さて本作品を「呉須赤絵」という作品とすることには誰も異議を唱えませんでしょうが、「明末の赤絵」や「天啓赤絵」か「南京赤絵」となると難しい分類になりますね。
古(天啓?南京?)赤絵 唐子文三足香炉
合箱
口径*胴径90*高台径55*高さ95
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絵付けが稚拙である点から後世の作品と思われますが、それなりに趣があります。
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男の隠れ家の線香を燃やす香炉にいいかと思い入手しました。
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母が亡くなったのですが、仏壇は当方で東京にあるため郷里の仏間には仮の仏壇となっています。母と父の位牌は郷里がよかろうと思い男の隠れ家に遺しています。
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一通りの仏具はあるのですが、ありきたりの仏具ではつまらない・・。鋳物や金属製の仏具ばかりでは味気ないと思いませんか?
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本尊も含めてひとつひとつ揃えている最中です。
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そういうこだわりが骨董蒐集には大切なこと・・???
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よく見かけるセットなどの揃いのものでは味気ない・・・。
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さてそもそも天啓赤絵や南京赤絵の区別をしっかり解っている人は少ないと思いますので、下記の記事を引用します。
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天啓赤絵:古染付と時同じくして天啓年間(1621~27)にはじまり、中国明末期の天啓・崇禎年間(1621〜1644)に景徳鎮で焼成された色絵磁器に倣った景徳鎮の民窯にて焼かれた赤絵の作品のこと。厳密には明末の天啓年間(1621‐27)から清初にかけてのわずか7年間に製作された作品を俗に「天啓赤絵」と称しています。萬暦まで続いた官窯様式から脱却した古染付に朱・緑・黄にて上絵付を施している作品です。その特徴は古染付とほぼ同様ですが、古染付と比してその生産量はかなり少ないものです。また天啓赤絵は中国にはほとんど遺品がなく、日本にしかみられないことから、日本からの注文品とみなされています。
粗雑な器皿:福建省あたりでは奔放な絵付の呉須赤絵が焼造されましたが,これらも日本の茶人たちに愛好され,日本の赤絵の発展に大きな影響を与えました。古九谷もまさに影響を大きく受けた作品群です。
天啓赤絵はわりと斬新で大らかな絵柄が多く、絵付けは粗いものの、朱色・緑色・黄色・青色などが使われています。土青による濃青な発色をうまく使い、様々な器形に合わせて絵画的な表現を用いて絵付を行っています。それまでの型にはまった様式から一歩踏み出し、自由奔放な筆致で明末文人画を例にとった山水や花鳥、羅漢・達磨など描いており、それ以前の景徳鎮ではこのように自由な作例はみられず、民窯であったからこそ陶工の意匠を素直に表した染付や赤絵を生み出すことができたと思われます。
古染付には「大明天啓年製」「天啓年製」あるいは「天啓年造」といった款記が底裏に書かれていることがあり、この他にも「天啓佳器」といったものや「大明天啓元年」など年号銘の入ったものも見られます。また年号銘でも「成化年製」「宣徳年製」など偽銘を用いた作例もあり、優品を生み出した過去の陶工に敬意を払いつつもそれまでの様式にとらわれることはなかったようです。これら款記は正楷書にて二行もしくは三行であらわされるのが慣例とされていましたが、款記と同じく比較的自由に書かれており、まるで文様の一つとして捉えていたようにも思えます。天啓赤絵もまた同様と考えられますが、一般的には「天啓年製」などの銘を伴うものが多く、無銘であれば清朝初期の品であると言われています。
天啓で使われていた陶土は決して上質のものではなく、そのため焼成時に胎土と釉薬の収縮率の違い、特に口縁部は釉が薄く掛かるために気孔が生じて空洞となり、冷却時にその気孔がはじけて素地をみせるめくれがのこってしまう。本来、技術的には問題となるところを当時の茶人は、虫に食われた跡と見立て鑑賞の対象としました。このことが「虫喰い」と称して、古染付・天啓赤絵に特有の特徴であることも知られています。高台は、当時の通例の如く、細砂の付着した砂高台で、高台内には鉋の跡が見られるのが特徴ですが、必ずしもそうでない作品もあるようです。
