昨日の日曜日は日本橋の美術館に向かいましたが、途中で東京美術倶楽部へ方向転換・・。
要は一流の骨董店の展示即売会のようなもので、なかなか見応えのある作品が、手にとって鑑賞できるところが素晴らしい。ただ、小生は幸紀と一緒なので、まったく見た気がしないのですがだいたいは解るものです。いいものはお値段もそれなりにするものと改めて実感・・、また本物が持つ品格や迫力もまた再認識した鑑賞でした。
さてそろ社の業績は今期も中間点を過ぎて業績が気になる頃です。常に新たな目標、達成点を修正を加えながら、社員間で共通認識を持つ時期と考えています。業績は上向きなのでモチベーションは上がってきていると実感できるので心強いかぎりです。
本日はちょっと女々しい画題の作品です。
御衣図 西村五雲筆 その5
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:横474*縦1875 絵サイズ:横343*縦973
本作品は菅原道真の下記の詩に基づいた作品です。題にある「御衣」とは「恩賜の御衣」のことで天皇から賜った御衣を意味します。
去年今夜待清涼:去年の今夜 清涼に待す
秋思詩篇獨斷腸:秋思の詩篇 獨り斷腸
恩賜御衣今在此:恩賜の御衣は今此こに在り
捧持毎日拜餘香:捧持して 毎日餘香を拝す
訳:去年の今夜は清涼殿の宴で、お傍にはべらせていただきました。「秋思」という題で私が歌を詠んだこと…思い出すとはらわたが引きちぎれそうです。あの時、いただいた御衣は、今もここにございます。毎日捧げもっては、あの時の残り香を拝しております。
詩の作風は白楽天の影響が見られます。学問・詩歌にすぐれ、亡くなった後「天満宮」「天神様」として全国の神社でまつられました。この詩は配流先の大宰府で詠んだもの。去年と今年のあまりに大きな落差を歌っています。九月九日は「重陽の節句」、その翌日の十日に、宮中で詩会がもよおされたのです。そこで道真は帝(醍醐天皇)のリクエストに応じて見事な詩をつくった。
ムム、さすが道真であると。そこで御衣をたまわった。ははっ、ありがたきしあわせと。あれはつい去年のことなのに、今年は大宰府で寂しく過ごしている、その、あまりの落差。
ま~、女々しいと言えば女々しい・・出世や官位がそれほどこだわるべきものなのか? 現代にもそういう人は多いのですが、脱却しないと本当の幸せは見えてこないものと思っています。
さて菅原道真が詠んだ「秋思」とは下記の詩のことです。
丞相度年幾楽思:丞相年を度って 幾たびか楽思す
今宵触物自然悲:今宵 物に触れて 自然に悲し
聲寒絡緯風吹処:声は寒し 絡緯 風吹くの処
落葉梧桐雨打時:葉は落つ 梧桐 雨打つの時
君富春秋臣漸老:君は春秋に富ませたまい臣は漸(ようや)く老いたり
恩無涯岸報猶遅:恩は涯岸無く 報ずることなお遅し
不知此意何安慰:知らず この意 何くにか安慰せん
飲酒聴琴又詠詩:酒を飲み琴を聴いて また詩を詠ず
菅原道真といえば、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」の歌も有名ですね。都を去る時に庭の梅を見て詠んだとされます。
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西村五雲:明治10年京都に生まれる。本名源次郎。23年岸竹堂に師事する。26年日本美術協会第6回展で褒状を受け、30年と32年に全国絵画共進会で連続して四等賞を受賞する。 30年に師竹堂が没後、竹内栖鳳に師事する。33年新古美術品展で三等賞、36年には第5回内国勧業博覧会に「残雪飢狐」で褒状、40年第1回文展で三等賞と次々に受賞を重ねる。 明治45年画塾を設け、大正2年京都市立美術工芸学校教諭となる。大正9年帝展委員、13年市立絵画専門学校教授となる。 大正13年画塾を晨鳥社と命名、後進の指導に当たり新進作家を輩出する。 昭和8年帝国美術院会員、9年からは珊瑚会展、春虹会展、七弦会展などにも出品する。 昭和13年京都で没。享年62歳。
