保管に欠かせないのはエアコン・・。露出では武骨なので展示室では目隠ししています。
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メンテや交換にも支障のないようにしなくてはいけませんが、天井のユニットでは高価であり、これもまた野暮ったいので苦肉の策で欄間を応用しています。
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さて本日の作品紹介は山口華楊の作品です。花鳥画一筋に描き続けた日本芸術院会員の山口華楊。今までひと作品は欲しいと思っていた画家の作品ですが、この度縁あって入手できた作品がありますので紹介します。
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初登場の画家? 春光 山口華楊筆紙本着色絹装軸 軸先象牙 共箱二重箱F12号程度 全体サイズ:縦1510*横710 画サイズ:縦515*横560
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さてなんという鳥の雛でしょうか?
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見事な描写ですね。
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蒲公英の描きもうまい・・・。
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山口華楊の画歴は下記のとおりです。
*********************************
山口華楊:明治32年生まれ、昭和59年没(1899年~1984年)享年84歳。本名米次郎、京都の生まれ、京都絵画専門学校卒業。
西村五雲の師事し、その後継者と言われていましたが、卒業後、竹内栖鳳の「竹杖会」の研究会に参加します。京都画壇の伝統である写実の精神を踏まえ、近代的主知的な芸術感覚で花鳥画、とりわけ動物画に秀でています。
母校教授、文展審査員、日展審査員、顧問、芸術院会員を務めました。色鮮やかな背景に描く花鳥画は今でも人の目を引き人気の高い画家のひとりです。
年譜明治32(1899)年10月3日京都市中京区に友禅彩色家の二男として生まれ、本名米次郎。45年格致尋常小学校卒業後、家業を継がせたい父の意志で西村五雲に入門する。大正5年京都市立絵画専門学校に入学、この年早くも第10回文展に「日午」が初入選し早熟ぶりを示す。8年同校卒業後、五雲のすすめで竹内栖鳳の私塾竹杖会の研究会にも参加する。10年頃には、かつて知恩院派と呼ばれた土田麦遷、小野竹喬らが国画創作協会結成前に住んでいた知恩院崇泰院に仮寓し、一時国展の運動にも強い関心を示した。昭和2年第8回帝展「鹿」、翌3年第9回帝展「猿」が連続して特選を受賞、動物画家としてその名を知られ12年第1回新文展に「洋犬図」を出品する。また11年長岡女子美術学校教授、京都市立絵画専門学校助教授となり、13年師五雲が没した際画塾はいったん解散したが、一門により晨鳥社を結成、総務となりこれを主宰した。17年京都絵専教授となり(24年まで)、翌18年には海軍省従軍派遣画家としてジャワなど南方に従軍する。新文展、日展とたびたび審査員をつとめ、また京都市展、大阪市展の審査員もつとめて25年日展参事、26年京都日本画家協会理事長となる。29年第10回日展に斬新で理知的なフォルムと構図、色彩対比を見せる「黒豹」を出品、師五雲の影響を払拭した独自の様式を確立すると共に、現代的な日本画の登場として話題を集めた。31年には前年の第11回日展出品作「仔馬」により日本芸術院賞を受賞、46年日本芸術院会員となる。円山四条派の写実を出発点とし、穏雅で淡々と描き出す対象の中に知的でシャープな現代的感性を盛り込んだ作風は、戦後の日本画壇の動向の中でも一つの指標となった。44年日展改組に際し理事、46年監事、47年常務理事、50年顧問となる。また50年「画業60年山口華楊展」、54年「山口華楊素描展」、55年「山口華楊回顧展」を開催、57年秋より翌年にかけてパリのチェルヌスキ美術館で個展が行なわれ好評をよんだ。日本国際美術展などにも出品している。
46年京都市文化功労者、48年勲三等瑞宝章、55年文化功労者、56年文化勲章を受章、57年京都市名誉市民となる。
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********************************* 共箱の誂えになっています。
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山口華楊としては下記の作品を以前に所蔵していましたが、資金確保のため売却しています。
夏汀 山口華楊筆絹本着色額装 共シール タトウ入 額全体サイズ:縦495*横585 画サイズ:縦305*横395
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表具の折れが少し気になりますが・・。
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掛け軸の取り扱いは慎重にならないと、ちょっとしたことで鑑賞の障害となりますね。
どうしても折れが気になり、後日、締め直しで改装しています。
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写真では分かりにくいのですが、かなりすっきりしました。
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美術品の鑑賞には費用がかさむものです。
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「このようなこだわりが健全な状態で作品を将来に遺していくことになる。」という信念が大切なのかもしれません。
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さて本日の作品紹介は山口華楊の作品です。花鳥画一筋に描き続けた日本芸術院会員の山口華楊。今までひと作品は欲しいと思っていた画家の作品ですが、この度縁あって入手できた作品がありますので紹介します。
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初登場の画家? 春光 山口華楊筆紙本着色絹装軸 軸先象牙 共箱二重箱F12号程度 全体サイズ:縦1510*横710 画サイズ:縦515*横560
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さてなんという鳥の雛でしょうか?