南京赤絵は清朝まで続きますが、天啓赤絵は清初までであり、清朝に本格的には入らず、他の赤絵の南京赤絵等、明末窯の注文作品よりも製作期間が短く、圧倒的に数が少なく貴重な作品群となっています。無論、古染付と比してもその生産量はかなり少ないようです。
同時期の天啓赤絵と南京赤絵の区別は、天啓赤絵は古染付の上に色釉を施し、南京赤絵は色釉だけで彩画した赤絵で有ると分類されていますが、例外は勿論有る様です。南京赤絵の染付は銘など一部に限られており、南京赤絵は華麗な意匠のものが多く、口縁には鉄砂で口紅が施されるもの、金彩を加えた豪華なものもあります。同時期の作品群は色絵祥瑞等も含め、少しややこしいですが、それぞれの作風を持っています。
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参考作品
天啓赤絵 唐子文茶入
なんでも鑑定団出品作品 2013年08月15日
茶箱「住吉の松」の一品 中国明時代後期に日本向けに作られたもの
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南京赤絵の説明は下記の記事となります。
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南京赤絵:350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅したが、民窯はしたたかに生き残りむしろ自由闊達な赤絵を作りはじめた。これを南京赤絵という。
南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びていて、これは色彩を一層際立たせる効果があります。絵付けには基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色され、その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放です。その後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な作風へ変化しました。
当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多い。ところが日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。これは南京赤絵の手法です。高台内は車輪高台で、砂付高台。評価は寸法によって大いに違い、辺20センチ程度のものはかなり高価で、辺12センチの同じような皿だと30万円程度になると評価されています。
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評価も高かった天啓赤絵や南京赤絵には紛い物も多く、今少し当方も勉強に必要がありそうです。
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本作品を箱に収めて郷里に運んで仏間の香炉にしてしばし楽しもうかと思います。
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天啓赤絵、南京赤絵と称すると的外れとなる可能性のある作品は古赤絵と称すると罪深くはならない・・???
古(天啓?南京?)赤絵 唐子文三足香炉
合箱
口径*胴径90*高台径55*高さ95
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絵付けが稚拙である点から後世の作品と思われますが、それなりに趣があります。
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男の隠れ家の線香を燃やす香炉にいいかと思い入手しました。
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母が亡くなったのですが、仏壇は当方で東京にあるため郷里の仏間には仮の仏壇となっています。母と父の位牌は郷里がよかろうと思い男の隠れ家に遺しています。
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一通りの仏具はあるのですが、ありきたりの仏具ではつまらない・・。鋳物や金属製の仏具ばかりでは味気ないと思いませんか?
