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Channel: 夜噺骨董談義
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イタリア製?花瓶三点 

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連休の帰省、週明けの会食などでブログの原稿作成がままならず・・・。
書き溜めた原稿が底をついた・・。米櫃も底をついた

さて本日の作品。
どこで誰が製作した作品かも解らないが、なんとなく惹かれて購入してみようと思うことは多々あります。骨董蒐集の原則のひとつに「自分の得意分野以外の作品は自分の判断で購入しないこと」ということがあります。

旅行した時にぶらりと入った店で作品に出合い、相談する相手がそばにいなくても、懐具合がそれほど痛まない程度のお値段なら買ってしまうことがあります。

自分の不得意な分野の作品は購入しない方がいいというのが骨董の通説で、そのように購入した作品の99%が失敗ですが、新しい分野に乗り出すのには必要なことだと思っています。

ただ、評価が高いとか、高く売れそうだという邪念はよくありません。好きだから、使ってみたい、飾っておきたいという動機なら購入して勉強することになるでしょうから、いいことだと思っています。

イタリア製花瓶三点 
対徳利型花瓶 口径62*最大胴径75*高台径47*高さ214
花瓶 口径58*最大胴径120*高台径62*高さ193



本作品はまったく解りません。イタリア製? スペイン製? アラビア製? 高台内にはサインがしてあります。手書きのペイントには相違ないようです。



対の作品は花瓶にも、神棚の酒器にもなりそうです。神様がびっくりするかも・・・。



飾ってみると古格もあり、良い作品のように思えます。



対になっているのがまたいいものです。



形が対照的な作品を同時に入手しています。どちらかをと迷ったのですが、こういうときはどちらかを選ぶということはしないで両方購入することをお勧めします。




本作品も購入費用は数千円・・・、たいがいこのような作品は後でお土産品で大量に出てくるとかということになるのがオチですが・・。またガラクタになってしまうのかな??



どなたかこの作品がいつ、どこで製作されたがわかる方はおりませんでしょうか?



またまた他力本願。


葡萄図−10 天龍道人筆 その18

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昨夜も深夜の帰宅・・、朝飯がない

本ブログで何度も紹介している天龍道人の葡萄図です。いつか屏風か襖絵・・・ん〜つまらないな〜、壁一面に葡萄須にでもしようかと思って集めています。

葡萄図−10 天龍道人筆 その18
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1730*横381 画サイズ:縦970*横289



落款は「七十七年翁王瑾」と書され、印章は「天龍道人」、「一号観自在」の代表的な白文朱方印の累印が押印されています。



実にみずみずしい葡萄の実、葉の表現。



70歳代後半から80歳代までの作品がやはり一番魅力があります。



10作品を超えてきましたが、大きさがバラバラ



蔦の先まで行き届いた墨の勢いのある佳作といえます。



ネットオークションにときおり出品されていますが、地元の諏訪地区の方などで収集されている方は少ないのでしょうかね。



                                 
                              

2014年 保戸野窯 彼岸の帰省 その1

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三連休は「還暦を祝う会」の出席もあり、秋田の大舘まで帰省しました。昨年の五月以来の帰省です。お盆は手術で入院、暮れは出産となり、久方ぶりの帰省です。

東京方面から秋田の大館市に行くのには
1.電車で秋田駅経由奥羽本線
2.角館駅経由で内陸縦断鉄道で鷹巣経由



3.盛岡駅経由で花輪線、
4.青森駅経由で奥羽本線下り、
5.あとは飛行機で羽田から秋田北空港
の五通りもあります。

飛行機以外はすべてローカル線の旅が楽しめます。しかもJR東日本発行のの三連休乗り放題切符(毎回ではないらしいので確認が必要)がありますから料金は特急以外はほとんど変わりません。これを宣伝しないのはなぜ????

