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Channel: 夜噺骨董談義
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椿鶯図 橋本雅邦筆

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息子との郷里での夏季休暇は夏真っ盛りの自然とのふれあい・・、まずは庭木の成長具合の確認。



近所の散策、吹き渡る風が都会とは違います。今年の稲の具合は? 蜻蛉が飛び交い、蛙の合唱が響き、夜には虫の音との交響曲となる。



ときおりの休憩は近所の美味しいところへ、最近は田舎といえでも食にこだわるお店も多くなりました。



移動中は睡眠・・、ともかく寝る子は育つ。



さて、帰省前の箱根旅行での美術館見学の後には富士屋ホテルで喫茶・・、その間は小生と息子は池の鯉に夢中・・。



宿泊以外で訪れた範囲内でこの建物内を観た感想は、展示品にしろ、作りにしろ、このホテルで見るべきものはないということ。造りはよくなく、悪趣味の塊のようなもの、これをよしとする感性は歪なもの。

我ら庶民はちょっぴり贅沢な別のホテルへ・・、案内されたホテルの部屋の床には山内多門の額装が・・、「いいね!、趣味がいい。」、家内も「これはお気に入り」とのこと。工芸品などの印刷ではなく、額装されているとはいえ本物が掛けられているというのはいものです。

とりあえずいつなんどき、どのような場でも床の軸くらいはどの程度のものかを解るようになっているべきでしょう。。



1920年(大正9年)の作品ですね。「夏七月 於いて 京□」とあります。



山内多門というと川合玉堂とその師である橋本雅邦に入門していた画家です。山内多門の作品については資金繰りのために品を手放したという苦い思いがあります。

床に間に飾られた作品は「チフスを患うが九死に一生を得た後、中島観誘に就いて禅を深めるなど、より内生的になっていく。」という頃の作品らしい。「ウム~」

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山内多門についての記事より

宮崎県都城市倉之馬場通東に山内勝麿の子として生まれる。16歳で郷里で狩野派の中原南渓に学ぶ。1899年(明治32年)に上京、同郷の造船技師で経営者だった須田利信の家に寄寓しながら、川合玉堂に入門、雅号都洲を授かる。

翌1900年(明治33年)橋本雅邦に師事し、前期日本美術院に参加、同年第8回日本美術協会第三回日本美術協会連合絵画共進会「三顧草盧」という歴史画で初入選。

1903年(明治36年)画号を本名の多門に改める。この頃は須田の後援を受け研鑽に励み、同じ院展の中堅画家山田敬中と比較されるまでになる。この頃は伝統的狩野派風の肥痩や圭角の強い線ではなく、雪舟の広大で雄渾な山水画に多く学んでいる。

1906年(明治39年)国画玉成会の創立同人に名を連ね、後に幹部となる。大正に入ると二葉会の幹事も務める。1916年(大正5年)チフスを患うが九死に一生を得た後、中島観誘に就いて禅を深めるなど、より内生的になっていく。

雪舟の影響を脱し、むしろ与謝蕪村風の余情ある画趣に引かれる。再興院展後は院展より官展に出品し、後に審査員となる。1930年(昭和5年)聖徳記念絵画館に大作を献納してから床につくことが多くなる。若葉会の会頭として多くの後進の指導に努めたが、1932年(昭和7年)病となり没した。

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ということで前置きが長くなりましたが、本日は久々に山内多門の師である「橋本雅邦」の作品の紹介です。

椿鶯図 橋本雅邦筆
絹装軸紙本水墨 軸先象牙 橋本秀邦昭和16年鑑定極箱入
全体サイズ:横400*縦1080 画サイズ:横260*縦190



意外に多いのが橋本雅邦を師とする日本画家です。川合玉堂が代表ですが、池田焦園などもその一人です。



掛け軸は床の間だけでないところに飾ることをしていかないと飾る場所がなくなってしまいますね。当方も工夫しながら飾っています。



このような小点の作品は飾るところに意外に応用が効きます。額装にするというのもひとつの策ですが、表具の面白味がなくなってしまいます。



円窓の作品は幕末の狩野派の画家が好んで描いています。幕末から明治期にかけて流行?したのかもしれません。なかなかモダンな洒落た作品となっています。



子息の橋本秀邦の鑑定箱ですが、この鑑定はよく見かけますので真贋を鵜呑みにはできません。書体や印章にて判断する必要があります。本作品は当方では真作と判断しています。

 

本作品は印章のみの作品ですが、橋本雅邦の作品にはときおり印章のみの作品を見かけます。本作品に押印されているこの印章は珍しいかもしれませんが、同一印章を確認できています。

 

山内多門の作品から橋本雅邦を思い出す人は少ないでしょうね。しかも山内多門の作品の月の円から円窓の作品を・・・・。こういう発想の鑑賞も面白いと思います。

とにもかくにも、なにごともまず知識から、そしてその後に経験、最後にそれらを糧にした知恵、されには究極は感性へ・・、ただし感性が歪であってはいけません。背筋がまっすぐな感性、ものごとは王道を歩まなくてはいけません。小生の骨董などまだまだ邪道。

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