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古染付煎茶碗五客

子供の頃、一緒に祖母の姉が一緒に家に住んでいたりして、煎茶の道具が家にいくつかありました。このような煎茶茶碗ではなく、綺麗な揃いものでしたが小さく、すぐに欠けてしまいそうな碗が時折、懐かしくなります。

古染付煎茶碗五客
合箱
口径約60*高さ40

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古染付は中国明末の天啓〜崇禎年間(1621年―1644年)にかけて,景徳鎮窯の民窯で焼成された粗製の染付磁器を指します。その多くは,日本の茶人からの注文によって作られたと見られ,花生や水指,懐石道具類,茶碗,香炉,香合といった作例が多くあります。ただし、京都で製作された模倣品も多く、きちんと虫喰いもあり素人判断では区別がつきにくいので注意を要します。

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古染付の煎茶碗は五客揃で数多く残されていますが、この染付文様は実に面白くて秀逸な出来です。

まるで大津絵の鬼念仏のような図柄です。

鬼念仏は鬼が僧衣をまとっている絵で、慈悲ある姿とは裏腹な偽善者を諷刺したものです。鬼の住まいは人間の心の内にあるということで、描かれた鬼の角は、佛の教えである三毒(貧欲・瞋恚・愚痴)いわゆる人々の我見、我執であると言えます。

人は自分の都合で考え、自分の目でものを見、自分にとって欲しいもの、利用できるもの、自分により良いものと、限りなく角を生やします。大津絵の鬼は、それを折る事を教え、鬼からの救いを示唆しているとも言われています。

想像ですが、本作品は日本から中国に注文で作られもので、その時に大津絵の鬼念仏の絵を渡して、このような図柄で作って欲しいと依頼したのではないかた思われます。

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側面に書かれた文字はなんと読むのでしょうか?

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購入当初はかなり茶渋によって茶色に汚れていました。

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上と下の写真は洗浄前の状態です。

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茶渋は洗うとわりに簡単に汚れが落ちます。

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重ねて保存していたので重ねている部分の汚れが酷かったようです。

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見込みも高台内もきれいになりました。骨董市で本作品が陳列されていても、洗う前のこのような小汚い、ニュウの入った器を買う人は滅多にいなでしょうね。ただ煎茶だけだなくお猪口にも使えますし、古染付はわりとお手頃な値段で購入できます。

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保存されていたのは布? 紙? で作らた円筒形の筒です。たしか煎茶の道具にこういう器があったような気がします。

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これはいくらなんでも補修できないかな?

こんなガラクタが身の周りに増えすぎて、現在整理と処分中Image may be NSFW.
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十錦手草花紋小皿五客揃 清朝

今週から3月、年度では最終月となります。あっという間の一年で、早いものです。

本日は何に使おうかと愉しくなる器です。清朝の民窯で焼かれたわりと粗雑な揃いの小皿ですが、何にでも使えそうな気がします。

十錦手草花紋小皿五客揃
合箱
口径100*高台径53*高さ23

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十錦手 は「じっきんで」と読みます。碗・皿類の揃いのもので、一個ずつ色変わりや模様変わりのものを指し、また中国清朝雍正年間(1723-35)より現われた粉彩のものを十錦手といいます。

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五彩の絢爛なのを錦手と称し、不透明な磁邪質彩料で絵付した粉彩を十錦手と呼びますが、すなわち「十錦手」とは中国清時代に流行した「多くの色を使用し塗り埋め方式で装飾」した焼き物の総称に使われます。

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本ブログを一通り読まれると意外と骨董の知識が豊富なようなきがしませんか? 実は私は「十錦手」という言葉を知りませんでした。スペインやイタリアの器と言われても、そうかなと思うような色合いです。

さてブログをお読みの皆様ならこの小皿を何に使いますかね?


雛祭り

先週、家内が飾ったお雛様と小生が掛けた掛け軸を見ながら、週末は家内の実家で雛祭りということで和菓子とお薄で一服。

お茶碗は整理したお茶碗から安南手を用意しました。家内の実家にあった欅の根を加工したテーブル?で撮影しました。

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一番のお気に入りはこの茶碗。紅安南手をはいきませんが、かれたような一色で描かれた鳥の絵がかわいい作品です。どっしりとした高台が魅力です。

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時代は若く、日本で製作された可能性があるトンボが描かれた沓型に近い変形したお茶碗も捨てがたい魅力があります。

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こちらは形が品の良いお茶碗です。

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家族で子守の合間の団欒のひとときでした

遊女立姿図 月岡雪鼎筆

最近、喜多川歌麿の大きな掛け軸が再発見され、大きな話題となっています。あんなに大きな掛け軸が三幅一対であるそうですが、どこに飾ったのでしょう??

本日は喜多川歌麿とは比較になりませんが、浮世絵に肉筆画の紹介です。


明治時代の稀有の浮世絵師である月岡芳年をご存知の方は多いと思います。最近は非常に人気が高く、展覧会などで多くの人が愉しまれています。

本ブログでも月岡芳年の版画作品は投稿してますので、リンク先から参考にしてください。

本日はその父にあたるという説のある?絵師の作品です。この絵師の長男は月岡雪斎とされていますし、本ブログでも月岡雪齋の作品を二作品を投稿しており、そのように紹介してきましたが、月岡芳年が月岡雪鼎の長男?どうもそのような説があるようです。ただし、通説は月岡雪斎の養子となっています。

遊女立姿図 月岡雪鼎筆
絹本着色軸装 軸先木製 極箱入 
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦

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月岡という画家だけで幕末から明治にかけて多くの画家がいます。前述のように数少ない本ブログの投稿だけでも月岡雪鼎、月岡雪斎、月岡芳年、月岡耕漁(門人)がいます。

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最近の日経新聞にも薩摩島津家の初代は、源頼朝の御落胤という説があり、鎌倉の源頼朝のお墓を幕末から明治期に島津家で整備したとかImage may be NSFW.
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 これは本当のことのようです。歴史ヒストリアの出演している女性アナウンサーの談話として日経新聞に掲載されていました。

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前々からなんとか入手したいと思っていた月岡雪鼎の作品です。春画の名手ということからではありません。そう、月岡雪斎は春画の名手と言われています。

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月岡雪鼎:享保11年(1726年)〜天明6年12月4日(1786年1月22日)。姓は源、本姓は木田、名は昌信。俗称を馬淵丹下といい、字は大渓です。号に、信天翁、月岡山人、露仁斎、錦童、桃漪などと号しました。

本作品の落款には「信天翁応需戯画 押印」とあり、どなたかに頼まれて描いた作品であり、「戯画」ということから席画よりは細部は描かれていますが、力作ではない作品と伺われます。

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近江国蒲生郡日野大谷村(現在の滋賀県蒲生郡日野町大谷)生まれ。大谷には「月岡山」という小高い丘があり、雪鼎はこの山の名称から「月岡」と号したと伝承があります。現在、この月岡山には雪鼎を顕彰する石碑が建てられています。浮世絵師「月岡」は月岡雪鼎からが始まりです。

