の影響が見られます。
東京では下谷上野桜木町に住み、その後に、暁斎にも師事しています。
雪中双鴉之図 長井一禾筆 その2(本ブログでは「その3」となっていますが、「その2」に訂正しています、)
絹本水墨淡彩 軸先 合箱
全体サイズ:縦2050*横500 画サイズ:縦1230*横360
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鴉の絵の技法が妙を得、非凡であることを賞賛され、大隈重信から「鴉博士」の称号を贈られています。
明治33年(1900年)の絵画共進会には「武蔵野」を出品、二等賞を得、翌明治34年(1901年)の絵画共進会に「秋草」を出品して一等賞を得ています。さらに明治36年(1903年)9月から5年間、渡米して絵を研究していています。
柿二鴉図 長井一禾筆 その3
絹本水墨淡彩 軸先木製
全体サイズ:縦1587*横441 画サイズ:縦1022*横332
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ポートランド博覧会に鴉の絵を出品、銀牌を受け、イタリア博覧会の応接所には、尾形光琳風の鴉の絵を描いているそうです。明治42年(1909年)6月に開催された第9回巽画会展覧会では、「晩秋」という作品で褒状を受賞し、その他、受賞すること数回に及んでいます。
枯木鴉之図 長井一禾筆 その4
絹紙本水墨淡彩軸装 軸先鹿角 合箱入
全体サイズ:縦1970*横490 画サイズ:縦1070*横350
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宮内省の御買上げの栄を受けることもあり、日本美術の復興に尽力したアーネスト・フェノロサが帰国する際には、「百鴉の図」制作を暁斎に依頼が来たのでしたが、暁斎がたまたま病であったので、一介の書生であった一禾に依頼が来て、一禾は62羽まで描き上げた。そして、残りの38羽分を暁斎に輔筆して貰って、漸く100羽の鴉の絵を仕上げることができたといわれています。
松ニ鴉図 長井一禾筆 その5
絹本着色軸装 軸先鹿角 合箱入
全体サイズ:縦1993*横493 画サイズ:縦1242*横352
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その後、兵士として麻布三聯隊に入り、期が満ちて、新潟に帰ってからは、石油会社の社長となったとか・・・。
大隈重信に認められ、千鴉叢会を組織し、そのために郊外の天下茶屋に居を移しています。
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桐ニ鴉図 長井一禾筆 その6
絹本着色軸装 まくり
画サイズ:縦125*横410
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鴉の研究は、日本のものはもとより、アメリカ合衆国、朝鮮、中国、台湾など諸国の鴉にまで及び、その形態、動作など、鴉に関する知識は頗る深かったそうです。一禾の描く鴉は当時、望月金鳳の狸、大橋翠石の虎とともに並び称せられていました。
夕陽ニ柿下鴉図 長井一禾筆 その7
絹本着色軸装 軸先プラスチック 合箱入
全体サイズ:縦2017*横491 画サイズ:縦1171*横362
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昭和12年(1937年)から翌13年(1938年)にかけて、京都府綾部市の楞厳寺に滞在し、庫裏の4つの座敷に春夏秋冬の鴉の絵を描き、この襖絵は有名になっています。
夕陽ニ三羽鴉飛遊図 長井一禾筆
絹本着色軸装 軸先鹿角 合箱入
全体サイズ:縦1960*横530 画サイズ:縦1110*横400
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昭和15年(1940年)に没し、楞厳寺の境内にある弁財山の池の近くには、一禾画伯が全国各地で用いた筆を納めた筆塚が建てられているそうです。
現在では知る人も少ない長井一禾ですが、鴉の画家としてユニークな存在です。
光が丘の公園はカラスはいなくて、鳩ばかり・・、平和だね。