本日紹介する平野富山の作品で「その6」となりますが、平櫛田中とともに大黒様や恵比寿様の作品が多い両名ですね。他の平野富山作の七福神では弁天様や毘沙門天が多いようです。ただ他の七福神である寿老人、福禄寿、布袋様という作品は観たことがありません。もしかしたら寿老人くらいはありそうですが・・。ともかく七福神を集めようと思っている訳ではありません。
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当方では平野富山の作品では「桃太郎の鬼退治」、「翁舞」、「横綱牛」、「弁財天」らの代表作があり、一方で「恵比寿」の作品は一転のみで大黒様は平櫛田中作のものを蒐集しています。
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さて下記の作品は共箱ではありませんが、ほぼいい状態で遺っていた作品です。高いか安いかは当方ではよく分かりませんが、入手金額は20万円なり。
毘沙門天像 平野富山作 その6誂ひとみ箱本体:幅173*奥行150*高さ350
*これ以降の作品は入手時のままの状態での写真です。上記写真らは全体に掃除してあります。少しのシミがありますが、全体に保管状態は良好です。この極彩色の彫刻はシミや色彩の剥離が生じやすく、とくに顔などにシミがあると致命傷となります。その場合は専門の修復する方に依頼して直す必要が出てきますね。
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毘沙門天(びしゃもんてん)は仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされます。
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また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方があります。
日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例のようです。
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庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺とされます。また福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天にならぶ人気を誇るようになり、室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められます。
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毘沙門天の姿には三昧耶形(密教に於いて、仏を表す象 徴物の事多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶形となる)が宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)、宝塔であるという他には、はっきりした規定はなく、様々な表現があります。
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日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表現されます。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多いようです。例えば密教の両界曼荼羅では、本作品のように甲冑に身を固めて右手は宝棒、左手は宝塔を捧げ持つ姿で描かれます。ただし、他の例として東大寺戒壇堂の四天王像では右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿で造像されています。奈良當麻寺でも同様に右手で宝塔を捧げ持っています。
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四天王の1体として北方(須弥壇上では向かって右奥)を護る多聞天像の作例も数多いとされ、その姿は独尊の毘沙門天像と特に変わるところはありませんが、左右いずれかの手に宝塔を捧げ持つ像が多いようです。
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平野富山は明治44(1911)年3月7日、静岡県清水市に生まれています。本名は富三。
清水市立江尻高等小学校を卒業して昭和3(1928)年に彫刻家を志して上京、池野哲仙に師事しています。同16年より斎藤素巌に師事。翌17年第5回新文展に「女」で初入選。この頃から昭和50年代初めまで「敬吉」の号を用いています。
よって本作品は50歳までの作と推定されます。
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同18年第6回新文展に「想姿」を出品したのち一時官展への出品がとだえますが、戦後の同24年第5回日展に「若者」を出品以後は一貫して日展に出品を続けます。同31年第12回日展に「若人」を出品して特選となり、同34年第2回新日展出品作「裸婦」で再び特選を受賞しています。同38年日展会員、同57年同評議員となります。
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日展審査員をしばしば務めたほか、同33年より日彫展にも出品を始め、同37年には第58回太平洋展に「習作T」「現」を初出品して文部大臣賞を受け、同年会員に推挙されています。
団体展出品作は塑像が多く、ブロンズ像を中心に制作しましたが、彩色木彫も行ない、昭和33年には平櫛田中作「鏡獅子」の彩色を担当したことで有名です。
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同60年静岡駿府博物館で「平野富山彩色木彫回顧展」が開催されています。裸婦像を得意とし、若く張りのある肉体をなめらかなモデリングでとらえています。ポーズによって「流星」「かたらい」等、自然物や抽象的概念を暗示する甘美な作風を示しています。
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一方で能や舞、女性像、動物をモチーフにした木彫り彫刻作品に日本画に使われる光沢のある顔料を用いて衣装や装飾を描く「彩色木彫」の第一人者として高く評価されています。また、平櫛田中が制作した作品のほとんどの彩色を担当しています。享年78。
*平野は同じモデルの作品を40~50体作ったそうですが、完璧なコンディションで残っているものは少ないとされています。
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本作品の底の銘(下記写真左)は他の所蔵作品「恵比寿像」の銘(下記写真右)と一致します。
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ちなみに本ブログでは平野富山と縁の深い(伝)平櫛田中作の作品(下記写真)を紹介しています。
毘沙門天像 伝平櫛田中作 昭和46年作底に銘「百翁中」 共箱高さ290*幅150*奥行130
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本日の作品はかるく掃除した後の写真です。絵の具は落ちやすいので慎重を期する必要があります。
