ず~っと、ソファの目の前に飾ってる作品です。本ブログに三度目の登場です。飾ってるのはいつ壊れてもいいような廉価な大皿・・、どこかの骨董市での衝動買い・・、果たしてこれは古伊万里??
大きな割れの補修跡があり、廉価で購入してきたもののひとつです。当方は古伊万里は蒐集対象ではないのですが、染付けの文様の出来の良さで購入することがあります。
古伊万里 藍柿花図大皿
口径314*高台径68*高さ56
「古伊万里」といってもこれもまたその分類は数多くあり、とても素人にはその判別は難しいもののようです。
このように大きく割れ、見込みには大きな窯傷のある作品・・、通常なら買わない人が多いでしょう。骨董市で目の前にこのお皿があったらいくらなら買いますか?
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古伊万里とは言っても幾つかの分類があります。それぞれの年代と特徴を纏めると下記のようになります。
初期伊万里:1610年くらいから焼き始められた伊万里の、創生期の作品を総称して初期伊万里と呼びます。器型が独特で、初期伊万里には特徴がいくつかあります。初期伊万里はその素朴で奔放な作風により、愛好するコレクターはかなり多いです。最近はだいぶ安くはなってきたようですが・・。
藍九谷(寛文様式):初期伊万里が完成してから約50年後の寛文時代に入ると、かなり洗練された物に進歩してきました。先ず高台が広くなり器型が薄くなりました。そして明らかに観賞用と思えるものが出来てきました。まだまだ伊万里など庶民の手に入る物ではありませんでした。製品の特徴は、深みのある濃い呉須(顔料)を用い、力強い筆でもって動植物、風景などを書き込んでいます。またダミ(塗りつぶし)を用い出したのも、この藍九谷の特徴です。中国では明から清へと変わり、その中国国内が混乱している間に、有田が急速に技術とともに、生産量を伸ばしていきました。更に、1659年から、オランダ東インド会社からの大量注文を取り付け、伊万里は最盛期を迎えます。
藍柿(盛期伊万里):藍柿とは、時代的に言うと、元禄を中心にして作られた染付けの最上手の器です。色絵・染錦もありますが、染付のものに限って使われる名称です。中には、染付でできたものに後で色をつけたものもあります。伊万里の歴史においては、最高技術をもって作られたものは、この元禄期を中心にできた染付けの器です。生地にしても、白い最高の土が使われています。よって、染付の色合も最高のものが出来るわけです。日本で初めて磁器が焼かれてわずか100年の少々の間に、ここまでのものができたとは、驚くべきことです。
元禄古伊万里:名の通り、元禄時代を中心に作られた伊万里を指します。同じ時代に柿右ェ門手と伊万里手があります。柿右ェ門手については、染付に限定しましたが、もちろん色絵柿右ェ門や染錦もあります。同じく、古伊万里にも、染付・色絵・染錦手とあります。 染付・染錦の品物はどちらかと言うと外国向けに作られた大きい品物が多く、柿右ェ門手と比べると、生地がねずみ色がかった感じがします。色絵の場合は、特に上手があり、俗に言う”献上伊万里”があります。
享保以降~文政年間までの伊万里:この時代、大量生産になってきます。そして、伊万里では、生産が間に合わずに、地方で伊万里焼きに似せた国焼ができてくるのですが、それは、もう少し後年になってからです。品物に関しては、今までの説明とは違い、現在でも食器として使えるような感じになってきます。柿右衛門手や元禄の古伊万里などは、値段的なこととか枚数があまり出て来ないことから、だいたい鑑賞用になっているのが現実です。しかし、宝歴を中心とした文化年間までの品物は、細かい品物(7寸皿・小皿・ナマス皿・猪口など)は、箱入り20枚とか、まだ手に入る事もあります。
天保時代を中心とした江戸後期の伊万里:文政年間以後天保あたりを境として、こまかい食器(七寸皿・ナマス皿・小皿など)は、今までと違い品物が品質的には落ちてきます。
この頃に、瀬戸焼を中心とする地方窯がたくさんできてくるわけです。図柄はしゃれた物もたくさん有りますが、裏の唐草の描き方などはそれ以前と比べると、雑になってきます。しかし、天保時代にはそれまでにない名品があります。尺五寸以上の大皿にたくさんあります。代表的な物は、日本地図皿(世界地図もあります)、東海道五十三次の皿、鶴丸の大皿などです。他にも、この時代には他の時代に無い、たくさんの図変わりの皿が存在します。コレクターの方なら、一度は手にいれたいものだと思います。
