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Channel: 夜噺骨董談義
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秋山訪友之図 菅井梅関筆 その3

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菅井梅関はその晩年は盲目の弟とその家族を支える生活は厳しく、折からの飢饉も加わって貧窮を堪え忍ばざるを得なかった。このような事情のためか梅関は生涯を独身で過ごしています。文人としての矜持をもって過ごすも、支援者・理解者の相次ぐ訃報に接し、ついに心が折れ天保15年(1844年)正月、自ら井戸に身を投げたという悲劇的な最後を遂げた画家です。

秋山訪友之図 菅井梅関筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先鹿骨 合箱
全体サイズ:縦2000*横750 画サイズ:縦1240*横540



印章は「菅井之印」の朱文白方印と「梅関之印」の白文朱方印の累印が押印されています。「冬景獨釣図」と同一印章です。「菅井之印」の印章の寸法が数ミリ違うのは、絹本に押印した際の寸法違いなのかどうかは後学とする。ただ同一印章であることには相違ないようです。落款は「梅関岳」と署されています。



先代から谷文晁に弟子入りのために江戸に出て、その後長崎までの江稼圃学のものとに遊学し、山陽の頼山陽宅に世話になり、母が没して仙台に戻ったという経歴の持ち主です。転勤族の小生には他人ごとではない転勤歴です。



地方地方で多くの人と交わり、きっと愉しかったのでしょう。その頃の知人が訪ねてくる、また訪ねていく・・、そんな思いが本作品を描かせたのでしょうね。



頼りにしたり、親交のあつかった友人の多くが亡くなり、ついには貧窮に耐えかねての自殺と言われています。



そういう点からこの「秋山訪友之図」という作品の持つ意義を考える必要があります。秋の物寂しい季節に描いた菅井梅関の心境や如何?

 

交通の便がいくら良くなっても、少子高齢化の今日では、この菅井梅関の思いにはなんら変わりはないように思います。



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