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最初、同郷の京狩野派の絵師・高田敬輔門下で、本格的な画法を学んでいたが、西川祐信の影響で美人画を描きました。 仁和寺に申し出、明和2年(1765年)6月に法橋、安永7年(1778年)3月に法眼に推免されました。落款には「法橋」、「法眼」が多く記されています。「法橋」、「法眼」については本ブログ読まれている方には説明は不要ですね。

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作画期は宝暦3年頃から没年の天明6年に到っており、肉筆浮世絵の他、版本の挿絵にも筆をとりました。肉筆画の大部分は、美人図で、賦彩の美しい画品を具えた作品が数多く見られます。

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豊艶な美人の肢体に、肉色の線を使用することでも、特色があります。墨と同じラインに肌色が見ます。

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雪鼎の描く女性は、京都のものとは異なる独特な写実性のある作品が多い。また、春画の名手としても知られています。

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天明の大火の時、焼け跡の中になぜか残っていた蔵がありました。訝しんだ人々がその蔵の中に入ってみると、その持ち主も見覚えのない雪鼎の春画があったといいます。この逸話が広まり雪鼎の春画は火除になると評判が広がり、値が十倍にもなったそうです。また、貴族からも好みに応じて描き、その絵の値段は三十金・五十金にもなったと言われています。Image may be NSFW.
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この絵の見どころのひとつに着物の龍の柄があります。いいですね、登龍・・。火事の厄払いとともに縁起の良い絵です。貴族からの依頼で描かれたかもしれません。

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1775年、大坂浪華塩町の心斎橋筋に移住しました。享年77。長男月岡雪斎、次男月岡雪渓も浮世絵師。門人に蔀関月、岡田玉山、墨江武禅、森周峰など。門人と推定される絵師に田中巨川斎もいます。また一説に、月岡芳年は雪鼎の長男、月岡雪斎の画系をひいているといわれています。

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改めて記しますが、本ブログに掲載されている月岡雪齋月岡芳年月岡耕漁らは「月岡」ということより血縁、師弟関係で繋がっています。

ところで本作品の印章はななんと書かれているのでしょう??

「姓源氏木田名昌信□□号雪鼎□号□□自□□□□翁」という朱文白円印と「□□□□」と中央に記された香炉印を用いています。

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表具はだいぶ痛んでいますが、粋な表具です。

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締め直し(現在の表具の材料をそのまま使うこと)で直したら、見栄えの良い作品となろうかと思います。

ところで箱書きは誰なのでしょうか?

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「信天翁姓源氏木田名昌信号雪鼎 昭和六年十月 □□□」とあります。

走馬押紋青磁四寸皿

昨夜は久しぶりにサッカーの試合をテレビ観戦しましたが、なんとも相変わらずストレスの溜まるサッカーの男女日本代表の試合でした。

青磁の古くていいもの?は割と入手できないもののようです。品がなかったり、釉薬が厚くぼてっとした感じがしたり、貫入が汚かったりものが多いですが、本作品は小さめの皿ながら気に入っています。

走馬押紋青磁四寸皿
 塗箱
口径135*高台径60*高さ35

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塗の箱には「唐物青磁走馬押紋皿」とあります。売主の説明では「宋時代 と思われる龍泉窯の作品」とありましたが。宋時代??・・、龍泉窯?・・・・、当方では詳しい生産地や時代は解りかねます。

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馬の紋様という説明でしたが、馬に見えますか?? 馬といえば馬のようでもありますが・・。
ま〜、馬ということで干支でもあるし、縁起がいいお皿にしておきましょう。

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写真では粗雑な作りのように見えますが、実物は意外と品があります。

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実にさりげない作品ですが、時代や生産地は残念ながら当方では良く解りません。高麗青磁というのも視野に入れなくてはいけないかもしれません。

ともかく、政治の、もとい青磁の世界は魑魅魍魎・・。

大津絵 その14 提灯釣鐘   

大津絵は本作品で14作品目の投稿となります。

大津絵は世相を風刺した主題がある作品がありますので、何を風刺した作品なのかを理解していないと面白味がわからない作品も群があります。

大津絵 その14 提灯釣鐘   
紙本着色軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:縦1245*横372 画サイズ:縦503*横269

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猿が天秤棒(てんびんぼう)を担ぎ、前には提灯、後ろには釣鐘をさげていますが、何故か天秤の傾きは、軽いはずの提灯が下がり、重い釣鐘が上がっています。これは、重んずべきものを軽んじ、道理が転倒している世の中を風刺したものとされています。

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必ずしも猿=悪とは限りませんが、大抵の大津絵では猿が愚者の象徴として登場しています。この図でも、猿は道理に合わないことをする者、物事の軽重をないがしろにする者として描かれています。

もっとも、猿が無理矢理、釣鐘を持ち上げているのではなく、世の中がそういった不条理であふれているという解釈の仕方も可能です。「全く違って釣り合わないもの」の例えで、「月とすっぽん」などと似た意味合いです。片側が極端に重いということから、「片思い」に引っ掛けた洒落も存在します。

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かなり古くから描かれていた図のようですが、最も多く現存しているのは江戸後期の一枚版の図で、かなりの人気があったようです。猿の顔がとても面白く描けています。

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猿の表情が実に面白いですね。

さて、賛はなんと書いてあるのでしょうか? 

道歌と称し、絵によって決まっているようで、「提灯釣鐘」の場合は「身をおもう思いはおもく 主親はかろくなりぬる人の姿よ」と書いてあるようです。「人は自分を大切にするが、親を軽んじる」という意味かな?Image may be NSFW.
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大津絵の道歌

世俗画は当時栄えた世相が刺激したものであり(役者とか太夫とか)さらに進むと、今度は当時流行した「心学」の大きな影響を受けて、大津絵もその性格に一変化が起きました。これを内容の上から第三期と呼んでもよく、ここでは仏画が衰えを示しますが、世俗画は画題の数をさらに増し、しかも特殊な目的を浴びるに至りました。

初期の世俗画が「諷刺的」であったのが、心学の変化はこれをさらに「道訓的」なものに変わりました。この期の大津絵に見られる著しい特色は、二枚版がようやく少なくなって、一枚版が流行したことと、さらにその一枚版には絵の周囲に道訓的な和歌を添えるに至ったことであって、これが第三期と云えます。

本作品はこの歌があること、二枚綴りであることより、第三期への変遷期の作品と思われます。

大津絵の二枚綴について

二枚綴(にまいつづり)は二枚継ぎとも呼ばれ、古典的な大津絵の特徴となっています。最も入手が容易で安価であった半紙を、絵を描きやすい大きさに継ぎ合わせたものです。

江戸初期から中期にかけての大津絵は、ほとんどがこの二枚綴の大きさでした。初期には稀に三枚を継いだより大きなものもあったようです。江戸後期は、逆に継ぐことをやめ、半紙(半紙のサイズ:縦24〜26センチ、横32〜35センチ)そのままのサイズで描くようになっていきます。