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本尊も含めてひとつひとつ揃えている最中です。
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さてそもそも天啓赤絵や南京赤絵の区別をしっかり解っている人は少ないと思いますので、下記の記事を引用します。
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天啓赤絵:古染付と時同じくして天啓年間(1621~27)にはじまり、中国明末期の天啓・崇禎年間(1621〜1644)に景徳鎮で焼成された色絵磁器に倣った景徳鎮の民窯にて焼かれた赤絵の作品のこと。厳密には明末の天啓年間(1621‐27)から清初にかけてのわずか7年間に製作された作品を俗に「天啓赤絵」と称しています。萬暦まで続いた官窯様式から脱却した古染付に朱・緑・黄にて上絵付を施している作品です。その特徴は古染付とほぼ同様ですが、古染付と比してその生産量はかなり少ないものです。また天啓赤絵は中国にはほとんど遺品がなく、日本にしかみられないことから、日本からの注文品とみなされています。
粗雑な器皿:福建省あたりでは奔放な絵付の呉須赤絵が焼造されましたが,これらも日本の茶人たちに愛好され,日本の赤絵の発展に大きな影響を与えました。古九谷もまさに影響を大きく受けた作品群です。
天啓赤絵はわりと斬新で大らかな絵柄が多く、絵付けは粗いものの、朱色・緑色・黄色・青色などが使われています。土青による濃青な発色をうまく使い、様々な器形に合わせて絵画的な表現を用いて絵付を行っています。それまでの型にはまった様式から一歩踏み出し、自由奔放な筆致で明末文人画を例にとった山水や花鳥、羅漢・達磨など描いており、それ以前の景徳鎮ではこのように自由な作例はみられず、民窯であったからこそ陶工の意匠を素直に表した染付や赤絵を生み出すことができたと思われます。
古染付には「大明天啓年製」「天啓年製」あるいは「天啓年造」といった款記が底裏に書かれていることがあり、この他にも「天啓佳器」といったものや「大明天啓元年」など年号銘の入ったものも見られます。また年号銘でも「成化年製」「宣徳年製」など偽銘を用いた作例もあり、優品を生み出した過去の陶工に敬意を払いつつもそれまでの様式にとらわれることはなかったようです。これら款記は正楷書にて二行もしくは三行であらわされるのが慣例とされていましたが、款記と同じく比較的自由に書かれており、まるで文様の一つとして捉えていたようにも思えます。天啓赤絵もまた同様と考えられますが、一般的には「天啓年製」などの銘を伴うものが多く、無銘であれば清朝初期の品であると言われています。
天啓で使われていた陶土は決して上質のものではなく、そのため焼成時に胎土と釉薬の収縮率の違い、特に口縁部は釉が薄く掛かるために気孔が生じて空洞となり、冷却時にその気孔がはじけて素地をみせるめくれがのこってしまう。本来、技術的には問題となるところを当時の茶人は、虫に食われた跡と見立て鑑賞の対象としました。このことが「虫喰い」と称して、古染付・天啓赤絵に特有の特徴であることも知られています。高台は、当時の通例の如く、細砂の付着した砂高台で、高台内には鉋の跡が見られるのが特徴ですが、必ずしもそうでない作品もあるようです。
南京赤絵は清朝まで続きますが、天啓赤絵は清初までであり、清朝に本格的には入らず、他の赤絵の南京赤絵等、明末窯の注文作品よりも製作期間が短く、圧倒的に数が少なく貴重な作品群となっています。無論、古染付と比してもその生産量はかなり少ないようです。
同時期の天啓赤絵と南京赤絵の区別は、天啓赤絵は古染付の上に色釉を施し、南京赤絵は色釉だけで彩画した赤絵で有ると分類されていますが、例外は勿論有る様です。南京赤絵の染付は銘など一部に限られており、南京赤絵は華麗な意匠のものが多く、口縁には鉄砂で口紅が施されるもの、金彩を加えた豪華なものもあります。同時期の作品群は色絵祥瑞等も含め、少しややこしいですが、それぞれの作風を持っています。
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参考作品
天啓赤絵 唐子文茶入
なんでも鑑定団出品作品 2013年08月15日
茶箱「住吉の松」の一品 中国明時代後期に日本向けに作られたもの
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南京赤絵の説明は下記の記事となります。
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南京赤絵:350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅したが、民窯はしたたかに生き残りむしろ自由闊達な赤絵を作りはじめた。これを南京赤絵という。
南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びていて、これは色彩を一層際立たせる効果があります。絵付けには基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色され、その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放です。その後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な作風へ変化しました。
当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多い。ところが日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。これは南京赤絵の手法です。高台内は車輪高台で、砂付高台。評価は寸法によって大いに違い、辺20センチ程度のものはかなり高価で、辺12センチの同じような皿だと30万円程度になると評価されています。
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評価も高かった天啓赤絵や南京赤絵には紛い物も多く、今少し当方も勉強に必要がありそうです。
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本作品を箱に収めて郷里に運んで仏間の香炉にしてしばし楽しもうかと思います。
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天啓赤絵、南京赤絵と称すると的外れとなる可能性のある作品は古赤絵と称すると罪深くはならない・・???