幕末~明治~現代の伊万里:天保以後幕末にかけて、染付も錦手も手(レベル)が落ちてくるのが目立ちます。その中でも上手(じょうて)と言うものもあります。明治にはいると、外国文化の影響があってか、作風ががらりと変わります。染付のやきものは、俗に言う、”べろあい”になって下手(げて)なものになります。中には文明開化の図で、特別高いものもありますが、全体から見るとほんの一部です。全体的に作風の中心は派手な錦手になります。白い部分がほとんど無いくらいに書き詰めた上手の錦の大皿や食器がたくさんあります。戦後に、これらのやきものはそうとうアメリカの方に売られていますが、明治後期から昭和の初めにかけて、上手のものは次第に少なくなってきます。現在はプリントになっていて、電気焼きの物が増えていると思います。(現代の柿右ェ門や今右ェ門などの窯は除く)百貨店などで売られている現代の焼き物の場合は、そこそこの値段が付いていますが、古美術的な価値はゼロと言って良いと思います。
大聖寺伊万里:大聖寺伊万里とは、主に江戸後期から昭和の初めにかけて焼かれた物で、加賀の大聖寺で焼かれたもののことです。当時、その大聖寺で上手の古伊万里を写して作られました。主に、錦手のものが多いですが、まれに染付もあります。時代は若いですが、古伊万里の上手を写しているので、良くできた良品が多いです。基本的に大聖寺伊万里は古伊万里(この場合元禄を中心にした物です)の上手錦手を写した物が多く、幕末~明治にかけてのものが、特に良いものができています。伊万里と大聖寺伊万里の見分け方と言っても、第一、時代が違いますので、染付や色の染料が質的に異なり、少々目の利く人であれば、一目見て分かります。伊万里と比べると、生地が柔らかく、伊万里と比べてアマ手の商品も多くあります。一番異なる点は、高台の土見せの部分が伊万里が丸く切ってあるのに対し、大聖寺伊万里は斜めに切っています。
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人が何らかの理由で打ち捨てたものを何らかの理由で買う・・、骨董とはほとんどがそういうものです。だから基本的には多くがリーズナブルな価格であるべきものだと思うのは蒐集側の論理でしょうね。
本作品は完品で、見込みの跡がなければ藍柿の優品としてまかりとおる作品かと思いますが、骨董も人もどこか欠点があるほうが愛嬌があっていいものです。完品なら私とは縁がなかった作品かもしれません。
大きな割れの補修跡があり、廉価で購入してきたもののひとつです。当方は古伊万里は蒐集対象ではないのですが、染付けの文様の出来の良さで購入することがあります。
古伊万里 藍柿花図大皿
口径314*高台径68*高さ56
「古伊万里」といってもこれもまたその分類は数多くあり、とても素人にはその判別は難しいもののようです。
このように大きく割れ、見込みには大きな窯傷のある作品・・、通常なら買わない人が多いでしょう。骨董市で目の前にこのお皿があったらいくらなら買いますか?
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古伊万里とは言っても幾つかの分類があります。それぞれの年代と特徴を纏めると下記のようになります。
初期伊万里:1610年くらいから焼き始められた伊万里の、創生期の作品を総称して初期伊万里と呼びます。器型が独特で、初期伊万里には特徴がいくつかあります。初期伊万里はその素朴で奔放な作風により、愛好するコレクターはかなり多いです。最近はだいぶ安くはなってきたようですが・・。
藍九谷(寛文様式):初期伊万里が完成してから約50年後の寛文時代に入ると、かなり洗練された物に進歩してきました。先ず高台が広くなり器型が薄くなりました。そして明らかに観賞用と思えるものが出来てきました。まだまだ伊万里など庶民の手に入る物ではありませんでした。製品の特徴は、深みのある濃い呉須(顔料)を用い、力強い筆でもって動植物、風景などを書き込んでいます。またダミ(塗りつぶし)を用い出したのも、この藍九谷の特徴です。中国では明から清へと変わり、その中国国内が混乱している間に、有田が急速に技術とともに、生産量を伸ばしていきました。更に、1659年から、オランダ東インド会社からの大量注文を取り付け、伊万里は最盛期を迎えます。
藍柿(盛期伊万里):藍柿とは、時代的に言うと、元禄を中心にして作られた染付けの最上手の器です。色絵・染錦もありますが、染付のものに限って使われる名称です。中には、染付でできたものに後で色をつけたものもあります。伊万里の歴史においては、最高技術をもって作られたものは、この元禄期を中心にできた染付けの器です。生地にしても、白い最高の土が使われています。よって、染付の色合も最高のものが出来るわけです。日本で初めて磁器が焼かれてわずか100年の少々の間に、ここまでのものができたとは、驚くべきことです。