江戸初〜中期の大津絵として売られているもので、二枚綴・三枚綴以外のサイズであったり、継ぎが無いものは考えにくいので、古大津絵を入手するときには一つの判断ポイントになります。

当方も近代の作品を古いものと思い購入し、あとで継ぎ目を思い出して確認すると一枚であり、地団駄を踏む思いをしたことが何度かあります。さらには継ぎ目まで設けた近代の作のあるのでますます注意を要します。

大津絵(日本民藝館所蔵・東方出版)の本に画家の浅井忠旧蔵の「提灯釣鐘」が掲載されています。

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その評には「猿の性格を見事に捕えて表現した一図として、この図は最も優れた一幅といえよう。・・云々、簡単な線と描写とで、残りなく、画意を伝え得た佳作と讃えてよい。特に猿の顔は並々ならぬ表現。」とあります。

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本作品は無論、この作品より時代が下がるものですが、やはり一枚絵よりは味わいがあるようです。

大津絵は古いほど良い作品が多く、近代の作品はとても及びつくものではありません。

山茶碗

本ブログの閲覧者数がもうすぐ150万人を突破しそうです。骨董に興味のある方が多いのは良いことだと思っていますので、時間の作れる限りは投稿を続けようかと思っています。

骨董蒐集を初めてまもない頃、骨董市で見かけてちょっと気に入って買った山茶碗。その作品は本日の作品とまた違った味わいのあるもののように記憶していますが、どこに収納したやら?? どうも郷里の自宅にありそうですが・・。

本日は最近入手した山茶碗。一万円もしないものですが、意外やこれがかなりの掘り出し物のように思われます。

骨董は数千円からはじめることができます。なにも高価なものを集めるのが骨董蒐集ではありません。高価なものを追いかけるとお金がかかるわりにガラクタばかりになることのほうが多いですので、名もない画家や目もくれない陶磁器の中から良いものを選んだ方がいいものが集まりまし、骨董収集の醍醐味はそこにあるように思います。

山茶碗
合箱
口径135〜165*底径*高30

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山茶碗は、山に造られた窯跡から沢山出てきたので山茶碗と名づけられたようです。

薄手の茶碗ですが土は荒々しく石英の粒が吹き出しています。本作品にもそのような石はぜが見られ、ひとつの景色となっています。なお一説には、窯で焼いた壷や瓶等に被せておく為に作られた蓋であったという説があります。

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山茶碗と呼ばれているものは、平安時代の末ごろから鎌倉時代全般ごろまでの間にかけて、瀬戸をはじめその近郊の常滑や猿投の製陶地で焼かれた簡単な形状の皿や浅い碗を呼びます。

極めてシンプルで無駄なく形作られ、粗暴とも見えるこの焼き物の中には力強い存在感がある作品が稀に存在します。

反面雅味深い静かな美しさが備わるものが最上とされます。本作品は織部の沓茶碗に似た形の面白さが見られ、自然が生み出した豪放奔放な趣があります。

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昔はそれほど人気がなかった様ですが、近頃では良品を見つけるのはなかなか難しくなったようです。もともと完品が少なく、それは山茶碗が本来は無釉の状態で焼かれたもので、20個から30個の器を積み重ねて焼いたためかもしれません。

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ただ不思議な事はそれを焼いた窯跡からは,破片だけでなく完器のままで多く出土します。重ねたそのままで焼き付いてしまって発掘されるものもあります。本作品のように一部補修されているのは珍しくないようです。

灰のよる釉薬がほんの少し残っています。

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須恵器窯の高温状態で焼かれた為に、器のまわりには燃料に使った松木の灰が窯の中に舞って降りかかっています。その木灰は高温の為に溶け、降りかかった器の土に含まれている鉄分と化学反応を生じ、偶然にガラス質の釉薬となります。本作品にも若干ですがそれがみられます。

その“自然の釉”は、灰緑色や時にブルーの色となり器に美しい景色をもたらします。器肌の色は灰白色のものが多く、いくぶん褐色を帯びた灰黄色をしているものもあり須恵器系窯で焼かれた事は間違いありません。中には瀬戸の様に穴窯でやかれたと見えるものもある様です。

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胎土には石英や長石などの小砂粒が混じっていて、古い時代のものほど雅な味わいが深く、端正で均衡のとれた形をしています。作りも薄くかなり堅く焼き締まっていて、古い時代のもの程自然釉も多くかかっていますが、時代が下がってくるにつれて作も粗雑になり、素地も粗く自然釉もあまりかからなくなる傾向にあります。

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さて本作品はいつごろ作られたのでしょうか? 窯の職人が自分らの飯の器として作ったのかもしれません。粗雑な高台には奇異を衒うことなく、実に無作為で素晴らしい力強さがあります。

見どころがたくさんあるいい器だと思います。古い織部の沓茶話のような楽しさがりますが、大きな違いは意識的に作られた織部と無意識の自然の造形の山茶碗という点です。この違いは大きい・・・。

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さて何に使おうか・・、接着剤を除去し補修跡はどう料理するか・・、愉しみが尽きない骨董の世界です。

時には抹茶の席でお茶碗として使われるものもあるそうです。このような器を使いきれるのは、かなり粋な御仁?でないと無理なようですね。

使いきれるかというと先日、アイホンを購入しました。べつに会社支給の普通の携帯で困るわけではなく、iPadも支給されているので必要がないといえばそうなのですが、リタイアも近いので個人のものが欲しくなったというのがホントの理由です。つでに? 家内も機種変更Image may be NSFW.
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操作がいまひとつ解りづらい? 携帯、アイホン、iPad・・・Image may be NSFW.
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古沼採蓴 酒井三良筆 その2

先日は彫刻コンクールの表彰式に出席、そして翌日は半日人間ドック・・。
人間ドックは受診することをお勧めします。当方二つほどを人間ドックによって発見し早期で治療でき、今のところなんら支障のない状態になっています。

むろん、人間ドックは完璧ではありません。亡くなった家内とは一緒に一泊ドックを受けていましたが、早期発見ができずに一年の闘病の末に亡くなっています。いずれ人間ドックの限界を知ったうえで、ペットやオプション、主治医によって細部を調べる必要があるのは止むを得ません。

さて、本日の作品です。

私の郷里の名物のひとつにジュンサイがあります。それほど美味しいとは思いませんが、触感が変わっていて人気があります。
そのジュンサイを採っている酒井三良の作品というのが入手した理由です。

古沼採蓴 酒井三良筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱二重箱
全体サイズ:縦1270*横530 画サイズ:縦300*横390

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ジュンサイ(蓴菜)は寒天質で覆われた若芽は日本料理で食材として珍重される。ジュンサイは秋田県の郷土料理とされ、同県の北西部にある三種町は生産量日本一である。また、北海道七飯町にある大沼国定公園には、大沼三湖のひとつである蓴菜沼があり、ジュンサイの瓶詰は大沼国定公園の名物として売られている。本作品がどの地域を描いたかは不明です。

