本日は木村武山の小点の作品紹介です。
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寒江獨釣之図 木村武山筆 その12絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱全体サイズ:縦1340*横305 画サイズ:縦285*横205
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断定はできませんが、明治39年(1906年)、下村観山の推挙により岡倉らの五浦移転に、一家をあげて同行するこの頃の作でしょうか。
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明治35年(1902年)頃から先輩の下村観山との強い絆が生まれたようで、谷中初音町の八軒家に観山や大観と共に住み、朦朧体への批判で世評が厳しくなった美術院を支える中心作家としての立場が明快になっていきます。
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明治37年(1904年)2月に起こる日露戦争ではかつての近衛歩兵第1連隊に応召され、7月陸軍歩兵中尉に任官し、8月には従七位に叙位されています。
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たしかに下村観山に近い画風・・・。
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箱もしっかりとしていて、表具や作品の状態も当時のままで良好です。
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落款や印章に違和感はありません。
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箱裏の印章は未確認で後学とします。
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茶室の床に掛けてみました。
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手前の木造は加納鉄哉によるものです。
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いい作品はしっくりと腹に納まるという表現がピッタリですね。

寒江獨釣之図 木村武山筆 その12絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱全体サイズ:縦1340*横305 画サイズ:縦285*横205


断定はできませんが、明治39年(1906年)、下村観山の推挙により岡倉らの五浦移転に、一家をあげて同行するこの頃の作でしょうか。

明治35年(1902年)頃から先輩の下村観山との強い絆が生まれたようで、谷中初音町の八軒家に観山や大観と共に住み、朦朧体への批判で世評が厳しくなった美術院を支える中心作家としての立場が明快になっていきます。

明治37年(1904年)2月に起こる日露戦争ではかつての近衛歩兵第1連隊に応召され、7月陸軍歩兵中尉に任官し、8月には従七位に叙位されています。

たしかに下村観山に近い画風・・・。

箱もしっかりとしていて、表具や作品の状態も当時のままで良好です。

落款や印章に違和感はありません。

箱裏の印章は未確認で後学とします。


茶室の床に掛けてみました。

手前の木造は加納鉄哉によるものです。

いい作品はしっくりと腹に納まるという表現がピッタリですね。