元禄古伊万里:名の通り、元禄時代を中心に作られた伊万里を指します。同じ時代に柿右ェ門手と伊万里手があります。柿右ェ門手については、染付に限定しましたが、もちろん色絵柿右ェ門や染錦もあります。同じく、古伊万里にも、染付・色絵・染錦手とあります。 染付・染錦の品物はどちらかと言うと外国向けに作られた大きい品物が多く、柿右ェ門手と比べると、生地がねずみ色がかった感じがします。色絵の場合は、特に上手があり、俗に言う”献上伊万里”があります。
享保以降~文政年間までの伊万里:この時代、大量生産になってきます。そして、伊万里では、生産が間に合わずに、地方で伊万里焼きに似せた国焼ができてくるのですが、それは、もう少し後年になってからです。品物に関しては、今までの説明とは違い、現在でも食器として使えるような感じになってきます。柿右衛門手や元禄の古伊万里などは、値段的なこととか枚数があまり出て来ないことから、だいたい鑑賞用になっているのが現実です。しかし、宝歴を中心とした文化年間までの品物は、細かい品物(7寸皿・小皿・ナマス皿・猪口など)は、箱入り20枚とか、まだ手に入る事もあります。
天保時代を中心とした江戸後期の伊万里:文政年間以後天保あたりを境として、こまかい食器(七寸皿・ナマス皿・小皿など)は、今までと違い品物が品質的には落ちてきます。
この頃に、瀬戸焼を中心とする地方窯がたくさんできてくるわけです。図柄はしゃれた物もたくさん有りますが、裏の唐草の描き方などはそれ以前と比べると、雑になってきます。しかし、天保時代にはそれまでにない名品があります。尺五寸以上の大皿にたくさんあります。代表的な物は、日本地図皿(世界地図もあります)、東海道五十三次の皿、鶴丸の大皿などです。他にも、この時代には他の時代に無い、たくさんの図変わりの皿が存在します。コレクターの方なら、一度は手にいれたいものだと思います。
幕末~明治~現代の伊万里:天保以後幕末にかけて、染付も錦手も手(レベル)が落ちてくるのが目立ちます。その中でも上手(じょうて)と言うものもあります。明治にはいると、外国文化の影響があってか、作風ががらりと変わります。染付のやきものは、俗に言う、”べろあい”になって下手(げて)なものになります。中には文明開化の図で、特別高いものもありますが、全体から見るとほんの一部です。全体的に作風の中心は派手な錦手になります。白い部分がほとんど無いくらいに書き詰めた上手の錦の大皿や食器がたくさんあります。戦後に、これらのやきものはそうとうアメリカの方に売られていますが、明治後期から昭和の初めにかけて、上手のものは次第に少なくなってきます。現在はプリントになっていて、電気焼きの物が増えていると思います。(現代の柿右ェ門や今右ェ門などの窯は除く)百貨店などで売られている現代の焼き物の場合は、そこそこの値段が付いていますが、古美術的な価値はゼロと言って良いと思います。
大聖寺伊万里:大聖寺伊万里とは、主に江戸後期から昭和の初めにかけて焼かれた物で、加賀の大聖寺で焼かれたもののことです。当時、その大聖寺で上手の古伊万里を写して作られました。主に、錦手のものが多いですが、まれに染付もあります。時代は若いですが、古伊万里の上手を写しているので、良くできた良品が多いです。基本的に大聖寺伊万里は古伊万里(この場合元禄を中心にした物です)の上手錦手を写した物が多く、幕末~明治にかけてのものが、特に良いものができています。伊万里と大聖寺伊万里の見分け方と言っても、第一、時代が違いますので、染付や色の染料が質的に異なり、少々目の利く人であれば、一目見て分かります。伊万里と比べると、生地が柔らかく、伊万里と比べてアマ手の商品も多くあります。一番異なる点は、高台の土見せの部分が伊万里が丸く切ってあるのに対し、大聖寺伊万里は斜めに切っています。
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人が何らかの理由で打ち捨てたものを何らかの理由で買う・・、骨董とはほとんどがそういうものです。だから基本的には多くがリーズナブルな価格であるべきものだと思うのは蒐集側の論理でしょうね。
本作品は完品で、見込みの跡がなければ藍柿の優品としてまかりとおる作品かと思いますが、骨董も人もどこか欠点があるほうが愛嬌があっていいものです。完品なら私とは縁がなかった作品かもしれません。