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ジュンサイと同じように独特な和紙に独特なタッチで描かれた作品は、淡い思い出のようなに心に沁みてきます。

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酒井三良(さかい-さんりょう):1897−1969 大正-昭和時代の日本画家。明治30年2月16日生まれ。坂内青嵐に師事し,大正8年国画創作協会に初入選。小川芋銭(うせん)の勧めで10年「災神を焼く残雪の夜」を院展に出品し,入選。13年日本美術院同人となる。昭和37年院展で「かまくら」により文部大臣賞。

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故郷である会津地方の風物を題材に、ぼかしを効果的に用いた幻想的な絵画世界は、今も高い人気を得ています。昭和44年6月8日死去。72歳。福島県出身。

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叔父が酒井三良の作品が好きで5〜6点ほど所蔵しており、何度か見せていただいたことがあるので、真贋を判断する資料は少しだけ私も持っています。

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贋作は人気があるだけに存在するようです。

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このような作品を、このような風景を誰が継いでいくのだろうか・・、人はいつかは死にますが自然や作品は生き続けます。

人間ドックを受けることもなく、生き続けられる崇高なものたちに幸あれImage may be NSFW.
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ただし、早期に痛みなどは修復する必要があります。きちんと保存することは所蔵する人の義務であります。


瀬戸鯛紋石皿 江戸期

先週末は長男の印鑑作成、乳母車購入、ヤナセなど慌しく行動・・、おまけに家内はお茶会に出かけてしまいました。

乳母車は軽いこと、回転しやすいこと、がたがたしないこと、折り畳みが楽なこと、夏冬の天候に対応できることなどから下記のものを購入しました。

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さて子どもが出来てめでたいので本日は鯛の絵柄の瀬戸の皿です。

もともとは奔放で大雑把な瀬戸皿、使い勝手は重くてちょっと二の足を踏む作品群ですが、この皿は大きさも手頃で持ちやすく、何よりユーモラスで出来が良い。

以前に「馬の目皿」を骨董市で購入したことがありましたが、・・・・どこに収納したかな・・?? 幾度となく引っ越ししていると荷物がどこに置いたかわからなくなります。結婚してからでさえ8度目の引っ越しImage may be NSFW.
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瀬戸鯛紋石皿 江戸期
合箱
口径240*高台径123*高さ55

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瀬戸の煮〆皿は江戸末期から瀬戸で大量に作られた雑器中の雑器です。石皿の特徴は呉須と鉄で絵付けされていて、皿の縁取りが広く取ってあること、高台が厚めに低めに作ってある事などです。

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煮〆を盛るのに良い感じなので、煮〆皿とも呼ぶようです。大量に作られたが故に、そこに描かれた絵や文字は、手慣れた筆裁きによる無意識の美を表しています。

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石皿の名前の由来は、いくつかあるようです。「韓国の石器を思わせる所から、石皿」、「釉薬に長石を使うから、石皿」というような感じらしいです。はっきりした由来は分からないようです。器に描かれた絵や文字の中では初期伊万里、桃山唐津と並んで第一級のものとも評されているとか・・・・。

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瀬戸の煮〆皿として、石皿、馬の目皿、そして絵皿があり、その代表的な作品が本作品のような石皿です。

本作品は何ともユーモラスで鯛が呉須と鉄釉で生き生きと描かれています。省略の中に絵付けの技を見るようです。形は程よく歪み、そのカーブが絵とともにたっぷりと掛けられた釉薬がなんともよい味わいを醸し出しています。

布袋図考

昨日で震災からまる3年が経ちました。震災直後、東北復興には仙台と石巻以外は予想以上に時間がかかると本ブログで述べましたが、残念ながら予想は当たってしまいました。黙祷をしながら、早い復興を祈るばかりですし、大切な人を失った心の傷が少しでも癒えるように願うばかりです。

さて、先週の日曜日は家内はお茶会・・・。

家内が遠州流のお茶会で小堀遠州が松花堂昭乗に描かせた?布袋図を見てきたそうです。足利御物の話も出たようです。

ん〜、松花堂昭乗の布袋図はたくさんありますが、どっかで記憶にあると思い検索したら、ずいぶん前に処分した(売却した)作品が出てきました。無論、氏素性のはっきりしない作品です。

布袋図 伝松花堂昭乗筆
紙本水墨紙装軸軸先塗合箱入 
全体サイズ:縦1400*横300 画サイズ:縦620*横272

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足利の御物はおそらく下記の作品のことでしょう。最初の頃は三幅とも牧谿筆と伝承されていました。

布袋・朝陽・対月図

布袋図 伝胡直夫筆 偃渓広聞賛(中)南宋時代 13世紀
朝陽・対月図 無住子筆 同賛(左右) 元時代 元貞元年(1295)
足利義満・豊臣秀吉所用 重要文化財 徳川美術館蔵

足利三代将軍義満が所持していたことを示す印が押されており、「唐絵」を代表する作品として、足利将軍家に伝来し、豊臣秀吉の手を経て徳川家康が所持しました。

家康から尾張家初代義直に譲られ、天下随一の名画として御成の床飾りに用いられました。童子が眠る袋を引こうとする姿の「布袋図」を中央に、朝に衣を縫う僧と月下で経を読む僧を描く「朝陽・対月図」を左右に配する三幅対です。

「布袋図」の方が「朝陽・対月図」よりも古く、もとは別々の作品であったものが、日本へもたらされて組み合わされたと考えられています。それぞれの絵に捺(お)された印章から、かつて足利将軍家の所蔵であったと知られ、江戸時代にも尾張家を代表する名宝として大切に伝えられました。

胡直夫筆 偃渓黄聞賛 無住子筆
こちょくふ えんけいこうもんさん むじゅうし
布袋図 縦83.9 横32.0 朝暘・対月図 各縦80.3 横32.1

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「布袋図」の筆者と伝えられている胡直夫は、中国の記録には見あたらず、日本でのみ知られている逸伝の人物です。

目と口などにだけ、わずかに濃墨を点じ、淡墨の柔らかな筆で朦朧とした表現がとられており、南宋初の画僧智融にはじまる罔両画様式が継承されています。

図上には南宋末の名画偃渓黄聞(1189−1263)の賛があり、製作期もほぼその頃とみられています。

「朝陽・対月図」は王逢う辰の対句にもとづいて、破衣を繕う僧と月の下で経を読む僧が描かれています。「朝陽」の賛には「元貞乙未夏午」、「対月」の賛には「無住子作并書」とあって、筆者は無住子、元の元貞元年(1295)の作と知られている。胡直夫同様、その伝記は不詳です。

