週末は息子と家内の自作のシャボン玉・・。
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本を参考にして材料から作ったらしい。
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途中からシャボン玉の中に入りたくなったらしい。ともかくただ買う者より自分で作ったものが面白いもののようです。
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さて手桶花入の作品はもともと若い頃から欲しいと思っていました。特に*魯山人の作品が欲しいと思っていたわけではありませんが、有名な作品ゆえイメージは持っていたと思います。
*後日お気に入りの作品として魯山人の作品を紹介する予定です。
当然、若い頃は高嶺の花のような作品でしたので、それでは自分で作ってみようと平野庫太郎氏の保戸野窯にてチャレンジしたことがあります。
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素人、もしくは陶芸の初心者の私がうまく作れるはずもなく、それでも四苦八苦で形まで作り上げたのですが窯入れに失敗・・。平野先生曰く窯に入れる際に自分が失敗したのだと責任を感じたようで、先生が小生が作った形をベースにあらたに形を作ってくれました。
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形さえ作ればあとは釉薬の問題だけ・・。釉薬は伊羅保釉、ただ釉薬すら自分で掛けたという記憶がありません。
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出来上がったのが写真の作品です。これはどうみても平野庫太郎氏が作ってもの。
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今では亡くなった平野先生との思い出の作品となりました。
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平野庫太郎氏は、その人柄といい、妥協を許さぬ陶芸への姿勢といい、尊敬すべき友人です。
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この釉薬の掛け方はおそらく平野庫太郎氏によるものでしょう。形は先生らしからぬ作品ですが、鉋の跡、釉薬の掛け方などには熟練の技が要るのがよくわかりますね。
茶碗などもお値段の高いものは手が届かないので、それならと自分で何度も茶碗にも挑戦したものです。出来た時は我ながらいいと思っていましたが、しばらくすると割って毀したくなるものです。平野先生にそう話したら「いいから毀さずに持っていなさい。」と言われたことがありました。その理由を尋ねると「美的感覚は時間と共に変化するものだから・・・。」ということでした。
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茶碗は数多くが見込みに穴を開けて母の植木鉢になりました。上記の一輪挿しもまた毀そうとした作品です。
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皿を作るがごとく「たたら作り」で板状の粘土を組み合わせて作ったものです。窯割れも自分で補修・・。
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ともかく素人の自由な発想でしたが、平野先生は材料も釉薬も自由に使わせてくれました。
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自分で作ったのは週末の数時間でしたので、転勤族の小生には作りあげた作品は少なく、美的感覚は別として自作の作品を遺しておいてよかった思います。これらは平野先生との思い出の作品です。
ともかく自分で作るということは、少なくても作っている時は時間を忘れて没頭するのがいいものです。美術品は高いお金を出して買うだけのものでは決してないということです。ものはシャボン玉と同じ・・・壊れて消えた・・思い出は消えない。
転勤によって窯に通えなくなってからも平野先生とのおつきあいは最後まで続きました。先生の作品やら譲って頂いたもの、預かったものがたくさんありますが、さてどうしようかな。

本を参考にして材料から作ったらしい。

途中からシャボン玉の中に入りたくなったらしい。ともかくただ買う者より自分で作ったものが面白いもののようです。

さて手桶花入の作品はもともと若い頃から欲しいと思っていました。特に*魯山人の作品が欲しいと思っていたわけではありませんが、有名な作品ゆえイメージは持っていたと思います。
*後日お気に入りの作品として魯山人の作品を紹介する予定です。
当然、若い頃は高嶺の花のような作品でしたので、それでは自分で作ってみようと平野庫太郎氏の保戸野窯にてチャレンジしたことがあります。

素人、もしくは陶芸の初心者の私がうまく作れるはずもなく、それでも四苦八苦で形まで作り上げたのですが窯入れに失敗・・。平野先生曰く窯に入れる際に自分が失敗したのだと責任を感じたようで、先生が小生が作った形をベースにあらたに形を作ってくれました。

形さえ作ればあとは釉薬の問題だけ・・。釉薬は伊羅保釉、ただ釉薬すら自分で掛けたという記憶がありません。

出来上がったのが写真の作品です。これはどうみても平野庫太郎氏が作ってもの。

今では亡くなった平野先生との思い出の作品となりました。

平野庫太郎氏は、その人柄といい、妥協を許さぬ陶芸への姿勢といい、尊敬すべき友人です。

この釉薬の掛け方はおそらく平野庫太郎氏によるものでしょう。形は先生らしからぬ作品ですが、鉋の跡、釉薬の掛け方などには熟練の技が要るのがよくわかりますね。
茶碗などもお値段の高いものは手が届かないので、それならと自分で何度も茶碗にも挑戦したものです。出来た時は我ながらいいと思っていましたが、しばらくすると割って毀したくなるものです。平野先生にそう話したら「いいから毀さずに持っていなさい。」と言われたことがありました。その理由を尋ねると「美的感覚は時間と共に変化するものだから・・・。」ということでした。

茶碗は数多くが見込みに穴を開けて母の植木鉢になりました。上記の一輪挿しもまた毀そうとした作品です。

皿を作るがごとく「たたら作り」で板状の粘土を組み合わせて作ったものです。窯割れも自分で補修・・。

ともかく素人の自由な発想でしたが、平野先生は材料も釉薬も自由に使わせてくれました。

自分で作ったのは週末の数時間でしたので、転勤族の小生には作りあげた作品は少なく、美的感覚は別として自作の作品を遺しておいてよかった思います。これらは平野先生との思い出の作品です。
ともかく自分で作るということは、少なくても作っている時は時間を忘れて没頭するのがいいものです。美術品は高いお金を出して買うだけのものでは決してないということです。ものはシャボン玉と同じ・・・壊れて消えた・・思い出は消えない。
転勤によって窯に通えなくなってからも平野先生とのおつきあいは最後まで続きました。先生の作品やら譲って頂いたもの、預かったものがたくさんありますが、さてどうしようかな。