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Channel: 夜噺骨董談義
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姥ヶ餅焼 はじき香合

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先週末は最後の玉葱の収穫です。息子や家内と・・・。



息子は一輪車も使えるようになり、力もついてきたようです。でもすぐに力尽き「充電が必要!」だと・・。



さて本日は形、風情から興味本位で購入した香合の作品です。どうも「姥ヶ餅焼」というもののようです。

姥ヶ餅焼 はじき香合
古箱
幅57*奥行55*高さ44



「はじき」とは香合などの蓋の甲に 弦形の摘みのついている物で水指の替蓋にも必ず付いている。形状と蓋の部分の緑釉薬から織部の影響が見られます。



姥ヶ餅焼(うばがもちやき)という焼き物は正直なところ当方でも知りませんでした。「姥ヶ餅焼」については下記の記事(抜粋)を紹介します。

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姥ヶ餅焼(うばがもちやき):東海道五十三次の一つ、滋賀県草津の名物に乳首を象ったといわれる姥ヶ餅という餅があり、その餅を盛る皿として焼かれたのが姥ヶ餅焼である。



姥ヶ餅焼がいつ頃作られ始めたかは諸説(応永説、慶長説、寛永説)ある。



当初は店で出す食器として焼かれていたが、寛政年間頃(1789-1801)、茶道を趣味としていた姥ヶ餅屋八代目主人である瀬川都義が、矢倉町の馬池ノ上、姥ヶ懐(草津市矢橋町)に窯を築き、店の餅皿、湯呑のほか、茶碗、水指、香合、菓子器などの茶道具を焼かせた。また楽了入や、京都や信楽の陶工に依頼し、「姥餅」の印を与え、作陶させたという。
文化(1804-1824)の頃、都義が罪に問われ、店は営業停止となり、姥ヶ餅焼もその頃閉窯した。



その後、経営が好調だった姥ヶ餅屋を巡る経営権争いが数十年続いたという。安政3年(1856)、十代目主人金沢好澄は、都義の故地に窯を再興し、諸国の名陶写しの茶陶を焼かせた。ようやく騒動が治まったのは元治元年(1864)頃のことだという。明治~昭和頃に幾度か姥ヶ餅焼は再興され、名陶の写し、そして了入を偲び、楽茶碗も焼かれた。



印銘は、初期の頃は釘彫り銘、都義の頃になって小判枠「姥餅」、丸枠「姥餅」が捺され、再興されたものには都義の頃とは若干字形が異なる丸枠「姥餅」が捺された。



一部の古書に楽左入(1739年没)に作陶を依頼したとあるが、”了入”の誤植だと思われる。黒楽と交趾写の二種があるうち、黒楽は主として楽左入に託して焼かれたといわれ、交趾写はそれより少し時代が下るとみられています。



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内部の縁は金繕いされています。



底の形状は下記の写真のとおりです。



彫銘から初期の頃の作品でしょうか? あきらかに前述のように織部の影響がみられますね。



保管箱は下記のとおりです。



紐が切れていたので当方で直しておきました。



ともかく日本の焼き物だけでも懐が深いもので、まだ知らない焼き物がたくさんありそうです。



日本の陶磁器はともかく面白い・・・・  本日は「玉葱形香合」、もとい「はじき香合」の紹介でした。


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