「布袋図」「朝暘対月図」とは、本来無関係に製作されましたが、日本において三幅に組み合わされ、鑑賞されました。

なお、「布袋図」には足利義満(1358−1408)の鑑蔵印「道有」が、「朝陽・対月図」には同じく義満の鑑蔵印「天山」印が捺されており、かつては義満の所蔵品であったことがわかります。

初期には、三幅とも牧谿筆と伝承されていたそうです。足利義満−義政−徳川家康−尾張初代義直と伝来しました。

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松花堂昭乗筆の作品は数多く存在し、布袋図は特に作品が多いです。小幌遠州との関係を示す布袋の作品は下記のものがあります。

左右幅「惺々翁」 白文瓢形印「惺々翁」
中幅「南山隠士昭乗」 白文瓢形印「惺々翁」
松花堂昭乗筆


江戸時代初期の京都所司代・板倉勝重、重宗らを輩出した板倉家の菩堤寺・長圓寺に伝来する。男山八幡宮(石清水八幡宮)滝本坊の社僧で書家・画人・茶人の松花堂昭乗(1584?〜1639)が、伝説上または伝説的な三僧(左幅より岩頭、布袋、普化)を水墨で軽妙に描き、それぞれ上方に江月宗玩、玉室宗珀、沢庵宗彭の賛が付される。

別幅仕立ての小堀遠州(1579〜1647)から重宗に宛てた添状があり、表装を遠州が見立てたことが記される。

賛の3人の大徳寺住持は寛永4年(1627)の紫衣勅許取り消しに対して幕府に強く抗議し、流罪などの処分を受けた。対して重宗は京都所司代としてこれを取り締まり、裁断を行なう立場であった。

本図は、昭乗の落款「南山隠士」から、昭乗が松花堂に隠棲した寛永14年以降の、沢庵らと幕府との関係が良好となった時期のものと推定されるが、政治的立場、階層、分野を超えた融和の中で成立した寛永文化を象徴する作品である。
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松花堂昭乗は大徳寺龍光院蜜庵で、江月宗玩のために小堀遠州、狩野探幽とともに絵筆をふり、襖絵を描いています(床脇小襖絵)。

小堀遠州を師として遠州流を修め,その収集した茶道具は「八幡名物」と呼ばれ,後世「松花堂好み」として模されました。

小堀遠州は昭乗のために瀧本坊に茶室「閑雲軒」をつくっています。また小堀遠州の夫人の妹が、昭乗の兄、中沼左京に嫁いでおります。昭乗は56歳のとき背中の腫れ物が原因で亡くなりましたが、小堀遠州は伏見の自分の屋敷で療養させたとされています。

以上のように松花堂昭乗と小幌遠州は非常に親密な関係にあったようです。

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本ブログにもいくつか「布袋図」が登場しました

当方のお気に入りは下記の作品です。

古画 布袋図
紙本水墨額装 画サイズ:横225*縦440

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仙台の大観音で催された骨董市にて購入したものです。無落款ですので、作者も時代も解りませんが、時代は江戸時代以前かと推察しています。表具もなにもされておらずボロボロの状態でしたが、絵の出来がいいので購入したものです。

いつかは立派な表具にしてお茶会にてデビューさせたいものです。

布袋様の作品は下記の作品もありましたが、資金不足の時にやはり処分しています。小生の蒐集は処分と購入の繰り返しです。そろそろまた資金不足によりガラクタ処分の時期がまた来そうです。幾つ作品が手元に残るのでしょうか?

もうひとつ下記の作品も一緒に処分されています。

布袋図 伝祥啓筆
紙本水墨額装  
画サイズ:横292*縦385

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むろんこちらも氏素性は不明の作品です。御物のような高貴なものは小生のガラクタには仲間入りしないようです。

本日紹介しましたこの手放した二作品は「松花堂昭乗」の落款と印章や「祥啓」の印章がなければ、まだ手元に所蔵していたかもしれません。余計な肩書は不要なものです。

復興は被災した本人の心の強さがどうしても求められます。本当に大切なことは生き残った人が力強く、若しくはしぶとく、したたかでもいいから生きることです。生きる気力が少しでも芽吹くことを願います。

生きるという本当の中身・・・。袋は日用の一切を詰めた大きな袋と杖を持って、悠然と市中を歩いたので布袋和尚と呼ばれています。家や土地を失っても人は明るく生きられる。

建盞天目茶碗 その6

さて本日は天目茶碗の「その6」です。  

本ブログに何度か投稿された建窯の天目茶碗です。

中国福建省にあった建窯で焼成されたお茶碗を「建盞」と称するようです。宋・元代に天目茶碗を喫茶用の茶碗として大量に生産されました。その中には著名な曜変(ようへん)天目・油滴(ゆてき)天目など含まれます。また、すべての天目茶碗の総称として「建盞」を用いることもあります。


建盞天目茶碗 
化粧箱入
口径120*高さ65*高台径40

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建窯のお茶碗というか、中国の天目茶碗は釉薬の垂れなどが紋様としてあるものが多く、その中でも建窯の「禾目天目茶碗」が一番数が多いかもしれません。紋様がきれいで、形がしっかりしているものはそれなりに少ないのですが・・。

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本作品はそのような釉薬の垂れなどが非常に少なく、漆黒の黒と言えるようなお茶碗です。光によっては見込み内が虹色に見えることもあります。

天目茶碗が多く作られた建窯は鉄分が異常に多い土なので当然焼き上がりは、黒に近い焦げ茶色になるはずです。その点は高台(底)の部分を観察すればよく分かります。瀬戸の天目茶碗は黒く焼けるように色を付ける細工がしてあるので、区別がつくといいます。

また建窯の高台の内側の部分の削り方が1〜2mmと一様に浅く、しかも幅も不揃いのものが多いようです。

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ほぼ同型の禾目天目茶碗と比較してみましょう。

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中国では当然のように天目茶碗の贋作が横行し。粘土の色こそ似ていましたが、古くから作られたものとの決定的な違いが何点かあるようです。

近代の模倣品は
その一、高台の円の幅が綺麗に揃っている点、
その二、ロクロで高台削った形跡が無く、型で作った事が明白なこと。
という特徴があるようです。

建窯からの発掘品の破片の写真は下記の通りです。

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本作品らは高台非常にきれいに一様ですが、ロクロで削った跡がきちんと残っています。区別が難しそうですね。いずれの世も、いずれの世界も真贋の見極めは難しいもののようです。

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建窯の天目茶碗は数が多く、大きさも各種あるようです。発掘品なのか、はたまた模倣品なのか、当方にはよくわかりませんが・・・・・。

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ま〜、いずれにしろ天目茶碗は使い道が少ないのですが、数が揃ってきましたので普段使いの食器として使えるようになりました。

さて、本日は夕方から広島です。帰京後はそのまま家内の実家へ・・・、なにかと忙しい日々です。

千代乃松原 田中以知庵筆 その2

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田中以知庵の作品は本ブログにおいては二作品目となります。

千代乃松原 田中以知庵筆 その2
絹本着色軸装 軸先象牙 共箱二重箱 高島屋百貨店シール
全体サイズ:縦1480*横570 画サイズ:縦495*横570

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どこの景色なのでしょうか?