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同じものを画題とした下記の作品はずいぶん以前に処分済みです。
菅公恩賜之御衣 伝安田靭彦筆
絹本着色絹装軸箱入 軸先塗
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横360*縦1060
当時の説明書が出てました。すっかり忘れていました。
********題名である「菅公」とは菅原道真のことであり、「恩賜之御衣」とは9月10日の題で詠まれた歌の内容による。歌は「去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸 臣詩多述所憤 恩賜御衣今在此 捧持毎日拝餘香 宴終晩頭賜御衣 今随身在笥中 故云」である。訳は「去年の今夜清涼に待し,秋思の詩篇獨り 斷腸恩賜の御衣 今此こに在り捧持して 毎日餘香を拝す。」である。道真はこの詩作の後、二年にして世を去った。概略の意味は「9月10日:重陽後朝の宴。この作品は、去年の9月10日と今日の9月10日とを比べ、その差異の大きさを詠っている。去年今夜待清涼:去年の今夜にあたる九月十日の重陽後朝の宴に、清涼殿で、帝のお側近くにはべっていた。秋思詩篇獨斷腸:帝に褒められて、褒美として「恩賜の御衣」を賜ったが、一年後の今日は腸がちぎれるほどの非常な悲しみになっている。恩賜御衣今在此:詩作の褒美として帝から賜ったお召し物は、今でも、ここある。捧持毎日拜餘香:捧げ持って、毎日、残り香をかぎながら、帝の恩恵を思い起こしている。」である。落款・印章は資料に酷似しており、真作の可能性が高いが、真贋もまた後学の判断としたい。細やかな表現力が良い。********
官位・・、地位・・、栄光・・、会社の業績の中でモチベーションを保つものとは何なのか・・、考えてしまうこのごろです。
要は一流の骨董店の展示即売会のようなもので、なかなか見応えのある作品が、手にとって鑑賞できるところが素晴らしい。ただ、小生は幸紀と一緒なので、まったく見た気がしないのですがだいたいは解るものです。いいものはお値段もそれなりにするものと改めて実感・・、また本物が持つ品格や迫力もまた再認識した鑑賞でした。
さてそろ社の業績は今期も中間点を過ぎて業績が気になる頃です。常に新たな目標、達成点を修正を加えながら、社員間で共通認識を持つ時期と考えています。業績は上向きなのでモチベーションは上がってきていると実感できるので心強いかぎりです。
本日はちょっと女々しい画題の作品です。
御衣図 西村五雲筆 その5
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:横474*縦1875 絵サイズ:横343*縦973
本作品は菅原道真の下記の詩に基づいた作品です。題にある「御衣」とは「恩賜の御衣」のことで天皇から賜った御衣を意味します。
去年今夜待清涼:去年の今夜 清涼に待す
秋思詩篇獨斷腸:秋思の詩篇 獨り斷腸
恩賜御衣今在此:恩賜の御衣は今此こに在り
捧持毎日拜餘香:捧持して 毎日餘香を拝す
訳:去年の今夜は清涼殿の宴で、お傍にはべらせていただきました。「秋思」という題で私が歌を詠んだこと…思い出すとはらわたが引きちぎれそうです。あの時、いただいた御衣は、今もここにございます。毎日捧げもっては、あの時の残り香を拝しております。
詩の作風は白楽天の影響が見られます。学問・詩歌にすぐれ、亡くなった後「天満宮」「天神様」として全国の神社でまつられました。この詩は配流先の大宰府で詠んだもの。去年と今年のあまりに大きな落差を歌っています。九月九日は「重陽の節句」、その翌日の十日に、宮中で詩会がもよおされたのです。そこで道真は帝(醍醐天皇)のリクエストに応じて見事な詩をつくった。
