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清暁の富嶽 山元櫻月筆

郷里では母の一周忌を終えて少し時間があったので、倉庫から漆器の器でめぼしいものを探しだして手入れをしました。

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ひとつ目が黒塗りの膳の一対です。「鉢臺貮 島村氏」と箱に記されていいますが、「鉢臺」は大きな膳のことを指すのかもしれませんし、収納している箱と中身は違うかもしれません。

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作品に使用感はありますが傷みは少ないです。塗りなおしたり、磨きなおす必要はなさそうです。現在はこのような日本産の漆で作った漆器は貴重品になりつつあります。現在の漆器はほとんどが中国産の漆で、品質の良い日本産の漆で作っている漆器は非常に数が少ないです。新たに作ったらいくらかかるやら・・、そもそも日本産の漆でこのような作品は作れないかもしれません。

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漆器は時間と共にカビが発生しますので、ときおり拭いてあげなくてはなりません。おそらく数十年も磨いていないはずですが、作品はきれい状態を保っています。また傷つかないように保存することが不可欠です。

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膳の使用例:「黒塗(真塗)膳」、一緒に使う「八十椀(はちじゅうわん)」
「八十椀」は8つの器を重ねたりはずしたりして蓋にも取り皿にも使える機能的な器のことです。黒の漆塗りで、渕には磨き蒔絵による金渕が施してあります。

*飯、汁、坪、平 蓋と身全部合わせて8つあるので、八十椀。これに、猪口、茶津、木皿、大皿 をあわせて12で、百二十椀といわれています。

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収納されている箱は杉箱で、ネズミに喰われたか、節があったかで穴があったところは補修されています。先人らはきちんとメンテしていたようです。本家ではまかないのおばさんらが数人で膳などの食器を総出で磨いていたのを思い出します。

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ところで先週は南麻布にある会席料亭「分とく山」にてお店のご主人と漆器についてちょっとした談義、かなり参考になりました。

さて本日は、最近になって二作品目の山元櫻月の作品の紹介です。山元春挙から櫻月を紹介するにあたって、山元櫻月の「富士」を描いた作品を外すわけにはいきませんね。

清暁の富嶽 山元櫻月筆
紙本水墨着色軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:横760*縦1450 画サイズ:横450*横590

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山元桜月は叔父である山元春挙に才能を見出され、春挙の元で指導を受け、最終的には富嶽を描く画家として大成した画家です。

経歴の紹介は下記によります。

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山元桜月:山元桜月は、明治22年(1889年)に滋賀県滋賀郡膳所町(現滋賀県大津市)で山元治三郎と庄子夫妻の三男として誕生した。父治三郎は山元家の入婿で、母庄子の末弟は近代京都画壇を代表する画家の一人山元春挙である。治三郎夫妻は子宝に恵まれ、六男二女の子をもうけ、桜月は四番目三男として生まれ三郎を名付けられ、叔父である春挙は幼い桜月の画才を見抜き、明治33年(1900年)桜月の入門を許し春汀の名を与え、以降厳しく実写の道を教えたと伝えられる。

桜月は才能を遺憾なく発揮し、大正3年(1914年)第8回文展において『奔流』が初入選し、以降文展・その後の帝展に連続入選を果たし、昭和3年(1928年)には帝展で推薦(無鑑査)と順調に地位を固めていった。その後、昭和8年(1933年)師であり叔父でもある春挙が亡くなると、昭和10年(1935年)には名を春汀から桜月に改め、帝展を退会し画壇から一歩身を引くと共に画商とのつき合いも断った。

桜月が描く対象も一般風景から山岳画へと変わり、昭和14年(1939年)改組文展に『早春の芙蓉峰』を出品し、以降富士山を描き続け、翌15年(1940年)には山梨県の山中湖村に移住し、富士山の観察とスケッチに没頭した。

桜月が描く富士山の絵について、
桜月は自著『神韻』の中で富士山を描くことに対して「芙蓉峰と雲の調和は他の高山に比類なき美の極地」、「先変万化の景観は、宇宙の無限大と等しく意義を示す世界無比の神秘」と称し、また後年「富士山を見ていたらその崇高な姿に魅入られ、誰も戦争など思い寄らないだろう。そして心から平和のためには力を合わすようになる。」との信念から、富士を描いた作品を世界の指導者に対して数多く寄贈した。

昭和60年(1985年)に死去、享年97才。

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残念なことにシミが多く発生しているので、染み抜き・改装の手入れが必要な掛け軸となります。車や家と同じで定期的に手入れが必要なのは掛け軸の宿命です。

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これほどの大幅で富嶽を描いた山元櫻月の肉筆画作品は意外となかなか入手できないと思われます。リトグラフの作品はよくみかけますが、絵画の作品はリトグラフではつまらなく、何と言っても肉筆画の一品ものでしょう。

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掛け軸の作品は共箱で二重箱になっていると嬉しいものです。こういう作品は軸先や表具、箱の造りがしっかりしています。

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ここまでシミが入るのはよほど保存状態が悪いと思われるでしょうが、大切に保管していても湿気の多い押し入れとかだとこうなってしまいます。

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大切にしまっておいたのにと久方ぶりに掛け軸を広げて残念がる方も多く。「掛け軸はかび臭い」と嫌悪される方までいます。しかし、あくまでも保存の問題で、またこうなった掛け軸も痛みがひどくない状態ならかなりの確率で数万円の費用できれいに修復できます。

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手前は最近紹介した一三代酒井田柿右衛門作の観音像です。

白磁岩上観音像 十三代酒井田柿右衛門作
共箱 
高さ390*幅220*奥行き130

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山元桜月が描く富士山の絵について、横山大観は「富士の真の姿を描いて行くのは桜月君が最もふさわしい画家」と評し、昭和30年(1955年)東京で開かれた桜月個展において川合玉堂は、多くの期待を持って個展を楽しんだと伝えられています。繰り返しになりますが、日本画の富士を描いた画家として山元櫻月を外しては考えられないのです。

この山元櫻月の作品は、近々染み抜きする予定ですが、染み抜きした出来上りが愉しみな作品です。

繰り返しになりますが、骨董蒐集では保守が労力の大きな比率を占めます。これをおろそかにしては骨董蒐集の資格がありません。




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