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りんご 板絵 芹沢銈介筆

今週末には息子の卒園式、4月からは小学校です。時間の経つのは早いものですが、この時期の息子との時間は遅くあって欲しい気もします。それでも自立?に向けて息子の部屋づくりを始めていますが、義父が昨年亡くなったこのも重なり、意外に大仕事となっています。要らなくなったものは処分していますが、その結果として要らなくなった家具も処分することしました。先週末には箪笥・・・、二階から降ろすのに息子も手伝っています。このようなことも手伝えるようになってきたのかと感心・・・・・。疲れてのか、日曜の夜には片付けをしている小生の膝枕であっというまに眠りに落ちていました。

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さて民芸と総括される陶磁器の作品については本ブログで浜田庄司、河井寛次郎、バーナードリーチ、金城次郎らを紹介しており、絵画もまたデザイナーでもあった藤井達吉や杉本健吉を紹介してきましたが、意外にも染色工芸家の芹沢銈介の作品紹介は今回が初めてでしょう。好き嫌いがあったわけではありませんが、染色工芸家というのが当方の不得意な分野であることに起因していると思われます。

りんご 板絵 芹沢銈介筆
紙本着色額装 板絵 共シール 誂:布タトウ+黄袋
F0号 全体サイズ:縦290*横330 画サイズ:縦140*横177

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芹沢銈介は東北地方、ことに仙台の街や鳴子温泉と縁があったようですが、今回改めて調べるまで知りませんでした。

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芹沢銈介(芹澤銈介、せりざわ けいすけ、「けい」は金偏に圭):1895年(明治28年)5月13日 ~1984年(昭和59年)4月5日)。日本の染色工芸家。静岡県静岡市(現葵区)生まれで、静岡市名誉市民。文化功労者。重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)。

20世紀日本の代表的な工芸家として内外から高く評価されており、民芸運動の主要な参加者でもありました。オリジナリティあふれる作品群を生み出したほか、本の装丁など商業デザインも手がけ、また、その選美眼によって世界各地の民芸品を蒐集しています。

東北地方、ことに仙台の街や鳴子温泉を愛したことでも知られています。息子の芹沢長介は考古学者として活躍し、晩年は東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館の館長を務めました。

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経歴をみていくと、小生が仕事で赴任していた地域と大きく重複します。

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1931年に静岡から東北地方へ旅立ち、仙台の堤窯を皮きりに岩手県久慈窯までの行程を「東北窯めぐり」と題する作品として発表しています。さらに青森県八戸では江戸中期から伝えられた「南部小絵馬」の美しさを見出していますが、その古格ある重厚な筆の運びは、秀衡椀と並んで東北の誇りうる文化遺産であると柳宗悦が絶讃したことでも有名です。

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東北地方の風土を、そして古い伝統の息づく雪国の人と文化をこよなく愛し、銈介は東北のひなびた温泉場を好み、晩年になっても骨休みのためにしばしば鳴子温泉に逗留し、そのたびに多くのスケッチを残しているそうです。

また仙台の定禅寺通りと青葉通りにうっそうと茂った欅並木も、銈介の心を和ませる風景の一つであったようで、ホテルから出てステッキをつきながら青葉の下を散歩し、付近の骨董店などをのぞくのが楽しみであったようです。小生もながらく仙台に住していたのですが、今では骨董店はまったくといっていいほど存在していません。

終戦直後に次女を仙台に嫁がせ、3人の孫が生まれたということも、銈介の東北好きに拍車をかけたにちがいないようです。東北地方を題材とした銈介作品だけでも、おそらく一つの展示室を満たすに足りるであろうと言われています。

芹沢銈介は1945年から80年までに収集した内外の染織品・木彫・絵画・陶器・装身具など約4500点を作品約200点と共に静岡市に寄贈し、静岡市によって「芹沢銈介美術館」が81年に完成し、それらは常時一般に公開展示されています。

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また1963年には倉敷の大原美術館の中の工芸館として「芹沢館」が開館し、常時作品の展示が見られるようになっています。したがって、西日本から中部地方にかけての人たちには銈介の作品と収集品とを見るための施設が提供されたのですが、東北地方の人にとってはやはりそれらは遠い存在でした。

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銈介が病いにたおれ、虎ノ門病院で治療を続けていたある日、「仙台にも陳列館を一つ作ってくれよ。」という本人の願いで、アンデスやアフリカの染織品を中心にした作品を、残っていた作品と収集品を一括して寄贈し、1989年に完成した「芹沢銈介美術工芸館」が開館しています。仙台の人たち、東北の人たちに見てほしいという願いがかなった施設です。

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*残念ながら上記の3施設をまだ当方では訪れたことはありません。否、ずいぶん前に大原美術館を訪れており、見たかもしれませんが、興味が当時なかったせいか、よく覚えていません。

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当方での蒐集作品はやはり肉筆画となりました。小作品ながらいい作品だと思います。

さて裏には下記のシールがありますが、「□□の板絵 五0八刊」というのはどのような意味でしょうか?

片付けついでに小生のガラクタもどこかに寄贈してしまおうか?と考えています。










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