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リメイク 湛圓 小堀宗明筆 その4 追記 その1

遠州流の茶道を習っている家内が購入した作品の紹介(2025年1月)です。この度新たに判明したことを末尾に追記しています。
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湛圓 小堀宗明筆 その3水墨軸装 茶掛 誂箱 全体サイズ:横310*縦2000 画サイズ:横295*縦1203
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描いている「湛圓」の出典は不明・・。
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まだまだファンの多い小堀宗明氏・・、来歴は下記のとおりです。
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11世小堀宗明:正徳 晴義 号・宗明 其心庵 一貫子 昭和37年6月21日没(享年75才)
明治21年(1888)、父宗有31歳の時、東京で誕生。東京美術学校に入学し、彫刻・塑像を習得し、日本画も狩野探令に師事した。22歳で、父の死と共に家督を継ぐ。広徳寺福富以清和尚より、「其心」の庵号として贈られ、自らも一貫子と号した。益田鈍はじめ大正茶人たちとの交流も厚く、三井泰山、団伊能、近藤滋弥等、東京における茶道界の重鎮を門弟とし、泰和会を創始し、石黒況翁の後援をえて、遠州茶道の一般普及に力を入れた。また父宗有の時にまったく行わなかった、出張教授を行い、各大名城下町に受け継いでいた流門の師弟を訪ね、流儀発展に大いに貢献した。戦後における東京茶道界・東茶会・好日会・止水会等の組織に参加、東京・鎌倉における茶道界向上に大いに活躍した。遠州以来の好みの窯の復興にも努力し、茶道美術の指導にも力を入れた。自らも、絵画・書・茶杓などの多くの作品を遺しているが、特に茶碗や香合などの造形美術に優れた技能を示している。75歳で東京にて没する。
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「湛圓」・・、さて意味は・・・???? そのままの意味???
作品中の落款は「其心庵」。
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家内は同時期に下記の写真のような棗も入手したようです。
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なかなか粋な作品・・。
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輪島の蒔絵師である内野都という方の作品らしい。
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普段使いにいいね。
家内からまたメールが来ました。「湛圓 小堀宗明筆」について調べていた事で分かったことがあるらしい・・・。
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書「湛圓」について
圜悟克勤(1063-1135)は、中国・北宋時代の禅僧。北宋の徽宗(きそう)皇帝や、南宋の高宗皇帝の尊崇を受け、『碧巌録』(へきがんろく)の著者として名高い。
『圓悟佛果禪師語録』巻第十六に、徽宗皇帝の貴妃である喬氏が法語を求めた(貴妃喬氏求法語)のに対し語ったという言葉に「圓湛」が登場する。https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/T1997_016以下全文。當人脚跟下一段事。本來圓湛不曾動搖。威音佛前直至如今。廓徹靈明如如平等。只為起見生心分別執著。便有情塵煩惱擾攘。若以利根勇猛。身心直下頓休。到一念不生之處。即是本來面目。所以古人道。一念不生全體現。六根纔動被雲遮。多見聰明之人。以妄心了了。放此妄心不下逗到歇至不動處。不肯自承當本性。便喚作空豁豁地。却擬棄有著空。是大病。若有心棄一邊。便是知解。不能徹底見性。此性非有不須棄。此性非空不須著。要當離却棄著有無。直下貼貼地。圓湛虛凝。翛然安穩。便自能信此真淨妙心。餉間被世緣牽拕。便能覺得不隨他去。直須長時虛閑自做工夫消遣諸妄。使有箇自家省悟之處始得。古人云。不離當處常湛然。覓則知君不可見。
以下google自動翻訳。
人のかかとが次に来るとき。元璜は元々決して動揺することはなかった。維摩経以前の時代から現在まで。澄み切った明るい心は平等です。ただ理性のためだけに、私たちは執着と差別を育みます。それから感情の世界の悩みや心配事もあります。鋭い心と勇気があれば。心身が一気に休まります。何も考えが浮かばなくなるまで。それが本当の顔です。古代人はそう言いました。思考が起こらないとき、全体が明らかになる。六感が動くとすぐに雲に覆われてしまいます。もっと賢い人々を見てください。誤った心で明確に理解すること。この妄想的な心を手放し、休息と静寂の状態に達するまで待ちます。自分の本質を認めようとしない。それは空き地と呼ばれます。しかし、私は持っているものを放棄するつもりです。それは深刻な病気です。それを脇に置く決心をするならば。それは知識と理解です。自然を十分に見ることができない。この自然を捨て去ってはならない。この性質は空虚なものではなく、執着する必要もありません。持つことも持たないことも、どちらも捨て去るべきです。まっすぐ地面に落ちます。丸くて、透明で、空っぽで、凝縮されている。平和で安全。そうすれば、あなたはこの真実で、純粋で、素晴らしい心を信じることが出来るでしょう。私は世界の運命に縛られている。すると、あなたは彼に従いたくないと感じるでしょう。自分自身に取り組み、気を散らすものをすべて取り除くために、長い自由時間を費やす必要があります。自己反省があって初めてそれを達成できるのです。古代人は言いました。決して現在の瞬間を離れず、明晰かつ冷静な状態を保ちましょう。あなたを探したら、あなたが見えないことが分かります。
「静かな円」といった意味で、人が執着を手放し悟った心の状態のことか。
また遠州には、「丸かれや」の歌色紙がある。
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右上が大燈国師の歌で「丸かれや唯まるかれや我がこゝろ かどある物にものゝかかるに」
左下にそれを受けた遠州の歌で「丸かれと思ふこゝろのかどにこそよろづの事の物のかゝるに」
この遠州の詠歌を宗明氏が書いた軸もある。すなわち、禅宗の円相と通じる思いがあるわけで、それにあたる漢語として、「湛圓」が選ばれているのではないか。
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小生なりに解釈すると「無事是貴人」と似たような意味かな?
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無事是貴人(臨済録)歳末、茶室などでよく見かける語です。
『臨済録』に「無事是れ貴人、但だ造作する事なかれ」とあるところから出ています。
この一年間たいした災難に遭遇することもなく、無事安泰に暮らしたという感謝の念と、またもう一年も無事でありたいと願う言葉して理解されがちですが、禅語として「無事是貴人」は少々違います。私たち人間には生まれながらに仏祖と寸分違わない純粋な人間性、すなわち仏になる素質というべきものがあるのです。しかるにそれを自分自身に向けて探究するのではなくて、外に向かって仏を求め、祖を求め、善知識を求め、悟りを求め、安心を求めて、ウロウロしているのが現実です。
「求心ぐしんやむ処ところ即ち無事」と臨済禅師は一喝します。求心すること、すなわち求める心がなくなったところが無事であり、貴人であり、仏であり、悟りであり、安心であるというわけです。とかく人はなにごとでも自分を離れて他にその「根」を求めがちですが、自分に振り返って自分の中に潜在している「根」を見つけ出す態度が必要なのではないでしょうか。
しかし、金も欲しい、色も欲しい、地位も欲しいとやむことない欲望の渦に翻弄される私達にとって、この「無事是れ貴人」の語はそういう理屈は別として、ずはり、燃え盛る煩悩の火をまず消して、人間本来の静かな心に立ち返らせることを教えているような気がします。試みに一度「無事是貴人」の軸の前に座してください。必ずや心に感ずるものがあるはずです。
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蒐集とはなんとも執着の塊か、悟りとは縁遠いもの。




































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