久方ぶりに松林桂月の作品の紹介です。
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*以前に紹介した「富嶽」(上記写真中央)と一緒に本日紹介する作品(上記写真左)を飾ってみました。ちなみに右奥は奥村土牛の作品です。
忘れ去られた画家 水墨山水図 松林桂月筆絹本水墨軸装 軸先象牙 共箱二重箱 三越シール貼全体サイズ・縦1380*横650 画サイズ:縦440*横510
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あらためて松林桂月の画歴は下記のとおりです。
***********************************
松林桂月:1876年8月18日~1963年5月22日)。日本画家。明治9年山口県萩市に生まれる。本姓伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。
1894年、本ブログでもお馴染みである野口幽谷に師事し、南宋画を学んでいます。明治31年幽谷が没し、自らも肺結核のためやむなく帰郷。
明治34年健康回復後に再度上京し、同門の閨秀画家松林雪貞と結婚、入婿して松林姓を名乗ることになります。
「最後の文人画家」とも評され、渡辺崋山や椿椿山から学んだ精緻で謹直な描写を基礎に、近代の写生画の流行を十分に取り込みながら、そこに漢籍、漢詩の素養に裏付けされた品格の高い作風を特色としています。南画の表現に新たな世界を開拓し、南画界の重鎮とされました。
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昭和7年帝国美術院会員、昭和19年帝室技芸員となり、昭和33年文化勲章を受章。昭和45年には日本南画院を結成。山水花鳥画の秀作を残しています。
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*松林桂月で評価の高いのは動物や月と共に描いた風物詩のような作品で、南画風の山水画は今では評価が低いようです。ただ富岳や山々を描いた作品は根強い人気がありますね。
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昭和38年没。享年87才。弟子に白井烟嵓・大平華泉・西野新川などがいる。
*富士を描いた作品はともかく驚くほどこの画家には多い・・。戦時中ということもあって戦意高揚の意味合いもあったのでしょう。
**********************************
戦前の40代後半から60代にかけてが桂月の最盛期で、力作の多くがこの時期に描かれているようです。縦長の作品において桂月作品の特色である、右上から左下に向かう構図法がはっきり現れるのもこの頃とされています。
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代表作である「怒涛健鵰 」(個人蔵 絹本墨画淡彩 1897年 明治30年)日本美術協会展で二等褒状受けた桂月の記念碑的作品ですね。
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当時、桂月は死病だった結核を患い喀血を繰り返しており、医者からも30歳以上生きるのは保証できないと言われていたそうです。そこで桂月は命あるうちに、最も難しい作品を描こうと思い立ちます。絵のモチーフは、「猛禽」「岩」「波」でした。猛禽類は鳥の王者であり、その風格を表すのが難しい。岩はよくあるモチーフではあるのですが、だからこそ古今の名手たちに負けない作を描くのは困難とされました。波も、形がなく勢いあるものを、線で書き表すのは技量が要ります。同門からは「三つ子の大草鞋」だと冷やかされたそうです。
師である幽谷も、絵絹に描き始めた時、「そのような固い筆意では波が動かない、そこを描いてやろう。」と言ったそうですが、桂月は「折角のご親切ではございますが、出品作は自分の手だけで仕上げたい。」と涙ながらに固辞し、涙で絵絹が濡れて絵が駄目になるほどだったという逸話があります。
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「山楼鎖夏」 (萩博物館蔵 紙本墨画 1914年 大正3年)はその賛文から当時の桂月の心境がよくわかる作品です。桂月は文展で入選を重ねていましたが、1915年(大正4年)から出品を取り止めています。その理由については、ライバル・小室翠雲との確執や文展の審査方法に嫌気が差した、と後年語っています。
賛の大意は「長い年月、南画を描いて生きてきたならば、それは禅の修行を積んできたようなもの。画壇の細やかな事で思い煩ったりしない。漢籍を読んで古人の生き方を追い、胸中の山水を思って俗世間との縁を絶とう。新派と旧派が争うのを気だるく聞き、名声の後先を争うのを密かに笑う。人には人の生き方があり文展を離れても私には私の生き方がある」。桂月は、折々に胸中を吐露した詩を加賛し、鑑賞者と想いを共有しようと試みていたようですが、「山楼鎖夏」はその代表的な例と言えるのでしょう。
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松林桂月の独特な水墨画の作風です。
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淡い丁寧な筆遣いですね。
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賛には「雲霧茅堂天地寛 古松修竹□乎姿 □中十指生春色 □象□□画不難 桂月山人□題 押印」とありますが、詳しい意味は当方では解りかねています。
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独特な共箱の箱書で、二重箱の誂えとなっています。三越のシールがあることから三越からの購入と思われる作品です。
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さすがに造りの良い上箱に納まっています。
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落款や印章は下記の写真のとおりです。Image may be NSFW.
