玄関の脇咲いていたヒメウツギ・・。時期的に今年は早い?
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信楽の小壺に活けてみました。右は平野富山作の弁天様・・。
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観音像は市川鉄琅の作です。水をあげているのはお気に入りの明治初期のお猪口・・。
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さて本日は本ブログで紹介する3作品目となる宇田荻邨の作品の紹介です。節句にちなんで鯉の作品ですね。「鯉」の作品はいいものを一点はもっていたいものです。
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下絵? 鯉 宇田荻邨筆
紙本水墨淡彩軸装 宇田裕彦鑑定箱二重箱
全体サイズ:縦1610*横840 画サイズ:縦490*横695
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なんらかの作品の下絵と推定されます。大きな作品となっておりますが、貼り合わせた二枚の紙に描かれ、落款は印章のみの作品ですが、門下生の宇田裕彦による鑑定箱書があります。
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師としたのは中村左洲、女流画家伊藤小坡、菊池契月らと本ブログではお馴染みの画家たちです。
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宇田荻邨:(1896~1980)三重県松阪に生まれる。名は善次郎。小学校高等科在籍中の明治44年(1911)、15歳で絵画に関心を示しはじめ、高等科を卒業し三重県度会郡二見町在住の中村左洲、女流画家伊藤小坡に入門。
その後、菊池芳文(1862-1918)に入門することで本格的な歩みがはじまり、善次郎の進む方向が定まったといえる。善次郎が「荻村」(のち荻邨に改号)の号を使いはじめたものこのころのことである。
師の勧めもあって、京都市立絵画専門学校別科に入る。毎年文展に出品していたが、落選続きであった。1937年(昭和12)、荻邨40歳のときに初めて個展を開くことができた。四条派を基礎に大和絵を研究、清澄で古典的な品格のある作風を展開する。
昭和3年に帝展審査員,4年より24年まで京都市立絵画専門学校で教鞭をとり,京都市展にも第1回より出品,審査員を重ねる。師契月没後,画塾白甲社を創立しこれを主宰。後進の指導、育成にあたる。芸術院会員。勲三等瑞宝章受章。昭和55年(1980)歿、83才。
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下絵とはいえ堂々としたいい作品だと思います。これだけ大きな作品は見栄えいいですね。
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所蔵者は大切にしていたのでしょう。作品中には印章のみですが、門下生の宇田裕彦に鑑定箱に収め二重箱の誂えとしています。
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表具もきちんとしています。おそらく京都の名のある表具師の仕立てでしょう。
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表具や箱の誂えを観ただけで作品の真贋が解るものです。
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宇田裕彦の画歴は下記のとおりです。本ブログでもひと作品だけですが投稿されています。
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宇田裕彦:(うだ ひろひこ)日本画家。1930年~2004年。京都生。京都市美卒。宇田荻邨に師事。日展などに出品し、受賞を重ねる。1964年 第7回日展特選 1967年 第10回日展特選 1968年 第11回日展菊華賞。日展会員となるが、のちに脱退して無所属で活動した。風景画を得意とした。平成16年(2004)歿、73才。
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下記の写真の宇田荻邨の印章と宇田裕彦の落款と印章ですが、これらの根拠と作品の筆致からも真作と判断しています。
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下絵でありながらすでに完成に域に達していますが、これをもとにして完成した作品にはまだ当方では見つけていません。

信楽の小壺に活けてみました。右は平野富山作の弁天様・・。

観音像は市川鉄琅の作です。水をあげているのはお気に入りの明治初期のお猪口・・。

さて本日は本ブログで紹介する3作品目となる宇田荻邨の作品の紹介です。節句にちなんで鯉の作品ですね。「鯉」の作品はいいものを一点はもっていたいものです。

下絵? 鯉 宇田荻邨筆
紙本水墨淡彩軸装 宇田裕彦鑑定箱二重箱
全体サイズ:縦1610*横840 画サイズ:縦490*横695

なんらかの作品の下絵と推定されます。大きな作品となっておりますが、貼り合わせた二枚の紙に描かれ、落款は印章のみの作品ですが、門下生の宇田裕彦による鑑定箱書があります。

師としたのは中村左洲、女流画家伊藤小坡、菊池契月らと本ブログではお馴染みの画家たちです。
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宇田荻邨:(1896~1980)三重県松阪に生まれる。名は善次郎。小学校高等科在籍中の明治44年(1911)、15歳で絵画に関心を示しはじめ、高等科を卒業し三重県度会郡二見町在住の中村左洲、女流画家伊藤小坡に入門。
その後、菊池芳文(1862-1918)に入門することで本格的な歩みがはじまり、善次郎の進む方向が定まったといえる。善次郎が「荻村」(のち荻邨に改号)の号を使いはじめたものこのころのことである。
師の勧めもあって、京都市立絵画専門学校別科に入る。毎年文展に出品していたが、落選続きであった。1937年(昭和12)、荻邨40歳のときに初めて個展を開くことができた。四条派を基礎に大和絵を研究、清澄で古典的な品格のある作風を展開する。
昭和3年に帝展審査員,4年より24年まで京都市立絵画専門学校で教鞭をとり,京都市展にも第1回より出品,審査員を重ねる。師契月没後,画塾白甲社を創立しこれを主宰。後進の指導、育成にあたる。芸術院会員。勲三等瑞宝章受章。昭和55年(1980)歿、83才。
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下絵とはいえ堂々としたいい作品だと思います。これだけ大きな作品は見栄えいいですね。

所蔵者は大切にしていたのでしょう。作品中には印章のみですが、門下生の宇田裕彦に鑑定箱に収め二重箱の誂えとしています。

表具もきちんとしています。おそらく京都の名のある表具師の仕立てでしょう。

表具や箱の誂えを観ただけで作品の真贋が解るものです。

宇田裕彦の画歴は下記のとおりです。本ブログでもひと作品だけですが投稿されています。
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宇田裕彦:(うだ ひろひこ)日本画家。1930年~2004年。京都生。京都市美卒。宇田荻邨に師事。日展などに出品し、受賞を重ねる。1964年 第7回日展特選 1967年 第10回日展特選 1968年 第11回日展菊華賞。日展会員となるが、のちに脱退して無所属で活動した。風景画を得意とした。平成16年(2004)歿、73才。
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下記の写真の宇田荻邨の印章と宇田裕彦の落款と印章ですが、これらの根拠と作品の筆致からも真作と判断しています。


下絵でありながらすでに完成に域に達していますが、これをもとにして完成した作品にはまだ当方では見つけていません。