ムム、さすが道真であると。そこで御衣をたまわった。ははっ、ありがたきしあわせと。あれはつい去年のことなのに、今年は大宰府で寂しく過ごしている、その、あまりの落差。
ま~、女々しいと言えば女々しい・・出世や官位がそれほどこだわるべきものなのか? 現代にもそういう人は多いのですが、脱却しないと本当の幸せは見えてこないものと思っています。
さて菅原道真が詠んだ「秋思」とは下記の詩のことです。
丞相度年幾楽思:丞相年を度って 幾たびか楽思す
今宵触物自然悲:今宵 物に触れて 自然に悲し
聲寒絡緯風吹処:声は寒し 絡緯 風吹くの処
落葉梧桐雨打時:葉は落つ 梧桐 雨打つの時
君富春秋臣漸老:君は春秋に富ませたまい臣は漸(ようや)く老いたり
恩無涯岸報猶遅:恩は涯岸無く 報ずることなお遅し
不知此意何安慰:知らず この意 何くにか安慰せん
飲酒聴琴又詠詩:酒を飲み琴を聴いて また詩を詠ず
菅原道真といえば、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」の歌も有名ですね。都を去る時に庭の梅を見て詠んだとされます。
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西村五雲:明治10年京都に生まれる。本名源次郎。23年岸竹堂に師事する。26年日本美術協会第6回展で褒状を受け、30年と32年に全国絵画共進会で連続して四等賞を受賞する。 30年に師竹堂が没後、竹内栖鳳に師事する。33年新古美術品展で三等賞、36年には第5回内国勧業博覧会に「残雪飢狐」で褒状、40年第1回文展で三等賞と次々に受賞を重ねる。 明治45年画塾を設け、大正2年京都市立美術工芸学校教諭となる。大正9年帝展委員、13年市立絵画専門学校教授となる。 大正13年画塾を晨鳥社と命名、後進の指導に当たり新進作家を輩出する。 昭和8年帝国美術院会員、9年からは珊瑚会展、春虹会展、七弦会展などにも出品する。 昭和13年京都で没。享年62歳。
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同じものを画題とした下記の作品はずいぶん以前に処分済みです。
菅公恩賜之御衣 伝安田靭彦筆
絹本着色絹装軸箱入 軸先塗
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横360*縦1060
当時の説明書が出てました。すっかり忘れていました。
********題名である「菅公」とは菅原道真のことであり、「恩賜之御衣」とは9月10日の題で詠まれた歌の内容による。歌は「去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸 臣詩多述所憤 恩賜御衣今在此 捧持毎日拝餘香 宴終晩頭賜御衣 今随身在笥中 故云」である。訳は「去年の今夜清涼に待し,秋思の詩篇獨り 斷腸恩賜の御衣 今此こに在り捧持して 毎日餘香を拝す。」である。道真はこの詩作の後、二年にして世を去った。概略の意味は「9月10日:重陽後朝の宴。この作品は、去年の9月10日と今日の9月10日とを比べ、その差異の大きさを詠っている。去年今夜待清涼:去年の今夜にあたる九月十日の重陽後朝の宴に、清涼殿で、帝のお側近くにはべっていた。秋思詩篇獨斷腸:帝に褒められて、褒美として「恩賜の御衣」を賜ったが、一年後の今日は腸がちぎれるほどの非常な悲しみになっている。恩賜御衣今在此:詩作の褒美として帝から賜ったお召し物は、今でも、ここある。捧持毎日拜餘香:捧げ持って、毎日、残り香をかぎながら、帝の恩恵を思い起こしている。」である。落款・印章は資料に酷似しており、真作の可能性が高いが、真贋もまた後学の判断としたい。細やかな表現力が良い。********
官位・・、地位・・、栄光・・、会社の業績の中でモチベーションを保つものとは何なのか・・、考えてしまうこのごろです。