今回は一人旅。新幹線で秋田駅に降りました。あとは秋田駅からの出発時間を駅員さんに聞いて、秋田市内へ・・。



知り合いの家に立ち寄って保戸野窯の平野先生宅を訪ねました。



墓参りで先生はお留守。これは事前に知っていましたが、列車時間の関係で昼時に訪ねざる得ませんでした。



先生のお留守の間は工房で休憩。奥様が作られた「おはぎ」などを頂戴しました。これがうまい。なぜ田舎の料理はこんなにも美味しいのか。否、奥さんの手料理がうまいのでしょうが・・。



待っている間に次から次と・・。昼ご飯を食べる時間が不要になりました。




食事を済ませると先生が帰宅され、互いの近況報告。先生は54歳で長男誕生、もう中学生です。ちなみに私は60歳で長男誕生。

近々、秋田市内で個展を開催するとのこと。辰砂の作品がメインのようです。



辰砂の天目茶碗。気泡があって失敗作とのこと、・・・・ということで頂戴しました。

辰砂の水滴も失敗作。温度の下げ方が難しいらしい、・・というこでこれも頂戴しました。

この二作品の詳細は後日、ブログに投稿します。楽しみにしていて下さい。こういう頂ものは「リーチ一発かんちゃんツモ(麻雀用語)」という感じ

辰砂の硯。「水滴とセットでいいですね。」と戴こうとしたら、「これは完品で個展の出品作だからダメ」とのこと
「個展で売れなかったら買いましょう」ということになりました



本ブログをご覧になられて工房まで訪ねてこられた方もおられるようです。作品を買っていかれたそうですが、入手できた方は幸運です。まず作品の数がないというか商売っ気がないというか・・・。完全な出来でないと売らないということも作品の数が少ない原因でもありそうです。興味にある方はともかく事前に連絡してから窯元に行きましょう。

個展は連絡しなくても大丈夫でしょう。作品は売れるのかな〜、売れるといいですね。



入手した作品が期待を裏切ることはまずないでしょう。しかも手頃な値段です。ただ今後高くなるかどうかは保証できません。



そうそう、先生の失敗作の器の残りと長男の「お食い初め」の器セットを楽しみにしています 

お食い初めには間に合わないということですが、きっと間に合わない、否絶対に間に合わない。長男坊はいつになったら「お食い初め」ができるやら・・・・



時間がないのでそさくと秋田駅へ・・。お〜、特急がホームで待ったいた。ん〜、乗ってしまえ、次の目的地は鷹巣。




車上の風景はまさしく先日投稿した奥村厚一の絵の世界、あと何度見られるのやら・・。

仕事に追われるのもいいが、我々還暦をすぎた人間は時間を大切にしないといけません。









贋作考 大津繪 仏画 二題 

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大津絵は江戸後期に絵種を十種に絞り、もっぱら護符として売られた時代がありました。文化・文政の頃から徐々に大津絵の主となり、幕末には他の図柄はほとんど描かれなくなってしまったようです。

人気は依然高かったものの、初期の風格を失い、美術価値が低いとされることも多いのが幕末以降です。この大津絵で最も希少価値が高いのが、初期に売られていた「仏画」です。

家内も「仏画はいいはね〜」と言っており、いつかは欲しいと思っていました。そこにひょっこり下記の二作品が売られており、もしかしたらと欲に駆られて購入した次第です。


大津繪 仏画 二題 
紙本着色 各々画サイズ:横247*縦657

古画の大津絵であれば2枚綴りではなくてはならない作品ですが、一枚絵でありかつ一枚絵の流行ったころよりサイズが大きい。ということは近代の作品か・・。


阿弥陀三尊来迎



紙はだいぶ痛んでいて古く見えます。



雰囲気も良い。



値段も安い・・・、これが一番よくない。それ相応の値段で売られていにモノにはそれなりの理由があるのが原則。        


地蔵尊



雰囲気がいい。ただこの図柄のふりものは滅多にないはず・・。仏画が市場には滅多に出ることはなく、現存数が数枚程度。



購入は止めようかと思いながら、何事も勉強と購入。この心がけは良いかも??



最近の作品ではないかという疑念が付きまとう。それは前にも記述した「大津絵の二枚綴り」という原則です。

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大津絵の二枚綴
二枚綴(にまいつづり)は二枚継ぎとも呼ばれ、古典的な大津絵の特徴となっています。最も入手が容易で安価であった半紙を、絵を描きやすい大きさに継ぎ合わせたものです。

江戸初期から中期にかけての大津絵は、ほとんどがこの二枚綴の大きさでした。稀に三枚を継いだより大きなものもあったようです。

江戸後期は、逆に継ぐことをやめ、半紙(半紙のサイズ:縦24〜26センチ、横32〜35センチ)そのままのサイズで描くようになっていきます。

現在では紙のサイズも自由に入手できるようになり、古紙を使うのでなければ特に継ぐ必要もないのですが、掛軸などでは大津絵の特徴として再現しています。

ちなみに江戸初〜中期の大津絵として売られているもので、二枚綴・三枚綴以外のサイズであったり、継ぎが無いものは考えにくいので、古大津絵を入手するときには一つの判断ポイントになります。

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本作品をいくら透かして見ても綴り部分がない・・・???

