祖母が楽家の赤楽茶碗を所持しており、小生の仲人をしていただいた方の奥様に差し上げた作品がありました。ほんの少し口縁に欠けがあったので、漆工芸家に依頼して金繕いして差し上げたことがります。それはもう20年以上前のことです。
その方から同じく祖母から伝わった「仁清の茶入」を譲っていただきました。楽のお茶碗と仁清の茶入のどちらかをという選択だったのですが、楽のお茶碗はいつか入手できると判断し茶入を選択したのですが、その後とんと楽のお茶碗とは縁がありませんでした。無論、お値段も高く高嶺の花というのが本当のところです。
本日の作品は楽家代十三代の作品ですが、入手できたのは大きな補修跡があるからですが、それでも小生にとっては高い買い物でした。家内曰く「妥当じゃない」だと・・。
赤楽茶碗 十三代惺入作
共箱入
口径110*高台径45*高さ70
小ぶりな赤楽碗で高台脇に「十三代」と掻き銘があります。掻き銘のある作品は珍しく、自信作とうかがえます。赤楽に黒い釉薬でコントラストが幽玄さを醸し出しています。
残念ながら口縁から胴にかけて大きな補修跡があります。うまく共色で解らないように補修しています。
よく見ないと解らないくらい見事な補修ですが、キズモノとしての扱いになります。ま~、こういうキズモノでないと小生の資金では購入できないというのは的を得ています。
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十三代惺入:明治20年(1887年)~昭和19年(1944年)、十二代長男。本名は、惣吉(幼名)のち吉左衛門、喜英。1919年家督を継承、吉左衛門を襲名。印には「楽」上部の白の右側の糸偏が彡となっている草書体の「楽」印が特徴的でその他に「十三代喜英」の角印がある。
自信作には掻き銘がある。
作風は古来の楽家をよく踏まえ、自身が大変真面目な性格であったこともあり、非常に謹直であると言われています。また、書画や漢学、和歌などにも通じており、高い学識を持っていたそうです。しかし、真面目だったとはいえ古来の技法や作風を守ったのではなく、独自に各地の鉱石を研究し、釉薬に生かせないかと研究し、鉱石釉黒茶碗などを制作。楽茶碗のほかにも織部、志野、備前など、各地の陶磁も積極的に制作している。
釉薬の研究では、新たな技法を確立していきます。楽焼といえば、上部と下部で厚さの異なる釉を塗り、焼き上がりで上から下へと幕が降りるように景色を描く「幕釉」が有名ですが、惺入はさらに蛇蝎釉を合わせ、趣ある風景を描き出す技法を編み出しています。蛇蝎釉とは釉薬が織り成す蛇の鱗のような網目状の模様のことで、唐津焼のものが有名です。惺入はこの蛇蝎釉を効果的に使う技法を編み出しましたが、白い蛇蝎釉が有名で、黒茶碗 銘「荒磯」がそのもっとも代表的な作品です。
また、干支にちなんだ作品、御題の茶碗なども惺入に始まっています。干支に因む作品では、動物を象った香合が大変に可愛らしい作品として伝世しています。
歴代が編み出してきた箆目や造形の工夫もよく取り入れており、その作品は一見すると何気ない真面目さが表にあるだけのようにも見えますが、その懐は広く深く、趣深いものがあります。
また箆(へら)技術においても、個性的な表現が多く、全体的に見ると大胆な力強い作品を多く残している。没後、「惺入」の号は表千家12代惺斎宗左の「惺」字を取って、表千家13代即中斎宗左より諡号されました。
樂家家伝の研究を行い、昭和10年(1935年)~昭和17年(1942年)にそれらの研究結果を『茶道せゝらぎ』という雑誌を刊行し発表。しかし晩年に太平洋戦争が勃発、跡継ぎである長男も応召、研究も作陶も物資不足の中困難となり、閉塞する中没した。
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うす造りで楽特有の脆さを感じさせます。
手にに持った感触はさすがにしっくりときます。手動の轆轤で成型から削り、焼成も一作ごとに行なうのが楽ですが、それゆえ作者の造形の感覚が如実に出ます。永年、その製作方法で作りますが、非常に面白くもありますが個性を出すのが難しい製作方法です。
ひとつの箆づかいで全く違う持った感覚になったり、茶碗の景色が違うものになります。無論、やり直しはきかないものですが、焼成以外は私は夢中になって製作したことがります。何十個も作ったものですが、如何せん茶碗になるものは皆無に等しいくらい難しいものです。
