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Channel: 夜噺骨董談義
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忘れ去られた画家 春夏秋冬四幅対? 天野方壷筆 その3

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本日の紹介する画家は、富岡鉄斎と並び称せられる明治期の南画家の天野方壷です。本ブログでの天野方壷の作品の投稿は三作品目となります。

四幅対なのか否かは断定できておりません。というのはばらばらで売られていたのを各々別々にまとめて購入したものだからです。売主は同一人物であり、出所は同じで作行から同時期に描かれた作品であろうと推察されます。春、夏、秋、冬と四季に関した山水画がメインとなっております。

ホームページがあるなど未だに根強い人気がありますが、知っている人は少なく「忘れ去られた画家」と言えるでしょう。遺っている作品の中で本作品は天野方壷の稀代の傑作であろうと思います。

春夏秋冬四幅対 天野方壷筆
絹本墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦2070*横740 画サイズ:縦1320*横495

天野方壷については不明な点も多いのですが、その理由として、彼は明治画壇の本流から外れ、弟子も少なく、また、著作や日誌の類がなく、もっぱら画家として芸術家の生涯を貫いたためと考えられています。その評価は昭和前半は高かったのですが、終戦とともに衰退したそうです。あらためて再評価する値のある画家であろうと思われます。



春夏秋冬としての四幅ですが、箱も無く一部には軸先も無くなっており、基本的にこの作品の来歴は不明です。ただ冬の賛より1881年(明治14年)天野方壷が58歳頃の作であると推察されます。



実は当方では購入後はしばらくは本作品を失念しており、引越しに際して作品の所在に改めて気がついて「さて、なんとかしてやらねば」と思った作品です。



本作品を改めて左右の床の間に掛けて俯瞰すると天野方壷の作品は実に重々しい。俗塵離れをした天野方壷の作風は、当時南画の尖端を行く作家にふさわしい貫禄を示しているということでしょう。この重苦しさが小生がこの作品の原稿整理に机に向かわなかった原因かもしれません。

師としたのは土佐光孚、貫名海屋、中林竹洞、日根対山、椿椿山、橋本雪蕉、木下逸雲、富岡鉄斎(鉄斎は友人?)と本ブログでもお馴染みの画家が名を連ねていますが、画力も学識もよく鍛錬された画家ですが、富岡鉄斎のようなユーモアさより、これぞ南画という重苦しさがあります。

河野是山[伊予絵画概説]の方壷略伝によると「英昭皇太后(明治天皇の母君)より揮毫を命ぜられる光栄に浴し、名声を博す。」とあります。ただ、その絵がどのようなものだったか不明ですが、忘れ去れられていく南画の中でもっと注目すべき画家の一人には相違ないでしょう。

価値や如何・・・? 価値はさておいて絹本に描かれている本作品は状態も良く、出来のよい作品には相違ないようです。四幅の作品を一品ずつ今後投稿していきたいと思います。


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