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平福百穂 作品2点 「夏渓流筏図」 & 「屋島風景図」 

飛び石連休の初日はスケートがしたいと息子が言い出してスケート場へ・・。息子はスキーの次はスケートと言い出したのが始まりで今回で3回目、小生は生涯で今回が5回目程度かな。互いに今回は転倒せずにすんだ。
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本日紹介する作品は我が郷里の画家、平福百穂の作品2点です。
平福百穂もまた真贋の判断が難しい画家のひとりです。精巧な手彩色による工芸品も多々あり、さらに紛らわしいのはその箱書に所定鑑定人の平福一郎の署名があったりしています。これが鑑定付の真作とされているから紛らわしいことこの上ない。
また戦後前後して郷里などで多くの画家が生活苦のために当時人気のあった平福百穂の贋作を描いています。そのために子息の平福一郎、舟山三郎、さらには平福百合、さらには門下の鳥谷幡山、島田柏樹らの多くの方々が鑑定をすることになっています。
そのような郷里出身の画家である平福百穂の作品を、当方は素人ながら鑑識眼を高めてなんとか真贋を見極めようと努力していますが、今回はある程度確信の持てる作品を入手しましたので紹介します。
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夏渓流筏図 平福百穂筆 紙本水墨淡彩 軸先本象牙 共箱二重箱全体サイズ:縦2085*横445 画サイズ:縦1315*横325 Image may be NSFW.
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郷里の材木を運ぶ筏を描いた作品と推定されます。
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戦後まで多くの杉材が秋田から出荷されました。
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とくに戦争直後は秋田杉の需要が非常に高かったようです。
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筏から徐々に鉄道に運搬方法が変遷していきます。
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晩年まで続く平福百穂独特の南画的な要素を取り入れた水墨の作風です。この作風が見極めのポイントになるようです。
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さらに落款の書体から大正初期の作と思われます。
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もう一点の作品を紹介します。
屋島風景図 平福百穂筆紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 島田柏樹鑑定書添付(昭和27年1月) 合箱全体サイズ:横355*縦1510 画サイズ:横238*縦265
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賛にある「白田草堂」は平福百穂が大正8年に創設した画塾「白田舎」のことでしょうか? 現在の世田谷にあったらしく、昭和2年に隣接して新居が建てられています。「白田草堂」が画塾なのか新居のことなのかは不明ですが、ここでは画塾の可能性があるとしています。
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いずれにしても大正8年以降の作と推定されます。
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こちらの作品の鑑定は島田柏樹のよるものです。
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島田柏樹:日本画家。東京生。平福百穂の門人。花鳥画を能くする。帝展・文展・日展入選。昭和33年(1958)歿、66才。
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描かれたのは屋島のようです。なんらかの根拠があったのでしょう。
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屋島(やしま、旧字体:屋嶋):日本の四国北東部の、香川県高松市の東北に位置する、硬質の溶岩に覆われた平坦面が侵食された残丘。南北に長い台地状の地形。屋島は江戸時代までは陸から離れた島であったが、江戸時代に始まる塩田開発と干拓水田は後の時代に埋め立てられ、陸続きになった。ただし、相引川を瀬戸内海につながる「水路」とみなした場合には、四国本島と切り離されているという見方も出来る。海上保安庁では屋島を島として定めているが、現在の法定区分は、高松市を形成する四国本島の扱いである。663年に起こった白村江の戦いの後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。また、南嶺山上に唐僧・鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。東岸の入江の一帯は古来の檀ノ浦(讃岐檀ノ浦)で、治承・寿永の乱(源平合戦)における重要な局地戦の一つである屋島の戦いがここを戦場として繰り広げられた。そのほかにも、長崎ノ鼻古墳、北嶺山上に千間堂跡、屋島経塚、長崎ノ鼻砲台跡などがある。

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それほどの力作は入手できませんが、じっくりと鑑識眼を高めていきたいと思います。平福百穂には贋作以外に失礼ながら駄作もあるので、真作といえども作品の出来からの取捨選択も必要とされています。






















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