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白砂青松(はくしゃせいしょう)とは、白い砂と青々とした松(主にクロマツ)により形成される日本の美しい海岸の風景のたとえです。

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白砂青松の景色を描いた典型像を「住吉模様」といい、現在の大阪市住吉区にある住吉大社の社前の景色(現在は市中だが、かつては海に面していた)を描いたとされます。

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白砂青松と表現される景観は、以下に示されるような各種の理由により減少しています。

1.砂防工事・ダム設置などにより河川からの土砂の流入が減少し、海岸浸食が進行した。
2.波浪対策、また上記のような海岸浸食対策として、防潮堤の整備や消波ブロック類の設置が広範に進められた
3.開発に伴う海面の埋め立てや道路の敷設・拡幅など
4.マツクイムシによる松林の衰退・消滅など

日本の景色のひとつが少なくなっていくようです。


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田中以知庵:日本画家。明治26年(1896)〜昭和33年(1958)。東京生。名は兼次郎、別号に咄哉州・一庵等。

上原古年に画の手ほどきを受けたのち松本楓湖に師事し、巽画会・紅児会等で活躍する。速水御舟などともよく交友し1929年には小室翠雲の推薦により日本南画院同人となりその後は同展を中心に日展などでも活躍した。

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また、釈宗活禅師に禅を学び1912年には禅号として咄哉(州)を拝受、南画研究と禅修行の為に朝鮮半島に渡るなど求道的な一面をみせ、作品では詩情に溢れた花鳥、風景画を展開、晩年は風景画に独自の画境を拓き、飄逸な絵画世界を展開した。

春陽会会友・日本南画院同人・日展審査員。昭和33年(1958)歿、65才。

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瀬戸 馬の目皿

先週の広島への行きは強風で羽田に向かう予定を急遽、新幹線に変更。どうも正解だったようで、羽田〜広島の便は欠航になったようです。広島駅から初めて路面電車でホテルへ向かいましたが、途中で道に迷い夜遅くの市内観光・・、頼山陽の記念館があるらしい。当然、閉館中なので是非見たいと思いながらホテルへ・・。出張というものはいつもこういうもので、いつかはのんびりと来たいと思うところができてしまいます。

本日の投稿は、先日瀬戸の絵皿を投稿した際に、思い出した「馬の目皿」の写真を見つけましたので投稿します。

瀬戸 馬の目皿
径265*高台径126*高さ45

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本作品は仙台の繁華街近くの茶道具店の骨董品のなかに埋もれていたものを見つけて購入しました。平成10年頃と思われますが、1万5千円程度で購入したと記憶しています。高いか安いのかいまだによくわかりませんが、それほど高価なものではないようです。

江戸後期、愛知県瀬戸市で雑器として大量生産されたこの皿がのちに民芸運動の創始者・柳宗悦によって広く紹介されて、人気が出たようです。用途に徹して無心に作られたものは、無駄な要素が削ぎ落とされ、 その素朴さが「用の美」として評価されています。


最近製作したものも多く、それが古いものとして売られているとも聞いています。古いものは実際に使われていたために、完品は少ないとも言われています。

目の数で評価が違い、滅多にない目の数は破格の値段とも聞いています。概して馬の目の数が奇数のものが珍しくて高いそうです。


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馬の目皿:江戸後期(19世紀初)の製作。食物を盛る時に使用する日常雑器の石皿に、鉄釉で大胆に描かれた渦巻き文様は、その形が馬の目に似ていることから馬の目 皿と呼ばれる。

大量生産したが、手描きによるため、膨大な数が出回っていてもそれぞれに特色がある。その出土例から文化年間(1810年前後)の頃から瀬戸・洞地区を中心に生産されていたとされる。「馬の目」は 「雲間の目」がなまった物だと言う説もある。

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こういう器こそ飾っておくべきものというより、実際に使ってみる器だと思います。ただ重いのが難点です。

枯木鴉之図 長井一禾筆 その4

相変わらず漫画チックな絵ですが、実に面白い。ずーっと、掛けて眺めていも飽きのこない作品です。異論のある方もおられましょうが。私はこの人の鴉はやはり名品だと思います。


同じような絵ですが、本作品で本ブログに四作品目となります。


枯木鴉之図 長井一禾筆 その4
絹紙本水墨淡彩軸装 軸先鹿角 合箱入
全体サイズ:縦1970*横490 画サイズ:縦1070*横350

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浮世師と説明にありますが、鴉以外の作品を観たことがありません。

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一禾の描く鴉は当時、望月金鳳の狸、大橋翠石の虎ととともに並び称せられたとありますが、大橋翆石の作品のように価格が高くなく、贋作も少ない(というより無い?)のでたやすく購入できる画家です。

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長井 一禾:(ながい いっか、明治2年(1869年)〜 昭和15年(1940年)。明治時代から昭和時代にかけての浮世絵師。河鍋暁斎の門人。本姓は佐藤、姓は長井、または永井、一禾は本名であった。字は子行。瑞雲菴、反哺と号す。

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明治2年(1869年)、越後国蒲原郡水原(現・新潟県阿賀野市)に生まれる。その後、東京に出て、初めは鈴木松年、中野其明、平福穂庵に師事し、円山派の画法を学ぶ。東京では下谷上野桜木町に住んだ。その後に、暁斎にも師事した。

鴉の絵の技法が妙を得、非凡であることを賞賛され、大隈重信から「鴉博士」の称号を贈られている。

明治36年(1903年)9月から5年間、渡米して絵を研究している。また、ポートランド博覧会に鴉の絵を出品、銀牌を受ける。イタリア博覧会の応接所には、尾形光琳風の鴉の絵を描いている。

その後、兵士として麻布三聯隊に入る。期が満ちて、新潟に帰ってからは、石油会社の社長となった。大隈重信に認められ、千鴉叢会を組織し、そのために郊外の天下茶屋に居を移した

。鴉の研究は、日本のものはもとより、アメリカ合衆国、朝鮮、中国、台湾など諸国の鴉にまで及び、その形態、動作など、鴉に関する知識は頗る深かった。

一禾の描く鴉は当時、望月金鳳の狸、大橋翠石の虎ととともに並び称せられた。昭和12年(1937年)から翌13年(1938年)にかけて、京都府綾部市の楞厳寺に滞在し、庫裏の4つの座敷に春夏秋冬の鴉の絵を描いた。この襖絵は著名である。昭和15年(1940年)に没した。

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高麗青磁蓮弁刻文茶碗

昨日の日経新聞も文化蘭「浄瑠璃・能をうたう」の欄は「梥本一洋(松本一洋)」に作品でした。大和絵風の雅は絵を描くこの画家の作品は当方ではなかなか入手しづらいものですが、下記の色紙の作品は本ブログに投稿されています。

祝新装 松本一洋筆絹本着色 色紙 タトウ
画サイズ:縦270*横240

夜の「なんでも鑑定団」は「小川芋銭」・・、この画家も入手づらいし、おまけに贋作が多い。本ブログには下記の作品が投稿されていますが、現在は未公開です。

鍾馗斬河童之図 小川芋銭筆
紙本水墨淡彩軸装箱入 画サイズ:横485*縦1350

いつか機会がありましたらいずれ・・・。

さて、本日はまた小生のがらくたのひとつ・・。

そもそも高麗青磁なるものはあまりいいものとは思っていません。ゆえに入手しようと思っていませんでしたが、お安いのでまた出来心で購入してみました。

高麗青磁蓮弁茶碗
合箱
口径160*高台径58*高さ64

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高麗時代(918〜1392)の作品ということですが、果たして如何??