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埃、湿気、光を極端に嫌う・・・、浮世絵と同じですね。
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飾る場合は光をあまり当てず、ガラスケースに入れて、空調管理をすることですね。保管状態も同じです。
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掃除や補修は専門の方にお願いするのが無難です。
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保存箱はひとみ蓋付の箱で、綿などのクッション材を十分に入れておく必要があります。
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さて下記の作品は共箱ではありませんが、ほぼいい状態で遺っていた作品です。高いか安いかは当方ではよく分かりませんが、入手金額は20万円なり。
毘沙門天像 平野富山作 その6誂ひとみ箱本体:幅173*奥行150*高さ350
*これ以降の作品は入手時のままの状態での写真です。上記写真らは全体に掃除してあります。少しのシミがありますが、全体に保管状態は良好です。この極彩色の彫刻はシミや色彩の剥離が生じやすく、とくに顔などにシミがあると致命傷となります。その場合は専門の修復する方に依頼して直す必要が出てきますね。
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毘沙門天(びしゃもんてん)は仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされます。
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また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方があります。
日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例のようです。
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庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺とされます。また福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天にならぶ人気を誇るようになり、室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められます。
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毘沙門天の姿には三昧耶形(密教に於いて、仏を表す象 徴物の事多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶形となる)が宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)、宝塔であるという他には、はっきりした規定はなく、様々な表現があります。
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日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表現されます。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多いようです。例えば密教の両界曼荼羅では、本作品のように甲冑に身を固めて右手は宝棒、左手は宝塔を捧げ持つ姿で描かれます。ただし、他の例として東大寺戒壇堂の四天王像では右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿で造像されています。奈良當麻寺でも同様に右手で宝塔を捧げ持っています。
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四天王の1体として北方(須弥壇上では向かって右奥)を護る多聞天像の作例も数多いとされ、その姿は独尊の毘沙門天像と特に変わるところはありませんが、左右いずれかの手に宝塔を捧げ持つ像が多いようです。
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平野富山は明治44(1911)年3月7日、静岡県清水市に生まれています。本名は富三。
清水市立江尻高等小学校を卒業して昭和3(1928)年に彫刻家を志して上京、池野哲仙に師事しています。同16年より斎藤素巌に師事。翌17年第5回新文展に「女」で初入選。この頃から昭和50年代初めまで「敬吉」の号を用いています。
よって本作品は50歳までの作と推定されます。
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同18年第6回新文展に「想姿」を出品したのち一時官展への出品がとだえますが、戦後の同24年第5回日展に「若者」を出品以後は一貫して日展に出品を続けます。同31年第12回日展に「若人」を出品して特選となり、同34年第2回新日展出品作「裸婦」で再び特選を受賞しています。同38年日展会員、同57年同評議員となります。
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日展審査員をしばしば務めたほか、同33年より日彫展にも出品を始め、同37年には第58回太平洋展に「習作T」「現」を初出品して文部大臣賞を受け、同年会員に推挙されています。
団体展出品作は塑像が多く、ブロンズ像を中心に制作しましたが、彩色木彫も行ない、昭和33年には平櫛田中作「鏡獅子」の彩色を担当したことで有名です。
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同60年静岡駿府博物館で「平野富山彩色木彫回顧展」が開催されています。裸婦像を得意とし、若く張りのある肉体をなめらかなモデリングでとらえています。ポーズによって「流星」「かたらい」等、自然物や抽象的概念を暗示する甘美な作風を示しています。
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一方で能や舞、女性像、動物をモチーフにした木彫り彫刻作品に日本画に使われる光沢のある顔料を用いて衣装や装飾を描く「彩色木彫」の第一人者として高く評価されています。また、平櫛田中が制作した作品のほとんどの彩色を担当しています。享年78。
*平野は同じモデルの作品を40~50体作ったそうですが、完璧なコンディションで残っているものは少ないとされています。
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本作品の底の銘(下記写真左)は他の所蔵作品「恵比寿像」の銘(下記写真右)と一致します。
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ちなみに本ブログでは平野富山と縁の深い(伝)平櫛田中作の作品(下記写真)を紹介しています。
毘沙門天像 伝平櫛田中作 昭和46年作底に銘「百翁中」 共箱高さ290*幅150*奥行130
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