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見事な描写ですね。
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山口華楊の画歴は下記のとおりです。
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山口華楊:明治32年生まれ、昭和59年没(1899年~1984年)享年84歳。本名米次郎、京都の生まれ、京都絵画専門学校卒業。
西村五雲の師事し、その後継者と言われていましたが、卒業後、竹内栖鳳の「竹杖会」の研究会に参加します。京都画壇の伝統である写実の精神を踏まえ、近代的主知的な芸術感覚で花鳥画、とりわけ動物画に秀でています。
母校教授、文展審査員、日展審査員、顧問、芸術院会員を務めました。色鮮やかな背景に描く花鳥画は今でも人の目を引き人気の高い画家のひとりです。
年譜明治32(1899)年10月3日京都市中京区に友禅彩色家の二男として生まれ、本名米次郎。45年格致尋常小学校卒業後、家業を継がせたい父の意志で西村五雲に入門する。大正5年京都市立絵画専門学校に入学、この年早くも第10回文展に「日午」が初入選し早熟ぶりを示す。8年同校卒業後、五雲のすすめで竹内栖鳳の私塾竹杖会の研究会にも参加する。10年頃には、かつて知恩院派と呼ばれた土田麦遷、小野竹喬らが国画創作協会結成前に住んでいた知恩院崇泰院に仮寓し、一時国展の運動にも強い関心を示した。昭和2年第8回帝展「鹿」、翌3年第9回帝展「猿」が連続して特選を受賞、動物画家としてその名を知られ12年第1回新文展に「洋犬図」を出品する。また11年長岡女子美術学校教授、京都市立絵画専門学校助教授となり、13年師五雲が没した際画塾はいったん解散したが、一門により晨鳥社を結成、総務となりこれを主宰した。17年京都絵専教授となり(24年まで)、翌18年には海軍省従軍派遣画家としてジャワなど南方に従軍する。新文展、日展とたびたび審査員をつとめ、また京都市展、大阪市展の審査員もつとめて25年日展参事、26年京都日本画家協会理事長となる。29年第10回日展に斬新で理知的なフォルムと構図、色彩対比を見せる「黒豹」を出品、師五雲の影響を払拭した独自の様式を確立すると共に、現代的な日本画の登場として話題を集めた。31年には前年の第11回日展出品作「仔馬」により日本芸術院賞を受賞、46年日本芸術院会員となる。円山四条派の写実を出発点とし、穏雅で淡々と描き出す対象の中に知的でシャープな現代的感性を盛り込んだ作風は、戦後の日本画壇の動向の中でも一つの指標となった。44年日展改組に際し理事、46年監事、47年常務理事、50年顧問となる。また50年「画業60年山口華楊展」、54年「山口華楊素描展」、55年「山口華楊回顧展」を開催、57年秋より翌年にかけてパリのチェルヌスキ美術館で個展が行なわれ好評をよんだ。日本国際美術展などにも出品している。
46年京都市文化功労者、48年勲三等瑞宝章、55年文化功労者、56年文化勲章を受章、57年京都市名誉市民となる。
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********************************* 共箱の誂えになっています。
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山口華楊としては下記の作品を以前に所蔵していましたが、資金確保のため売却しています。
夏汀 山口華楊筆絹本着色額装 共シール タトウ入 額全体サイズ:縦495*横585 画サイズ:縦305*横395
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表具の折れが少し気になりますが・・。
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掛け軸の取り扱いは慎重にならないと、ちょっとしたことで鑑賞の障害となりますね。
どうしても折れが気になり、後日、締め直しで改装しています。
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写真では分かりにくいのですが、かなりすっきりしました。
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美術品の鑑賞には費用がかさむものです。
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「このようなこだわりが健全な状態で作品を将来に遺していくことになる。」という信念が大切なのかもしれません。