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見込み内には、重ね焼きされたと思われる目跡があります。見込み内に目跡がある高麗青磁はそうそうないように思います。

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高台には砂がついています。

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釉薬には貫入が細かく入っています。

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高台内にも釉薬が掛けれています。

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フラッシュにて写真撮影していますので、光沢があるように見えますが、実際は今少し渋い色合いです。

いずれにしても、普段使いの器ですね。

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魑魅魍魎たる陶磁器の世界、さらにもっとも魑魅魍魎たる青磁の器群・・、あまりのめりこまないことですね。

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高麗青磁:朝鮮の高麗時代に焼かれた青磁。中国の越州窯の影響のもとに10世紀に焼造が始まり、11〜12世紀始めには最高級の翡色青磁を焼出し、12世紀後半〜13世紀には独特な象嵌青磁の全盛期となる。康津窯や扶安窯が代表的な窯。

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参考作品
高麗青磁蓮弁茶碗
磐城平 安藤家所蔵

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高麗時代。安藤家伝来品。高麗時代(918〜1392)の作品。

室町時代末期、茶の湯の世界ではそれまで喫茶用の茶碗の主流であった唐物茶碗にかわり、高麗茶碗がその代表格となります。本品は、その高麗青磁茶碗のひとつで、胴から腰にかけてやや青みがかり、また、へら目の蓮弁模様が描かれています。

虫瓜図画賛 会津八一筆

「みちうよや? 乳母の在所の 水(クラフトさんの指摘により訂正)の音」→「みちかよ(短い夜)や 乳母の在所の 水の音」(家内の指導により訂正)


家内が亡くなってまもない頃、まだ狭い社宅のマンションにいた頃ですが、土曜日の昼食は一週間頑張った自分へのご褒美ということで、近くの洋食レストランで軽いコース、といっても2000円程度のもの、を食べながら文庫本を読みふけるのが愉しみでした。何事にもまだ身の入らないことを実感しながら、生きるための生活だけは追いかけくる、そんな時期において自分で見つけた休息時間です。人には必ずそういう時間が必要だと思います。

虫瓜図画賛 会津八一筆
 本水墨軸装 軸先木製 宮川寅雄鑑定箱
全体サイズ:縦1550*横470 画サイズ:縦680*横330

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箱書に「甲寅夏六月」とあり、1974年(昭和49年)の鑑定箱書であり、宮川寅雄が66歳の時に鑑定した作品です。

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会津八一:1881‐1956(明治14‐昭和31)。歌人,書家,美術史家。秋艸道人(しゆうそうどうじん),渾斎(こんさい)の号も用いた。

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新潟市に生まれ,早熟の天才ぶりを発揮し,中学時代すでに新聞俳壇の選者になったり,当時北陸旅行中の尾崎紅葉の話相手をつとめたり,まだ評価の定まっていなかった良寛和尚の芸術をいちはやく認めて正岡子規に知らせたりした。

早稲田大学英文科では坪内逍遥の知遇を得,卒業後,早稲田中学の教師を経て,1926年以降,早稲田大学で東洋美術史を講じ,34年《法隆寺法起寺法輪寺建立年代の研究》(1933)で文学博士の学位を受けた。

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宮川寅雄:1908年10月10日 〜1984年12月25日。美術史家。 東京出身。早稲田大学中退。会津八一に師事して東洋美術史を研究。戦前から日本共産党員として活動。1967年中国問題で除名された。日中文化交流協会で活動、79年理事長。66年ころから和光大学教授。79年定年退任。

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会津八一の作品は私が前に所属していた会社の研修所に飾ってありました。

また親戚が所蔵していた作品もありました。思文閣で買い取り思文閣の大交換会で掲載されていました。以外に人気があり、高額で取引されています。

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この歌はなんと書いてあるのでしょうか?

「みちうよや? 乳母の在所の 水(クラフトさんの指摘により訂正)の音」→「みちかよ(短い夜)や 乳母の在所の 水の音」(家内の指導により訂正)

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会津八一の乳母の名は「清(きよ)」・・・・??? 関係あるのかな?

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墨を滲ませた描き方はなかなかのものです。

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会津八一は妥協を許さぬ人柄から孤高の学者として知られています。


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参考資料

新潟県新潟市古町通五番町に生まれる。中学生の頃より『万葉集』や良寛の歌に親しんだ。1900年新潟尋常中学校(現新潟県立新潟高等学校)卒業後、東京専門学校(早稲田大学の前身校)に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講した。この頃すでに「東北日報」の俳句選者となる。

1906年早稲田大学英文科卒業。卒業論文にはキーツをとりあげた。卒業後は、私立有恒学舎(現:新潟県立有恒高等学校)の英語教員となって新潟に戻り、多くの俳句・俳論を残した。1908年に最初の奈良旅行をおこなって奈良の仏教美術へ関心を持ち、またこの旅行が俳句から短歌へと移るきっかけともなった。

1910年に坪内逍遙の招聘により早稲田中学校の英語教員となり上京。1914年、東京小石川区高田豊川町に転居し、「秋艸堂」と名付ける。1918年、早稲田中学校の教頭に就任。1922年には東京郊外の落合村にあった親戚の別荘に転居し、やはり「秋艸堂」と名付けた。1924年、初の歌集『南京新唱』を刊行。

1925年には早稲田高等学院教授となり翌年には早稲田大学文学部講師を兼任して美術史関連の講義をおこない、研究のためにしばしば奈良へ旅行した。1931年には早稲田大学文学部教授となる

1933年に仏教美術史研究をまとめた『法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究』(東洋文庫)が刊行され、この論文で1934年に文学博士の学位を受ける。1935年、早稲田大学文学部に芸術学専攻科が設置されると同時に主任教授に就任する。1940年、歌集『鹿鳴集』を刊行。続いて1941年、書画図録『渾齋近墨』、1942年、随筆集『渾齋随筆』、1944年、歌集『山光集』をそれぞれ刊行。


妥協を許さぬ人柄から孤高の学者として知られるが、同僚であった津田左右吉が右翼から攻撃された際は、早大の教授たちが行動を起こさなかったのに対して、丸山眞男らによる署名運動に参加し、津田の無実を訴えるという一面もあった。

1945年、早稲田大学教授を辞任。空襲により罹災し、秋艸堂が全焼したため新潟に帰郷。同年7月、養女きい子が病没。1946年、「夕刊ニヒガタ」創刊され、社長に就任。1948年、早稲田大学名誉教授。1951年、新潟市名誉市民となる。

同年、『會津八一全歌集』を刊行し、読売文学賞を受けた。戦後は故郷新潟に在住。弟子の一人に歌人の吉野秀雄がいる。
1956年、冠状動脈硬化症で死去、75歳。戒名は自選した「渾齋秋艸同人」。

なお新潟県の地方紙「新潟日報」の題字は会津が揮毫したもの。他にも歌碑など会津の揮毫になるものが各地にある。

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3連休はのお彼岸は亡くなった家内の墓参りをしてこようかと思います。

雪路 奥村厚一筆 その3

蒐集した作品を子育てのために、ある程度、否、かなり整理しています。まずは眼に着かないところへ。壊されないところへ・・。ガレージでも借りるか? 