そう、古い作品には一枚綴りはこの大きさではありえないことです。わざと二枚綴りにして古く見せることはあっても、一枚綴りでこの大きさは江戸期にはおそらくないでしょう。

そうすると本作品は明治以降、おそらく昭和の作。紙は古く見せ、絵の具もそれなりに剥落していますし、本物をよく写していますが昭和以降の作品かと思います。

大津絵ではときおり製作された時代が推し量れない作品がでてきますので要注意です。

鍾馗斬河童之図 伝小川芋銭筆

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先日、「なんでも鑑定団」を見ていたら、小川芋銭の河童の作品が出品されていました。評価金額600万????

「小川芋籖?」どこかにあったはずと思って検索したら、ずいぶん前に入手した作品がありました。今回の帰省で写真を撮影してきました。たしか面白い作品だと思い購入し、本物と思って購入していないと思います。

鍾馗斬河童之図 伝小川芋銭筆
紙本水墨淡彩軸装箱入 画サイズ:横485*縦1350



帰省して探したついでに掛けてきました。わが家は補修工事の瓦の補修、上部の塗装を完了しておりました。
 

「鬼でさえ 敵はぬ鍾馗を 見損こない」と賛のある鍾馗と河童を描いたものです。



題材は「南泉斬猫」(「無門関」にある有名な公案で、南泉という僧が猫を掴み上げ今まさに一刀両断にしようとする瞬間を描いたものか?



この難解な公案は古来より数多く描かれ、白隠や仙崖、近年では鉄斎、渓仙など数多くの高僧や画家に取り上げられてます。本ブログでも伝平福百穂の作品を投稿しています。



この題材の多くは残酷で、深刻で、しかも緊張感溢れるですが、この場面をどことなくユーモラス、かつ洒脱に表現することが多いものです。



本作は製作年代は不明です。



さて、箱書きもなにもなく・・・、真贋や如何・・・・・??



郷里の中学校二校による合同開催の「還暦を祝う会」です。誰が誰やらよく解りませんが、話をしているうちにだんだん解ってきます。

人もだんだん骨董品になってきた・・・。

真贋考 浜田庄司

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審美眼を問う・・。浜田庄司の作品は本当に贋作が多い。


箱書きのない作品でも真贋は解るつもりでいました「浜田庄司」の作品ですが、いまだに結論を出せない作品があります。

下記はその例のひとつです。

数茶碗として使われる「縁黒茶碗」です。数多くありますので、そのぶんだけ偽物も多いようです。たいていは作行、箱書きと印章に使われる朱肉で判断できるのですが、そこもかなりきわどく似ています。

縁黒茶碗 その2 伝浜田庄司作
共箱 
口径125*高台径60*高さ65



「口縁部の施釉が庄司らしい素朴さがあり、手に持ったときのしっかり感とぬくもりが伝わっくる。」・・・・、言われるとそう思えてくる。



小振りなお茶碗です。といって野点用というほどではありません。



高台がいまいち?? そうここが腑に落ちない一番のポイント・・、土が違う?? 形が違う??? 釉薬の溜りが違う????



縁の景色はよい。



箱書の字が下手、朱肉が少し赤いなど、違和感を覚える・・・・。ただ朱肉の多少赤いのは初期の頃や門窯には存在しますので、即贋作とは言えません。



こちらは正真正銘の浜田庄司の箱書ですが、壮年期以降のもので年代に相違があります。

同時期なら違うといえますが、製作年代が同じ箱書きとは酷似しています。字が下手な箱書は初期の頃にはよくあります。



なんかよさそうな気がしないでもない・・・・。
さて、ブログをご覧の皆さんは本作品は真作か贋作かお分かりになりますか?


