近所におられて、よく家を訪れてくれるおばあさんが100歳になるということでお祝いの花を用意しました。息子にカードにお祝いの言葉を書かせたころ「よくいきたね 100さいおめでとうございます」だと・・・
家内に「そのまま届けたの?」と尋ねたら「そうだよ!」だと・・・![]()
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本日紹介する作品は本ブログにてお馴染みの画家「福田豊四郎」の描いたスケッチです。どこかで観たことのある立ち姿・・。入手時の題名は「山男」・・・???
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スケッチ「山春」下絵 福田豊四郎筆 昭和5年下絵? その129
紙本水彩額装 プレート付 昭和年頃
10号 額サイズ:縦685*横505 画サイズ:縦*横
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この作品は平成11年(1999年)11月27日~翌12年1月16日に開催された東京ステーションギャラリーで開催された「秋田の自然と詩情を描くー福田豊四郎展」にて発刊された画集の表紙になっている作品「山春」の下絵であると思われます。
下記の写真が画集の表紙ですが、当方ではこの画集が男の隠れ家にあり、現在は手元にありませんでしたので、この作品を入手後に新たに一冊を購入しました。実は上述の東京ステーションギャラリーで開催された「秋田の自然と詩情を描くー福田豊四郎展」には当時の勤務先の仙台から上京して東京駅まで観に来たことがあります。東京駅では出張の帰りだったと思いますが、表紙の作品が記憶にある作品であり、これも何かの縁での入手でしょう。
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表紙の作品である「山春」は実は対の作品で1930年に青龍社展に出品された絹彩の額装2面(サイズ:各々2288*1068)の作品です。現在は秋田県立美術館所蔵となっているようです。
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*上記の福田豊四郎の写真は昭和35年~36年頃の撮影です。この頃には郷里や東京にて当方の父との交流が盛んでした。
1930年(昭和5年)において福田豊四郎は25歳で、当時の師である土田麦僊の許可を得て再び川端龍子に師事し、個人的にはこの前年に石橋五郎の長女「文」と結婚しており、この年に長女が誕生したばかりの頃です。福田豊四郎が戦前の若い頃には当方の祖母とも交流が深かったようです。祖母の身近には福田豊四郎の若い頃の作品がたくさんありました。
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秋田県立近代美術館ならびに宮城県美術館にて2004年に開催された「生誕100年 福田豊四郎展」においても出品され、その図録の解説には下記のとおり記されています。
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この作品を描いた昭和5年(1930年)の5月に帰郷し、秋田県大館市大滝温泉の宿にて初期の代表作となる「早苗曇り」の作品と共に発想を得たといいます。
「山春」の作品の女生徒はポーズがわずかに違うもののそっくりですね。
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スケッチに記されたコメントも興味深いです。
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福田豊四郎の奥さんである福田文さんから母が頂いた画集にはスケッチをメインにした画集があり、当方で所蔵しているのですが、これも郷里の「男の隠れ家」に置いてあるので、現況のコロナ禍では確認もままなりません。
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本作品はもともとネットオークションでは「山男」と題されて出品されていましたが、「山春」を読み違えたものと推察されますね。
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ちなみにネットオークションでは他に入札者はなく落札金額は11,000円でしたが、福田豊四郎の初期の代表作の下絵であり、ちょっとシミのある作品ですが当方にとっては貴重な作品となります。
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作品にはプレートが付いていることから南天画廊における展示会に出品されていた作品と推定されます。この南天画廊に出品されていたであろう作品は当方にスケッチを含めて複数あります。
*印章は小作品によく押印されている白文朱方印の「豊」の印で、むろん真印です。
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入手した理由はこの「山春」という作品が当方の記憶にあったためですが、記憶にあるのとないのでは購入動機と購入するチャンスに大きな差がありるようです。
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スケッチといえども、しばし展示室に飾って愉しむことにしています。骨董や美術の趣味は自分の過去、先人を振り返ることにもなるようで、感慨深いものがあります。



本日紹介する作品は本ブログにてお馴染みの画家「福田豊四郎」の描いたスケッチです。どこかで観たことのある立ち姿・・。入手時の題名は「山男」・・・???

スケッチ「山春」下絵 福田豊四郎筆 昭和5年下絵? その129
紙本水彩額装 プレート付 昭和年頃
10号 額サイズ:縦685*横505 画サイズ:縦*横

この作品は平成11年(1999年)11月27日~翌12年1月16日に開催された東京ステーションギャラリーで開催された「秋田の自然と詩情を描くー福田豊四郎展」にて発刊された画集の表紙になっている作品「山春」の下絵であると思われます。
下記の写真が画集の表紙ですが、当方ではこの画集が男の隠れ家にあり、現在は手元にありませんでしたので、この作品を入手後に新たに一冊を購入しました。実は上述の東京ステーションギャラリーで開催された「秋田の自然と詩情を描くー福田豊四郎展」には当時の勤務先の仙台から上京して東京駅まで観に来たことがあります。東京駅では出張の帰りだったと思いますが、表紙の作品が記憶にある作品であり、これも何かの縁での入手でしょう。

表紙の作品である「山春」は実は対の作品で1930年に青龍社展に出品された絹彩の額装2面(サイズ:各々2288*1068)の作品です。現在は秋田県立美術館所蔵となっているようです。

*上記の福田豊四郎の写真は昭和35年~36年頃の撮影です。この頃には郷里や東京にて当方の父との交流が盛んでした。
1930年(昭和5年)において福田豊四郎は25歳で、当時の師である土田麦僊の許可を得て再び川端龍子に師事し、個人的にはこの前年に石橋五郎の長女「文」と結婚しており、この年に長女が誕生したばかりの頃です。福田豊四郎が戦前の若い頃には当方の祖母とも交流が深かったようです。祖母の身近には福田豊四郎の若い頃の作品がたくさんありました。

秋田県立近代美術館ならびに宮城県美術館にて2004年に開催された「生誕100年 福田豊四郎展」においても出品され、その図録の解説には下記のとおり記されています。

この作品を描いた昭和5年(1930年)の5月に帰郷し、秋田県大館市大滝温泉の宿にて初期の代表作となる「早苗曇り」の作品と共に発想を得たといいます。
「山春」の作品の女生徒はポーズがわずかに違うもののそっくりですね。

スケッチに記されたコメントも興味深いです。

福田豊四郎の奥さんである福田文さんから母が頂いた画集にはスケッチをメインにした画集があり、当方で所蔵しているのですが、これも郷里の「男の隠れ家」に置いてあるので、現況のコロナ禍では確認もままなりません。

本作品はもともとネットオークションでは「山男」と題されて出品されていましたが、「山春」を読み違えたものと推察されますね。

ちなみにネットオークションでは他に入札者はなく落札金額は11,000円でしたが、福田豊四郎の初期の代表作の下絵であり、ちょっとシミのある作品ですが当方にとっては貴重な作品となります。

作品にはプレートが付いていることから南天画廊における展示会に出品されていた作品と推定されます。この南天画廊に出品されていたであろう作品は当方にスケッチを含めて複数あります。
*印章は小作品によく押印されている白文朱方印の「豊」の印で、むろん真印です。


入手した理由はこの「山春」という作品が当方の記憶にあったためですが、記憶にあるのとないのでは購入動機と購入するチャンスに大きな差がありるようです。

スケッチといえども、しばし展示室に飾って愉しむことにしています。骨董や美術の趣味は自分の過去、先人を振り返ることにもなるようで、感慨深いものがあります。