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贋作考 流芥老納 釧雲泉筆 文化2年(1805年)頃

初釜の時に展示室に飾った作品のひとつに松本耳庵の書があります。

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この作品は家内の父が亡くなった時と同じ年齢時に書かれた書のようです。

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手前は戦時中に満州から私の父が持ち帰った? 五彩の花入れ。父は私が中学校にあがったばかりの頃に亡くなっています。

これらは二人の父を偲ぶ展示です。

初釜の展示作品はこちらの意図がプライベート過ぎるので、申し訳ありませんが来客の方には深くは説明しておりません。

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さて、本日はひさかたぶりに釧雲泉の作品の紹介です。南画が盛りし頃の作品群における真贋の判断の度合いは、近代画家の作品の比ではないくらい難しいものです。相も変わらず挑戦するのは当方の懲りない悪い性癖のようです。

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流芥老納 釧雲泉筆 文化2年(1805年)頃
水墨淡彩紙本軸装 軸先象牙 鑑定箱入
全体サイズ:縦1940*横600 画サイズ:縦1170*横460
 
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箱には「雲泉子書画第□春運?」、「己未法私?月観并題署流芥老納 押印」とあります。「己未」から1919年(大正8年)に箱書きされたと推測されますが、箱書された人物については不明です。

作品中の釧雲泉の落款の書体、印章は真作に非常によく似ているものの、いつもながらあくまでも本作品が真作とは断定できていません。

この印章はこの年間に押印された作品に多いようです。なお真作なら47歳頃の作と推定されます。

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享年からから文化年間の釧雲泉の来歴は下記のとおりです。

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享和年間
享和元年(1801年)、蒹葭堂を訪ねる。その後京都に赴き、享和2年(1802年)には江戸に下向し湯島天神の裏門付近に居住。儒学者の亀田鵬斎、海保青陵や篆刻家の稲毛屋山、漢詩人の菊池五山、書家の巻菱湖など多くの文人墨客と交わる。この頃に結婚したと推測される。

文化年間
文化3年4月(1806年)46歳の頃、大窪詩仏とともに信越に赴く。高崎から安中を抜け碓氷峠を越えて信濃入りし、信濃川を下って越後の柏崎に至る。その途次各地で画の依頼を受けて制作をしている。詩仏は引き返したが、雲泉は旅を続け三条で秋を過ごした。その後一旦、江戸に帰り、妻子を連れて越後三条に移住し、南画の普及に尽くす。この間越後の各地を遍歴し石川侃斎、上田坦山、倉石米山、倉石乾山、行田八海などの門弟を育てている。文化5年(1808年)には燕の素封家の神保家に滞在し画作している。

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*本作品が真作なら享和年間から文化年間にかけて江戸に在住していた頃の作となります。

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落款の書体もきちんとしているし、贋作ならよく描けているほうですが、どうも今一つすとんと腹に収まらない作品です。この説明は口下手な当方では言葉での説明は難しい。単純に印章が違うとか、画風がおとなしいとの表現ではすまないものなのでしょう。

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脇に真作と置いて模写した・・・??? 

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この作品はおそらくお蔵入りか・・>Image may be NSFW.
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