ついでにもうひとつの作品です。

塩釉流掛茶碗 浜田庄司作
共箱
口径148*高さ89*高台径80




ここでは「塩釉」について知っていなくてはなりません。

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塩釉:15世紀頃にドイツで生まれ、濱田は欧州から帰国した1953年(昭和28)頃から、日本の陶芸家としては初めてこの技法を試み始めたといいます。

塩釉は焼成中に窯の中に岩塩を投げ入れ、それが釉薬同様の効果を生み出すものですが、高温のため色釉としてはコバルト(藍色)、鉄(褐色、黒色)、マンガン(あずき色)などが呈色剤として用いられます。たとえば素地にコバルトを塗っておくと、鮮やかな藍色の発色が得られます。

コバルト釉や灰釉を焼き上げ、火を止めてから食塩を撒くとガス化して艶やかな肌に一変します。焼成は,窯の温度が1200℃くらいに達したとき,窯の中に食塩を投げ込むことによって,食塩の塩化ナトリウムがソーダと塩素に分解され,ソーダは胎土のケイ酸とアルミナと化合し器の表面をガラス質で覆うことになります。

塩釉は、塩素ガスが出たり、塩が窯を痛めるため、普通の窯では何度も焼くことができず、窯を使い捨てのため特別な窯が必要です。塩釉では素地に釉薬は施さず、塩が素地につくことで化学変化が起こり、ガラス化することで独特の肌質が出ます。浜田庄司の技法では一般的に貝殻を置いて焼く「貝積(かいづみ)」により、底には貝殻の跡が付着していることが多いです。

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下記の右側の写真は30万程度で売られている「塩釉茶碗」の箱書です。両方ともに字がうますぎる?  左の本作品の朱肉が赤すぎないか??  本作品の箱書はやはり真似て描かれたものであろうかと思います。

 

茶碗そのものの出来は非常に良い部類に入ります。



下記は正真正銘の「塩釉茶碗」で高台に貝殻の跡が残っています。

絵刷毛目茶碗 浜田庄司作
共箱 
口径121*高さ105*高台60



本作品は残念ながら高台の貝殻の跡はない・・・。



本作品は厳密には「塩釉胴紐流掛茶碗」と称するのでしょう。



下記は正真正銘の「胴紐茶碗」です。

掛合白釉胴紐茶碗 浜田庄司作
共箱
口径107*高さ107*直径107*高台径68

本作品は「掛合釉薬」の塩釉の処置をしたような仕上がりです。

下記もまた正真正銘の「掛合白釉茶碗」です。これだけの資料があっても未だに未熟

掛合白釉茶碗 浜田庄司作
共箱
口径133*高さ88*高台径63



本作品もまた真贋や如何・・・??

当方は中身が本物、箱書きは偽物?? であって欲しいという願望を込めて。
ただいずれにしてもこのような迷うような作品は入手しないことだと反省しています。ネットオークションなどは贋作だらけで、贋作と判明しても返品に応じない人がたくさんいますので要注意です。
エイプイルフールの投稿です・・・。

瀬戸水鳥紋石皿 江戸期

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こんな作品が食卓にならんだら楽しいでしょう。瀬戸の石皿系統の投稿は三作品目ですが、この系統の作品は雑器中の雑器という表現がぴったりな作品群ですが、数はどんどん少なくなっているように思えます。骨董店や骨董市で見かけなくなりました。

瀬戸水鳥紋石皿 江戸期
合箱
口径165*高台径70*高さ25



瀬戸の煮〆皿は江戸末期から瀬戸で大量に作られた雑器中の雑器です。普段使われていたことから傷のある作が多く、本作品のようにほぼ無傷の作品は貴重といえます。丁寧な洗ったらかなりきれいになりました。



石皿の特徴は呉須と鉄で絵付けされていて、もしくはどちらかのみで絵付けされ、皿の縁取りが広く取ってあること、高台が厚めに低めに作ってある事などです。煮〆を盛るのに良い感じなので、煮〆皿とも呼ぶようです。ともかく、多少乱暴に扱っても良い作品です。



大量に作られたが故に、そこに描かれた絵や文字は、手慣れた筆裁きによる無意識の美を表しています。

石皿の名前の由来は、いくつかあるようです。「韓国の石器を思わせる所から、石皿」、「釉薬に長石を使うから、石皿」というような感じらしいです。はっきりした由来は分からないようです。



器に描かれた絵や文字の中では初期伊万里、桃山唐津と並んで第一級のもの」とも評されます。ちょっと高く評価しすぎの感もありますが、的を得ていると思います。

瀬戸の煮〆皿として、石皿、馬の目皿、そして絵皿があり、その代表的な作品が本作品のような石皿です。

本作品は何ともユーモラスで水鳥が鉄釉で生き生きと描かれています。省略の中に絵付けの技を見ます。羽根の部分は文字のようでもあり、なんともよい味わいを醸し出しています。