ともかく蒐集した作品はあちこちに散らばっています。困り果てて大学時代の友人で設計事務所を経営している友人へ電話・・・、蔵でも建てるか・・・。

こうして片づけてみると、いつか展示会を開いてみたいと思うですが、そう思うのは蒐集家の常のようです。その望みをかなえるのはほんの一握りの人のようです。親族の理解のなさや、さらには相続などで金銭目当てで雲散霧消の憂き目にみるのがほとんどのようです。悲しいことです。

本日の画家の奥村厚一は日本の風景を独特な描き方で表現する画家で、根強い人気があります。福田豊四郎に次いで好きな日本画家ですが、意外と高価になることが多いので手頃な小品が集まります。

雪路 奥村厚一筆 その3

和紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦1230*横400 画サイズ:縦260*横240

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沁みがあり保存状態はそれほどよくありませんが、手頃な値段で入手できるので多少の難点はいたしかたありません。

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秋田の郷里にもありそうな風景です。通学時にはこのような雪道はよく歩きました。雪解けの田んぼの畦道を歩き、モグラを捕るのはカラス?? 私が覚えているのは鳶でした。

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長靴を履いての春待ち遠しい雪の路・・。そんな思い出があるのは雪国をふるさとにもつ我々北国生まれの特権です。

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さて今度の3連休は墓参りと市内中学校合同の同級生による還暦のお祝い会です。旅の途中で本作品のようは風景がたくさん見れることでしょう。

辰砂花瓶 清朝期

辰砂花瓶 清朝期
口径155*胴径210*高台径*高さ280

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中国清王朝景徳鎮の民窯のものか,もしくは官窯?の花瓶とのことですが詳細は解りません。

日本では辰砂の瓶と称するのでしょうが、銅を呈色剤とした真っ赤な辰砂を中国人は牛血と呼ぶようです。

現在では単色の焼き物は貴重で珍しいですし、中国では国旗ののような明るい赤の色の陶磁器が現在では主流のようです。

牛血紅と称され、厚く施された釉薬が流れ落ちる為、下に向かうほど色が濃くなり、表面には細かな貫入が入りようです。

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途にも角にも正体不明の辰砂の花瓶です。時代や生産地は不明です。

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口縁は大きく欠損していたのでしょうが、辰砂釉薬に合わせた補修がされています。

辰砂という釉薬は本ブログでもたびたび登場しています。

辰砂釉曾呂利
口径20*胴径111*底面径54*高さ244 箱入

これもマンションでは置く場所に困るので、教材終了後は処分か、お蔵入り・・。

古画 騎馬武将図 作者不詳

連休中は大館市に帰省し、「還暦を祝う会」なる市内の中学校合同開催による集まりに出席・・。

さて何気なく「なんでも鑑定団」の過去のデータを見ていたら、狩野栄信の細密画が出品されている記録を観ました。とても高い評価額にびっくりしましたが、その出来のよさもまた驚くべきものでした。本ブログに最近投稿した作品は大和絵の表現なので基本的に絵の筋が違うものですが、思わず「ん〜」と腕組みをしてしまいました。

贋作がほとんどない作品群に作者不詳の作品があります。蒐集対象としてはなんでもいいということではなく、それなりに時代があって、趣のあるもので、時代の割には状態がいいものという条件がつきます。

以外と私は好きで集めていますが、最近投稿した作品の中では下記の二作品です。

琴高仙人図 唐絵絹本着色絹装額タトウ入 
画サイズ:縦390*横540

古画 布袋図
紙本水墨額装 画サイズ:横225*縦440

印章が押印されたのみの作品を出来の良さに惹かれて購入し、後日調べてみたら帆足杏雨の小品であったこともありました。なにがどうなるのかわからないのが骨董収集の世界ですが、いいことはそうそうあるものではなく、悪いことにならないように無銘の出来の良い作品をお勧めします。


本日は勇ましい作品です。意外と高い買い物でした。

古画 騎馬武将図 作者不詳
紙本着色軸装 軸先象牙 合塗箱入
全体サイズ:縦1178*横406 画サイズ:縦321*横296

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むろん作者も製作年代もわかりませんが、おそらく江戸期前期はあろうかと思われる作品です。


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騎馬の武将の顔の表情がいいですね。


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馬の描き方も簡略化されて近代的です。

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今年の干支の午・・、ということで茶掛けなどに・・。

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最近ではこのような出来の良い古画が本当に入手しづらいようです。

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全てが新しい好きの現代、このような古画に高い価値を感じる感性があるのかどうかが不安です。



伝漢緑釉銀化壺

漢の緑釉の壺というのはまだ壺という美学が成り立っていない時代のものと私は思っています。基本的に壺は青銅器の形の模倣であることにその大きな要因があるように思ってます。ただ本作品は形の良さと釉薬の景色の良さが魅力になっているということで入手しました。

伝漢緑釉銀化壺
合箱
口径*胴径180*底径*高さ145

今では大量に発掘され値段さえつかなくなったという緑釉薬の壺・・、ただ本作品が漢時代までさかのぼるか素人の当方には判断できかねています。

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緑釉陶器は中国の戦国時代(紀元前4世紀頃)に生まれ、漢時代に流行しました。日本には7世紀後半、新羅から技術が導入された可能性が強く,平安京から新羅の緑釉壷の破片が出土しています。

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酸化銅を呈色剤とする緑釉は青銅器の質感を表現するために施釉されたとする説もありますが、青銅器の本来の色は金色です。むしろ鉛釉という金属釉を掛けることにより、陶器に金属的な質感を求めたと考えられています。

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本作品もまた青銅器を写しているようで、金属的な質感がよく出ているように思われます。

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銀化そのものはきれいに発色していませんが、形が珍しく端正なので使い道はありそうです。ただ、水漏れがしていたので、補修しておきました。胴部分の青いの傷が中まで貫通していました。ということは今まで花瓶としては使われたことはなかったらしい・・。
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