先週の日曜日のドラマで「しんがん」という推理ドラマがありました、ドラマそのものは面白かったのですが、扱われた作品は下手物中の下手物で、掛け軸の扱いがまったくなっていなかったという印象を受けました。骨董商にしろ、表具師にしろ掛け軸の基本的な扱いはドラマのように粗雑ではありません。
本日は釧雲泉の作品の紹介ですが、紹介する寛政年間のいわゆる「若書き」の頃の釧雲泉の作品は評価が高く、その分贋作が多くあるようです。当方もブログで紹介した作品の整理に一時期混乱しており、未だに正確な分類ができかねています。
この作品も正確に分類できていない作品のひとつですが、おいおい整理してみようと思っています。
寛政壬子 浅絳山水図 その3 天地一如之図 伝釧雲泉筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 「清風老人」鑑定箱
全体サイズ:縦2215*横605 画サイズ:縦1950*横405
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賛には「壬子季夏写於黄備之寓居 雲泉 押印」とあり、1794年(寛政4年)、33歳の作と推測されます。いわゆる「若書き」の時期に分類されると思われますが、この時期の作品にも要注意です。とくにこの印章と落款は多くの贋作に適用されており要注意のようです。
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寛政3年3月(1791年)、32歳のとき十時梅厓の紹介で伊勢長島に流謫中の木村蒹葭堂を訪ねています。その後、また江戸に戻ると、予てより親交のあった備中庭瀬藩江戸家老海野蠖斎の計らいで、蠖斎の実兄で同藩家老森岡延璋(松蔭)に紹介され、備中に赴き森岡邸に身を寄せています。
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同年、脱藩前の浦上玉堂や淵上旭江、梶原藍渠、後藤漆谷、長町竹石らと松林寺で賀宴を催して交流した記録があります。その後、約3年間は倉敷を中心に旺盛な創作活動を行ったと思われます。
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備中長尾の小野泉蔵とも交流をもち、寛政4年(1792年)頃から、備州と京都、大坂をたびたび往来し、儒学者の頼山陽、菅茶山、皆川淇園、画家の浦上春琴、浜田杏堂らと交流しています。同年6月には再び蒹葭堂を訪ねています。寛政8年以降は主に備前東部を拠点としたとみられています。寛政10年(1798年)、再び蒹葭堂を訪ねています。
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この頃の画風は私見では頼山陽の影響が大きいと思います。
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前述のように寛政年間のいわゆる釧雲泉の作品を「若書き」の作として高く評価されていますが、如何せん、この頃の作にも贋作が多いというのが解ってきました。
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とくに本作品に押印されている印章の作品は疑ってかかったほうがいいようです。この頃の落款には「岱就」と記されており、この落款は寛政4年頃(1792年)の作品にとくに多いので「雲泉」という落款もまた疑うべきでしょう。
この時期、雲泉にとって画風確立の模索期とも言え、独創的で大胆な表現か否かが鑑賞のポイントです。
さて箱書きがありますが、下の写真の左2枚が表側、裏側には昭和23年推測される箱書きと「清風老人題 押印」とあります。詳細は不明です。
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裏の箱書きは詳しくは読み込んでいないのですが、
「天地一如之図一幅墨釧雲泉之墨蹟□□慕倪雲林董□苑王□臺□筆意殊為□於山乃画気韻清写
風神超超近□南宋文人畫□□巨擘也
今観此図幅高□清□自有出塵姿□謂画有子此裡獨□起観了猶□□游雲烟為す□清真乃神□や
予余□□□題簽併證共□□□昭和龍年次二十三年□□於悟軒□□□ 清風老人題 押印」と書かれているようです。
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画題は「天地一如之図」とされておりますが、箱は破損しており修理する必要があります。
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このような箱の破損は落としたりすることによりますが、掛け軸の扱いには十二分に注意する必要があります。ドラマのような粗雑な扱いではすぐに箱は毀れ、掛け軸には折れやシミが生じるでしょうね。
本日は釧雲泉の作品の紹介ですが、紹介する寛政年間のいわゆる「若書き」の頃の釧雲泉の作品は評価が高く、その分贋作が多くあるようです。当方もブログで紹介した作品の整理に一時期混乱しており、未だに正確な分類ができかねています。
この作品も正確に分類できていない作品のひとつですが、おいおい整理してみようと思っています。
寛政壬子 浅絳山水図 その3 天地一如之図 伝釧雲泉筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 「清風老人」鑑定箱
全体サイズ:縦2215*横605 画サイズ:縦1950*横405
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賛には「壬子季夏写於黄備之寓居 雲泉 押印」とあり、1794年(寛政4年)、33歳の作と推測されます。いわゆる「若書き」の時期に分類されると思われますが、この時期の作品にも要注意です。とくにこの印章と落款は多くの贋作に適用されており要注意のようです。
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寛政3年3月(1791年)、32歳のとき十時梅厓の紹介で伊勢長島に流謫中の木村蒹葭堂を訪ねています。その後、また江戸に戻ると、予てより親交のあった備中庭瀬藩江戸家老海野蠖斎の計らいで、蠖斎の実兄で同藩家老森岡延璋(松蔭)に紹介され、備中に赴き森岡邸に身を寄せています。
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同年、脱藩前の浦上玉堂や淵上旭江、梶原藍渠、後藤漆谷、長町竹石らと松林寺で賀宴を催して交流した記録があります。その後、約3年間は倉敷を中心に旺盛な創作活動を行ったと思われます。
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備中長尾の小野泉蔵とも交流をもち、寛政4年(1792年)頃から、備州と京都、大坂をたびたび往来し、儒学者の頼山陽、菅茶山、皆川淇園、画家の浦上春琴、浜田杏堂らと交流しています。同年6月には再び蒹葭堂を訪ねています。寛政8年以降は主に備前東部を拠点としたとみられています。寛政10年(1798年)、再び蒹葭堂を訪ねています。
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この頃の画風は私見では頼山陽の影響が大きいと思います。
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前述のように寛政年間のいわゆる釧雲泉の作品を「若書き」の作として高く評価されていますが、如何せん、この頃の作にも贋作が多いというのが解ってきました。
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とくに本作品に押印されている印章の作品は疑ってかかったほうがいいようです。この頃の落款には「岱就」と記されており、この落款は寛政4年頃(1792年)の作品にとくに多いので「雲泉」という落款もまた疑うべきでしょう。
この時期、雲泉にとって画風確立の模索期とも言え、独創的で大胆な表現か否かが鑑賞のポイントです。
さて箱書きがありますが、下の写真の左2枚が表側、裏側には昭和23年推測される箱書きと「清風老人題 押印」とあります。詳細は不明です。
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裏の箱書きは詳しくは読み込んでいないのですが、
「天地一如之図一幅墨釧雲泉之墨蹟□□慕倪雲林董□苑王□臺□筆意殊為□於山乃画気韻清写
風神超超近□南宋文人畫□□巨擘也
今観此図幅高□清□自有出塵姿□謂画有子此裡獨□起観了猶□□游雲烟為す□清真乃神□や
予余□□□題簽併證共□□□昭和龍年次二十三年□□於悟軒□□□ 清風老人題 押印」と書かれているようです。
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画題は「天地一如之図」とされておりますが、箱は破損しており修理する必要があります。
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このような箱の破損は落としたりすることによりますが、掛け軸の扱いには十二分に注意する必要があります。ドラマのような粗雑な扱いではすぐに箱は毀れ、掛け軸には折れやシミが生じるでしょうね。