タップリと掛けられた白釉もまた魅力的で、愛くるしいこの石皿はお気に入りのひとつです。

秋景山水図 菅井梅関筆 その3

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最近車が必要になりそうなので、購入しようかと思いながら車に関心を持ってみているのですが、どうもこれぞという車がないのです。しかも気が付いたのは、最近の車は色が黒とかグレー、白ばかり・・、不景気になると車の色がそうなるらしいと聞いたことがあります。

赤や黄色の車を滅多にみませんね。おしゃれな車が少ないようです。前は見とれていた外国車の今のダサイことは極まりない。日本の車の方がまだましになってきました。ただレクサスのデザインには閉口しますね、悪趣味としか言いようがない。

メルセデスベンツ?のスマート(二人乗り)くらいですかね、今気になる車は・・・、でも家族が増えた



梅関の山水図は、本ブログでも幾度か投稿されている釧雲泉と当時から並称されるほど名声があり、また豪快で荒々しい筆致の墨梅図が高く評価されています。

ここで注意しなくてはならないのが、菅井梅関が当時から釧雲泉と並び称されたということから、釧雲泉と同じく贋作が横行している可能性が高いということです。これは幾度か作品を購入してみないと解らないものですので、また魑魅魍魎たる世界に足を突っ込んだかもしれません。

秋景山水図 菅井梅関筆 その3
絹本水墨軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦2215*横717 画サイズ:縦1195*横563




印章は「菅井兵輔」の朱文白方印と「仙台東斎」の白文朱方印の累印が押印されており、下記にある思文閣の資料の印章と一致します。また右下にある遊印「宮城郡人」も一致するようです。

  



。一見して雑に描かれているように見えながら、全体の構図に迫力があり、真作と判断してよいと思われます。釧雲泉とともに当時人気を博した画家故に贋作が多いので注意を要する画家のひとりです。



三作品目でたどり着いた真作?? 本ブログをお読みの皆さんは金額さえ出せば真作をすぐに入手できると思うでしょうが、いくら高いお金を出しても、真作の集まらないこともあります。

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天保13年(1842)、伊達宗充登米公に依頼された絵(水亭午翠図:仙台市指定登録文化材・仙台市博物館蔵)の制作中、暑い最中に冬の袷(あわせ)の着物で依頼主に面会したところ、帷子(かたびら)を下賜(かし)された逸話(いつわ)があります。この作品は帷子梅関(かたびらばいかん)とも呼ばれていますが、盲目の弟とその家族を支える生活は厳しく、折からの飢饉も加わって貧窮を堪え忍ばざるを得なかった状況がうかがえます。生活が窮乏(きゅうぼう)し最後は井戸に身を投げるという悲劇の画家でもある。享年61歳。

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信用のある骨董商や美術商、もしくは百貨店の扱う作品なら間違いないでしょうが、法外な金額を支払うことになります。彼らの知識料金、ま〜特許料みたいなものです。





顕著なのが「なんでも鑑定団」の値段です。実際は鑑定額の10%くらいが市場の取引評価額のようです。彼らがその値段で売りたいという鑑定額になっています。収集家が売るときには絶対にその値段では売れません。10万以下は評価無、100万のものは10万円というのが相場です。1000万するものなどは滅多にありません。

値段もさることながら、こういう魑魅魍魎たる世界に入り込まないと真実もまた見えてこないようです。骨董の世界はまさに「買うべし、売るべし、休むべし」(買って、売って、売買を止めて勉強する)


保戸野窯 辰砂二作品

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平野庫太郎氏の作品では珍しい? というは初めて見る辰砂釉の天目茶碗です。これほどの辰砂の茶碗はほかにはないかも・・。

辰砂釉天目茶碗 平野庫太郎作
口径125*高台径50*高さ68



僅かな欠点の見込みの中の気泡1ミリ・・、それゆえ失敗作で商品にはならないらしい。



姿、辰砂釉薬の垂れ、これほどの完全な姿ながら、売り物にはしない。



平野庫太郎氏の作品には妥協は許さないのです。それゆえ作品は買う人の期待を決して裏切りません。



「でさ〜、先生。完全な作品はいつ出来るの?」「ん?、もうちょっとですぐ出来るよ。でもそのちょっとがたいへんなのさ。」「しばらく無理だね。」

辰砂釉水滴 平野庫太郎作
最大幅65*胴径62*高さ55*底径39



これはニュウが入っていて失敗作。窯の温度の下がり方の調整が難しく、苦労してるようです。



「これは独楽だね。」「そう、独楽をイメージしている。窯の温度が難しい。」「またこれもしばらくできそうにないな〜」



水は漏れないので使えますが・・・。

先生は買うぞ〜とか記念品でどうしても必要だ、と催促しないと作品が完成しそうにない。
なにやら市内の美術館で重要な仕事をするらしい。またまた作陶が???

