本日は月岡雪斎の作品の紹介です。本来は浮世絵の画家ですが、どうも浮世絵の画家でありながら、美人画以外の作品のほうが良いように思います。
もともと小生は一部の作品をのぞき浮世絵の美人画には価値はないと思っています。とくに幕末の歌川派以降の作品群は下手物以外の何者でもありませんね。肉筆もしかり・・・。ま~、美人そのものに大いに懐疑的ですが・・。
鐘馗図 伝法橋月岡雪斎筆 その3
絹本水墨軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横680*縦1860 画サイズ:横540*縦1290
Image may be NSFW.
Clik here to view.
安永7年(1778年)に、父月岡雪鼎が法眼になるのと同時に法橋に推免せられ、更に父同様法眼に進んでいます。ゆえに1778年以降から数年間の間に製作された作品と推察されます。落款から法橋の早い時期の段階で描かれた作品であると判断できます。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
月岡雪斎の略歴は下記のとおりです。本ブログで紹介されている月岡雪鼎、吉村周山、月岡芳年らと関連しています。
*********************************************
月岡雪斎:月岡雪鼎の長男。大坂の人。通称は為三郎、名は秀栄。字は大素。巍江斎と号す。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
父雪鼎と狩野派の吉村周山に絵を学んだ。天明(1781年-1789年)末から天保(1830年-1844年)の頃に活躍し、天明7年(1787年)頃には父と『和漢名家画繍』を合作している。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
安永7年(1778年)に、父雪鼎が法眼になるのと同時に法橋に推免せられ、更に父同様法眼に進んでいる。また後年には江戸に移ったともいわれる。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
人物画や花鳥画を得意としていたが、特に肉筆美人画にその手腕を発揮し、雪斎による美人画は父雪鼎より練達した筆致で描かれ、注目すべき作品が多い。法橋期は美人画を雪鼎譲りの豊麗さと可憐の風情で描いた.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
参考作品
「人形遣い図」&「月下美人図」 共に法橋期 絹本着色 東京美術館蔵
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
*本作品と「人形遣い図」が同一印章のように思われます。
法眼期になると当世美人に加え古典的主題を得意とするようになった。墓所は下谷竜泉寺町の竜泉寺にあったが現存しない。子に雪操と雪洞、門人に弟の月岡雪渓がいる。雪斎の養子になったとされるのが月岡芳年である。
*********************************************
鐘馗、法橋などの用語については本ブログをお読みの方はすでに掲載されていますので説明は省略します。とくに「鐘馗」を描いた作品は本ブログでかなりの数が紹介されています。
小生の所蔵する「鐘馗」を描いた作品でのお気に入りは寺崎廣業、福田豊四郎、平福穂庵などの郷里の作品です。
今回、月岡雪斎を再度調べているうちに以前に紹介した下記の作品と同じような作品を見つけました。
遊鯉之図 その1 法眼月岡雪斎筆
絹本着色軸先鹿骨 合箱入
全体サイズ:横659*縦1260 画サイズ:横539*縦320
Image may be NSFW.
Clik here to view.
鯉の構図が下記のボストン美術館蔵の作品とほぼ同一です。ボストン美術館蔵の作品が「法橋」と記されており、先に描かれた作品と推察されます。
参考作品 鯉図 月岡雪斎筆 法橋期 絹本 ボストン美術館蔵
Image may be NSFW.
Clik here to view.
ともかく調べていくといろんなことが解ってくる骨董の世界ですが、肝に銘じなくてはいけないのは「思い込み」です。常に真贋も含めてこれは正しい判断かということを反芻することでしょう。
よって本日の作品もまだ「伝」ですImage may be NSFW.
Clik here to view.
もともと小生は一部の作品をのぞき浮世絵の美人画には価値はないと思っています。とくに幕末の歌川派以降の作品群は下手物以外の何者でもありませんね。肉筆もしかり・・・。ま~、美人そのものに大いに懐疑的ですが・・。
鐘馗図 伝法橋月岡雪斎筆 その3
絹本水墨軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横680*縦1860 画サイズ:横540*縦1290
Image may be NSFW.
Clik here to view.

安永7年(1778年)に、父月岡雪鼎が法眼になるのと同時に法橋に推免せられ、更に父同様法眼に進んでいます。ゆえに1778年以降から数年間の間に製作された作品と推察されます。落款から法橋の早い時期の段階で描かれた作品であると判断できます。
Image may be NSFW.
Clik here to view.

月岡雪斎の略歴は下記のとおりです。本ブログで紹介されている月岡雪鼎、吉村周山、月岡芳年らと関連しています。
*********************************************
月岡雪斎:月岡雪鼎の長男。大坂の人。通称は為三郎、名は秀栄。字は大素。巍江斎と号す。
Image may be NSFW.
Clik here to view.

Clik here to view.

父雪鼎と狩野派の吉村周山に絵を学んだ。天明(1781年-1789年)末から天保(1830年-1844年)の頃に活躍し、天明7年(1787年)頃には父と『和漢名家画繍』を合作している。
Image may be NSFW.
Clik here to view.

安永7年(1778年)に、父雪鼎が法眼になるのと同時に法橋に推免せられ、更に父同様法眼に進んでいる。また後年には江戸に移ったともいわれる。
Image may be NSFW.
Clik here to view.

人物画や花鳥画を得意としていたが、特に肉筆美人画にその手腕を発揮し、雪斎による美人画は父雪鼎より練達した筆致で描かれ、注目すべき作品が多い。法橋期は美人画を雪鼎譲りの豊麗さと可憐の風情で描いた.
Image may be NSFW.
Clik here to view.

参考作品
「人形遣い図」&「月下美人図」 共に法橋期 絹本着色 東京美術館蔵
Image may be NSFW.
Clik here to view.

Clik here to view.

*本作品と「人形遣い図」が同一印章のように思われます。
法眼期になると当世美人に加え古典的主題を得意とするようになった。墓所は下谷竜泉寺町の竜泉寺にあったが現存しない。子に雪操と雪洞、門人に弟の月岡雪渓がいる。雪斎の養子になったとされるのが月岡芳年である。
*********************************************
鐘馗、法橋などの用語については本ブログをお読みの方はすでに掲載されていますので説明は省略します。とくに「鐘馗」を描いた作品は本ブログでかなりの数が紹介されています。
小生の所蔵する「鐘馗」を描いた作品でのお気に入りは寺崎廣業、福田豊四郎、平福穂庵などの郷里の作品です。
今回、月岡雪斎を再度調べているうちに以前に紹介した下記の作品と同じような作品を見つけました。
遊鯉之図 その1 法眼月岡雪斎筆
絹本着色軸先鹿骨 合箱入
全体サイズ:横659*縦1260 画サイズ:横539*縦320
Image may be NSFW.
Clik here to view.

鯉の構図が下記のボストン美術館蔵の作品とほぼ同一です。ボストン美術館蔵の作品が「法橋」と記されており、先に描かれた作品と推察されます。
参考作品 鯉図 月岡雪斎筆 法橋期 絹本 ボストン美術館蔵
Image may be NSFW.
Clik here to view.

ともかく調べていくといろんなことが解ってくる骨董の世界ですが、肝に銘じなくてはいけないのは「思い込み」です。常に真贋も含めてこれは正しい判断かということを反芻することでしょう。
よって本日の作品もまだ「伝」ですImage may be NSFW.
Clik here to view.
