Quantcast
Channel: 夜噺骨董談義
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2933

春日 山本倉丘筆 その4 クマガイソウ ウラシマソウ ボタン ツツジ

$
0
0
それほど高い金額で売買されている画家ではありませんが、根強い人気のある画家のようです。当方では三作品目の投稿ですが、もう一作品は短冊がありますが、未投稿のようです。

春日 山本倉丘筆 その4
紙本着色軸装 軸先樹脂 共箱二重箱
全体サイズ:*横  画サイズ:縦*横



倉丘の画風は、戦前と戦後で大きくふたつに分かれるようです。

1.戦前期において伝統的な花鳥画をきびしく追求した本作品のような作品です。

2.戦後は油絵を中心とする西洋的な方法を取り入れ、華麗な世界を展開し、なおかつ毅然たる品格が漂っていると称されている作品群です。
この例は本ブログに投稿されている「二匹の魚(仮題)」や「緑泉」のような例のように思います。もっと評価されて良い素晴らしい作品だと思います。



本日の作品は花鳥画です。



*************************************

山本倉丘:本名伝三郎。明治26年(1893)10月12日、大方町伊田に生まれる。伊田尋常小学校、入野高等小学校を卒業後、高知市の呉服店の店員として働いたが、絵が好きで独学を続け、大正7年(1918)京都に出て山元春挙の画僕となり、画塾早苗会に入って本格的に日本画を学ぶようになった。

大正15年、第7回帝展に「麗日」が初入選、その後も帝展に続けて入選、花鳥画(動物を含む)を次々に発表して日本画壇に揺るぎない地歩を固めていった。この間、京都市立絵画専門学校に入学、昭和8年(1933)に卒業した。



第14回帝展では「菜園の黎明」が特選を受賞、昭和11年京都在住の画家池田遙邨・上村松篁その他と水明会を結成。昭和18年師の山元春挙没後は早苗会も解散し、翌年義兄堂本印象主宰の東丘会に入塾。戦後は日展をはじめ東丘社展・京展・関西展等に次々と力作を発表し、注目を浴びた。



昭和28年の第9回日展で初めて審査員となり、以来度々審査員をつとめ、33年に日展が組織替えして社団法人となると、評議員に就任して日展の発展に尽くした。36年には紺綬褒章を、41年には前年の日展出品作「たそがれ」により日本芸術院賞受賞、49年には日展の参与に推挙され、勲四等旭日章を受賞、55年には日展参事に就任、名実ともに日本画壇の重鎮と目されるようになった。



*************************************

家内に呼ばれて庭に出てみると「浦島草」が咲いていました。



和名の起源は「浦島太郎が持っている釣り竿の釣り糸に見立てたか?」とされているとか・・・。



しかも「性転換」する植物らしい。



君子欄も咲いていました。名前の由来は元々クンシランと呼ばれていたノビリスの名前から来ているらしく、ノビリスとは「高貴な」という意味で、それに「君子」という言葉を当てたとか・・。



先日割いていた牡丹は散り、別の牡丹が咲いていました。



「花の命は短くて・・。」



色とりどり。



華やかな華ですね。



クマガイソウは意外に開花時間は長い。関東の二箇所しか自生していないらしい。



ツツジも咲いています。



花木検定を立ち上げた設計の友人がテキストを持ってきてくれました。途中で頓挫したのでもう発売していないらしいです。








Viewing all articles
Browse latest Browse all 2933

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>