2014年 鷹巣 彼岸の帰省 その2 

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3月の彼岸の帰省の第2回目の投稿です。秋田駅から普段は各駅停車でのんびりと行くのですが、今回は特急に乗りあっという間に鷹の巣に着きました。



駅前でタクシーに乗り、亡くなった家内の実家に向かいました。まだまだ雪はたくさんありました。冬独特のどんよりとした天気です。雲の向こうは白神山地です。



明治時代に建てられてシックな家(本ブログで男の隠れ家で紹介しました。)



さて、家の周りを点検・・、蔵も大丈夫そうですが、中は整理と改修が必要です。



仏壇を拝んだら墓参りです。もう皆さんは墓参りに来ていたようです。というか三日間お参りするそうですが・・。すべての墓にお供え物があります。



入り口のお地蔵さんも愛らしく・・、こんなところが田舎のいいところですね。



今年は雪が少なかったので、痛んだ箇所はなさそうです。



去年の暮れに改装した台所は快適なようです。



床の間の掛け軸は山本春挙・・、今日の夏に飾ったまま・・、そうか私は手術は長男の出産などで去年の夏以来来ていない



隠れ家に侵入。隠し階段・・。



隠れ家の部屋からは蔵が見えます。



昔は蚕を飼っていた部屋ですが、少しずつ改修中です。天井は知り合いから手配していただいた神社の杉・・。



明け方には窓から景色が・・・・。



そう、キリタンポを夕食頂いて、泊まることになりました。



寝床の掛け軸は西晴雲、飾りは山神様。



神々に守られた部屋でぐっすり・・・。



蔵にあった伊万里の鯉染付の大皿。



鎌倉〜室町の備前の壺。




愛らしい伊万里の染付小皿はトイレに・・・

20年以上かけて、資金が貯まったら郷里の人の協力で少しずつ手がけきた改修工事も残り少なくなってきました。子孫に引き継ぎたい「男の隠れ家」です。田舎には空き家が多くなり、古い民家が朽ちていくとか・。


水草文染付香炉型壁花入 伝清朝期 

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あまり見たことのない形の花入れです。こういう作品は贋作云々(真贋云々は気が疲れる)がなくて、心から楽しめる作品のひとつのように思います。

水草文染付香炉型壁花入 清朝期 
合箱
口径55〜30*胴径75*高さ103



実に面白い形をしています。立てると自立しますので、置いておくと香炉にみえます。




背面は平らになっており、掛花入になります。背面の穴が小さいので、壁掛花入れ用の金具をつけるといいと思います。



日本の注文で作った清朝期の作品の可能性もありますが、製作年代、生産地は不明です。

古伊万里白磁輪花蕎麦猪口 江戸期

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さて先週末は長男のお食い初め・・。家内のお茶の先生、元同僚、仕事先の方々から頂いた木の器でひとおり器が揃い、それに料理をよそい、小生作成のお皿に義父が朝早く市場で買ってきた鯛。お膳は家内の実家に古くからあるもの。

一の膳、二の膳、三の膳・・、この膳が揃っている家は珍しくなったようです。さて田舎に帰るとあるはず・・・。



さ〜さ、食いね〜

ところでやはり平野先生の器は間に合わなかった



日曜日にはひさかたぶりのゴルフ。ここ3年で二回目、国内ではほぼ3年ぶり・・、桜の下で100を切れたので大満足

本日はお猪口の器。

蕎麦猪口は以前に本ブログに投稿したことがあります。当方では骨董市で、なにも収穫がなときに時間つぶしにいいものはないか探したり、せっかく来たのに手ぶらではかえれないな〜と思った時にいいものがあれば購入していました。ですから、数は多くはありませんし、特別いいものがあるわけでもありません。

古伊万里白磁輪花蕎麦猪口 江戸期
口径69*高台径*高さ51




白磁の肌と繊細な輪花が美しい古伊万里の蕎麦猪口です。なにげなしにネットオークに入札したら安値で購入できたものです。



人気のある商品ですが、傷があったせいで安かったと思います。さっそく金繕いしておきました。



油壷や蕎麦猪口ばかりをたくさん集める人がいますが、あれには閉口します。なんであんなにいるのかなと・・・、人のことは言えず・・、なんで掛け軸がこんなに必要なの



ニュウがありますが、それほど気にはなりません。よくある器ですが、無傷の作品は少ないように思われます。



蕎麦猪口に、酒のお猪口に、向付に何にでも使える重宝な器です。



影青劃花輪花碗 その2

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昨夕は友人の紹介で六本木ヒルズで現職の衆議院議員の講演会を聴講。今話題のTPP・・・。