その方から同じく祖母から伝わった「仁清の茶入」を譲っていただきました。楽のお茶碗と仁清の茶入のどちらかをという選択だったのですが、楽のお茶碗はいつか入手できると判断し茶入を選択したのですが、その後とんと楽のお茶碗とは縁がありませんでした。無論、お値段も高く高嶺の花というのが本当のところです。
本日の作品は楽家代十三代の作品ですが、入手できたのは大きな補修跡があるからですが、それでも小生にとっては高い買い物でした。家内曰く「妥当じゃない」だと・・。
赤楽茶碗 十三代惺入作
共箱入
口径110*高台径45*高さ70
小ぶりな赤楽碗で高台脇に「十三代」と掻き銘があります。掻き銘のある作品は珍しく、自信作とうかがえます。赤楽に黒い釉薬でコントラストが幽玄さを醸し出しています。
残念ながら口縁から胴にかけて大きな補修跡があります。うまく共色で解らないように補修しています。
よく見ないと解らないくらい見事な補修ですが、キズモノとしての扱いになります。ま~、こういうキズモノでないと小生の資金では購入できないというのは的を得ています。
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十三代惺入:明治20年(1887年)~昭和19年(1944年)、十二代長男。本名は、惣吉(幼名)のち吉左衛門、喜英。1919年家督を継承、吉左衛門を襲名。印には「楽」上部の白の右側の糸偏が彡となっている草書体の「楽」印が特徴的でその他に「十三代喜英」の角印がある。
自信作には掻き銘がある。
作風は古来の楽家をよく踏まえ、自身が大変真面目な性格であったこともあり、非常に謹直であると言われています。また、書画や漢学、和歌などにも通じており、高い学識を持っていたそうです。しかし、真面目だったとはいえ古来の技法や作風を守ったのではなく、独自に各地の鉱石を研究し、釉薬に生かせないかと研究し、鉱石釉黒茶碗などを制作。楽茶碗のほかにも織部、志野、備前など、各地の陶磁も積極的に制作している。
釉薬の研究では、新たな技法を確立していきます。楽焼といえば、上部と下部で厚さの異なる釉を塗り、焼き上がりで上から下へと幕が降りるように景色を描く「幕釉」が有名ですが、惺入はさらに蛇蝎釉を合わせ、趣ある風景を描き出す技法を編み出しています。蛇蝎釉とは釉薬が織り成す蛇の鱗のような網目状の模様のことで、唐津焼のものが有名です。惺入はこの蛇蝎釉を効果的に使う技法を編み出しましたが、白い蛇蝎釉が有名で、黒茶碗 銘「荒磯」がそのもっとも代表的な作品です。
また、干支にちなんだ作品、御題の茶碗なども惺入に始まっています。干支に因む作品では、動物を象った香合が大変に可愛らしい作品として伝世しています。
歴代が編み出してきた箆目や造形の工夫もよく取り入れており、その作品は一見すると何気ない真面目さが表にあるだけのようにも見えますが、その懐は広く深く、趣深いものがあります。
また箆(へら)技術においても、個性的な表現が多く、全体的に見ると大胆な力強い作品を多く残している。没後、「惺入」の号は表千家12代惺斎宗左の「惺」字を取って、表千家13代即中斎宗左より諡号されました。
樂家家伝の研究を行い、昭和10年(1935年)~昭和17年(1942年)にそれらの研究結果を『茶道せゝらぎ』という雑誌を刊行し発表。しかし晩年に太平洋戦争が勃発、跡継ぎである長男も応召、研究も作陶も物資不足の中困難となり、閉塞する中没した。
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うす造りで楽特有の脆さを感じさせます。
手にに持った感触はさすがにしっくりときます。手動の轆轤で成型から削り、焼成も一作ごとに行なうのが楽ですが、それゆえ作者の造形の感覚が如実に出ます。永年、その製作方法で作りますが、非常に面白くもありますが個性を出すのが難しい製作方法です。
ひとつの箆づかいで全く違う持った感覚になったり、茶碗の景色が違うものになります。無論、やり直しはきかないものですが、焼成以外は私は夢中になって製作したことがります。何十個も作ったものですが、如何せん茶碗になるものは皆無に等しいくらい難しいものです。