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2点並べるとまた違った雰囲気を愉しめますね。
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前述のように松林桂月が描いた富士は数多くあります。これは戦時下での高揚のためでもあったのでしょうが、これほどたくさんあるといつも工芸品かなと疑うほど数があります。
富嶽 松林桂月筆絹本水墨軸装 軸先樹脂 合箱全体サイズ・縦1620*横900 画サイズ:縦570*横705(20号)
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実際に数多くの作品の中には、工芸品もあるようです。大きな作品も多くあります。
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その数の多さ故か知りませんが、評価はあまり高くない? それでもカタログ価格は〇〇〇万円とか・・・??? 再三記述していますが、ともかく松林桂月の富士を描いた同じような構図の作品はいやになるほど多い。
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*以前に紹介した「富嶽」(上記写真中央)と一緒に本日紹介する作品(上記写真左)を飾ってみました。ちなみに右奥は奥村土牛の作品です。
忘れ去られた画家 水墨山水図 松林桂月筆絹本水墨軸装 軸先象牙 共箱二重箱 三越シール貼全体サイズ・縦1380*横650 画サイズ:縦440*横510
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あらためて松林桂月の画歴は下記のとおりです。
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松林桂月:1876年8月18日~1963年5月22日)。日本画家。明治9年山口県萩市に生まれる。本姓伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。
1894年、本ブログでもお馴染みである野口幽谷に師事し、南宋画を学んでいます。明治31年幽谷が没し、自らも肺結核のためやむなく帰郷。
明治34年健康回復後に再度上京し、同門の閨秀画家松林雪貞と結婚、入婿して松林姓を名乗ることになります。
「最後の文人画家」とも評され、渡辺崋山や椿椿山から学んだ精緻で謹直な描写を基礎に、近代の写生画の流行を十分に取り込みながら、そこに漢籍、漢詩の素養に裏付けされた品格の高い作風を特色としています。南画の表現に新たな世界を開拓し、南画界の重鎮とされました。
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昭和7年帝国美術院会員、昭和19年帝室技芸員となり、昭和33年文化勲章を受章。昭和45年には日本南画院を結成。山水花鳥画の秀作を残しています。
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*松林桂月で評価の高いのは動物や月と共に描いた風物詩のような作品で、南画風の山水画は今では評価が低いようです。ただ富岳や山々を描いた作品は根強い人気がありますね。
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昭和38年没。享年87才。弟子に白井烟嵓・大平華泉・西野新川などがいる。
*富士を描いた作品はともかく驚くほどこの画家には多い・・。戦時中ということもあって戦意高揚の意味合いもあったのでしょう。
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戦前の40代後半から60代にかけてが桂月の最盛期で、力作の多くがこの時期に描かれているようです。縦長の作品において桂月作品の特色である、右上から左下に向かう構図法がはっきり現れるのもこの頃とされています。
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代表作である「怒涛健鵰 」(個人蔵 絹本墨画淡彩 1897年 明治30年)日本美術協会展で二等褒状受けた桂月の記念碑的作品ですね。
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当時、桂月は死病だった結核を患い喀血を繰り返しており、医者からも30歳以上生きるのは保証できないと言われていたそうです。そこで桂月は命あるうちに、最も難しい作品を描こうと思い立ちます。絵のモチーフは、「猛禽」「岩」「波」でした。猛禽類は鳥の王者であり、その風格を表すのが難しい。岩はよくあるモチーフではあるのですが、だからこそ古今の名手たちに負けない作を描くのは困難とされました。波も、形がなく勢いあるものを、線で書き表すのは技量が要ります。同門からは「三つ子の大草鞋」だと冷やかされたそうです。
師である幽谷も、絵絹に描き始めた時、「そのような固い筆意では波が動かない、そこを描いてやろう。」と言ったそうですが、桂月は「折角のご親切ではございますが、出品作は自分の手だけで仕上げたい。」と涙ながらに固辞し、涙で絵絹が濡れて絵が駄目になるほどだったという逸話があります。
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「山楼鎖夏」 (萩博物館蔵 紙本墨画 1914年 大正3年)はその賛文から当時の桂月の心境がよくわかる作品です。桂月は文展で入選を重ねていましたが、1915年(大正4年)から出品を取り止めています。その理由については、ライバル・小室翠雲との確執や文展の審査方法に嫌気が差した、と後年語っています。
賛の大意は「長い年月、南画を描いて生きてきたならば、それは禅の修行を積んできたようなもの。画壇の細やかな事で思い煩ったりしない。漢籍を読んで古人の生き方を追い、胸中の山水を思って俗世間との縁を絶とう。新派と旧派が争うのを気だるく聞き、名声の後先を争うのを密かに笑う。人には人の生き方があり文展を離れても私には私の生き方がある」。桂月は、折々に胸中を吐露した詩を加賛し、鑑賞者と想いを共有しようと試みていたようですが、「山楼鎖夏」はその代表的な例と言えるのでしょう。
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松林桂月の独特な水墨画の作風です。
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賛には「雲霧茅堂天地寛 古松修竹□乎姿 □中十指生春色 □象□□画不難 桂月山人□題 押印」とありますが、詳しい意味は当方では解りかねています。
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独特な共箱の箱書で、二重箱の誂えとなっています。三越のシールがあることから三越からの購入と思われる作品です。
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前述のように松林桂月が描いた富士は数多くあります。これは戦時下での高揚のためでもあったのでしょうが、これほどたくさんあるといつも工芸品かなと疑うほど数があります。
富嶽 松林桂月筆絹本水墨軸装 軸先樹脂 合箱全体サイズ・縦1620*横900 画サイズ:縦570*横705(20号)
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実際に数多くの作品の中には、工芸品もあるようです。大きな作品も多くあります。
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