今の世界の潮流はTPPを実施しないとのれなくなるが、どう考えても農業は置き去りのようです。地方都市への政策が見えてこない。大を生かすには小を見捨てるエリート感覚のなんともやり切れない講演会でした。

この手の作品は二作品目の投稿となります。明らかに同じ生産地のものですね。近代の大量生産? そんなことはどうでいい。なかなか味のあるペアの器・・。

影青劃花輪花碗 その2
合箱入
口径121*高台径40*高さ40



中国産の白磁の一種の俗称。白い磁器質の素地にわずかに鉄分を含む透明の釉をかけたもので、青みをおびた透明性の釉薬となり刻花したものを影青(いんちん)と呼びます。

隠青とも書かれ,青白磁ともいう。刻まれた筋に釉薬がたまり、そこだけ少し色が濃くなり、文様は白地にうす青くあらわれて,なんとも静謐にして艶かしい様相となる。その文様が花の文様となり面白みがあります。




本作品は全体に薄作りで、文様が洒脱であり味があります。輪花の器の形にも味があります。高台を低く作り、円筒形の台を当てて焼いているため、褐色に台の跡が残っています。



この手のものは宋・元時代に中国南部でさかんに焼造され,とくに江西省の景徳鎮窯のものがもっともすぐれているとされていますが、本作品の製作時期、生産地などの詳細は良く解りません。出来の良いものはもっと青色にて発色され、これが影青と称されて珍重されています。

「影青」と呼ばれる作品群のなかでは発色はあまりよくないほうでしょう。同じような作品がふたつになりましたので、家内と二人での食卓にはもってこいの器になりました。



器は使っていくらの世界。箱にしまっておくのはもったいないですね。



じっくりひとつずつ食器を揃えていく楽しみは骨董の醍醐味です。

梅月想思図 寺崎廣業筆 その23

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骨董の難しさは贋作を見つけるより、真作を見つけることにあるように思います。人と接することと共通するようで、人の難点を探すことはたやすいですが、良い点を見い出すことの難しいのと同じようです。

梅月想思図 寺崎廣業筆
水墨着色絹本軸装 軸先象牙 二重箱共箱 
全体サイズ:横558*縦2030 画サイズ:横420*縦1210



月などを丸く描くことは非常に鍛錬を要すると聞いています。朧月夜ですね。



「寺崎廣業」の美人画は足が出ているという話を聞きましたが、本当かな??? これはどうも本当ではないようです。



史実上の人物なのか、誰を描いたかは詳細は解りません。



寺崎廣業が好んで描いた唐美人図といったところでしょうか。



非常にふくよかな顔立ちです。



共箱で二重箱になっていますが、なんときつくなっており、無理して入れると抜けなくなるという羽目になります。内箱に鉋をかける必要があるようです。



寺崎廣業の美人画には贋作が多く、注意を要します。はてさて本作品の真贋や如何? 本ブログでは贋作の疑いの高いものはすべてではありませんが「伝」としています。近日中に整理(処分)とともに非公開とする予定です。

古伊万里白磁大徳利 江戸期

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名古屋出張など会食などで少しバテ気味・・。

本日は「大きいことはいいことだ」と思わず言いたくなるようなずんぐりむっくりな大きな徳利です。

古伊万里白磁大徳利 江戸期
口径50*胴径230*高台径115*高さ360



200年くらい前の古伊万里の徳利。おそらくお酒を入れて祝い徳利として使ったものでしょう。

「なんでも鑑定団」に出品された、これより小さい徳利が10万円の評価でしたが、その器は窯の中で焼成中に付いた不純物が亀のようにみえて、骨董の醍醐味で見立ての面白さがあったための高評価だそうです。なんかその評価はおかしいというか、こじつかがましいというか・・。



李朝のような「兜巾高台」に近い形をしています。

本作品の評価できるのは、なんといっても大きさです。おそらく一番大きなサイズです。



隣の蕎麦猪口と比べると大きさがお分かり頂けるかと・・。

ともかく素朴な大きな器です。桜の枝でも挿して花瓶に・・・。

売買金額は通常は一万円もしないと思います。ただこの大きさは滅多にないかも・・。

大きくて邪魔なのが難点


伝古伊万里型押地文初期赤絵兜皿 

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今週末もゴルフの予定が入っていましたが、あまりにも朝が早いし、帰りは混むようなので不参加としました。なぜそうまでしてゴルフをするのか小生には理解できない。だいたいゴルフに打ち込む奴で仕事ができる奴にはお目にかかったことがない。

今週末には家内と長男が帰ってきます。五カ月ぶりに帰宅してくるので家の中を整理しないと・・

骨董というのは常に氏素性の解らぬものとの出会いばかりです。

伝古伊万里型押地文初期赤絵兜皿 
合箱
口径139*高台径64*高さ36




箱書きには「初期伊万里 古九谷様式前 型押地文 草花色絵小皿 17世紀前半」とありますが、詳細は不明です。



たしかに古九谷には白磁の生地を型打ち整形し絵が描かれた作品群があります。



柿右衛門、初期伊万里、古九谷という三種の味わいを持った不思議な皿です。



繊細な柿右衛門とは対極の、古格といっていいほどの素朴さのある作品です。



初期赤絵は寛文時代(1661〜73)において古九谷の後期から柿右衛門に移行する時期の色絵皿で、見込みの内側に、円形状に釉薬を剥いで絵付けをする事が多いようです。



本作品はその技法ではなく、釉薬の上から絵付けをしています。このような作品もたしかに存在します。古伊万里の本流からは外れたこのタイプは、古九谷の五彩の系譜であるようなのですが、群青はなく、黄色はあったり、なかったりです。


さて本作品の氏素性や如何??

瀬戸跳兎紋馬の目石皿 江戸期 その4

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昨日の訪問者数が500人を初めて超えました。閲覧数はおしくも3000を超えませんでした。増えると目標にしている訳ではありませんが、励みになったり、面白くなったりするものです。

さて、本日は最近投稿している石皿です。最近はこの手の石皿は廉価になってきたように思います。数が少なく見かけないわりには、インターネットオークションなどではお手頃な値段で落札されています。とくに無地のものは入手しやすいようです。

瀬戸跳兎紋馬の目石皿 江戸期 その4
合箱
口径250*高台径165*高さ35



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以下は今までの瀬戸の石皿と重複する説明です。

瀬戸の煮〆皿は江戸末期から瀬戸で大量に作られた雑器中の雑器です。石皿の特徴は呉須と鉄で絵付けされていて、皿の縁取りが広く取ってあること、高台が厚めに低めに作ってある事などです。



煮〆を盛るのに良い感じなので、煮〆皿とも呼ぶようです。大量に作られたが故に、そこに描かれた絵や文字は、手慣れた筆裁きによる無意識の美を表しています。石皿の名前の由来は、いくつかあるようです。「韓国の石器を思わせる所から、石皿」、「釉薬に長石を使うから、石皿」というような感じらしいです。はっきりした由来は分からないようです。器に描かれた絵や文字の中では初期伊万里、桃山唐津と並んで第一級のものとも評されます。瀬戸の煮〆皿として、石皿、馬の目皿、そして絵皿があり、その代表的な作品が本作品のような石皿です。

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本作品は周囲に馬の目、奇数の馬の目は希少と思われます。重ねて大量に焼成されたようで目跡あり、、また重ねて焼かれたために歪んでいます。白釉薬がたっぷりと掛けられたものより、固い感じがしますので、だいぶ時代的には下がる作品群か生産地が
別の作品群のひとつではないかと思われ、もしかしたら瀬戸ではない可能性もあります。本来「石皿」というのは瀬戸に限定されるようです。




中央には「跳兎?」と説明された極端に簡略化された図が描かれていますが、一体なになのでしょうか?



これこそ雑器中の雑器・・・。



ただ現代の小さな食器棚では収まりきれない・・・・。

千里一走 山口蓬春筆 その4

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本日の日曜日には五ヶ月ぶりに家内が長男を連れて、自宅に帰ってくる

土曜日の朝から片づけと部屋中の雑巾がけ・・、土曜日のゴルフコンペを欠席した理由のひとつがこのためでもあります。

家族が増えるのはなにものにも替え難いものです。最近は結婚しなかったりする人が多く、こらkらますます一人暮らしのなる人が多くなるとか・・。私は老後に対する危機意識が個人個人に欠落していると思います。

一人暮らしの恐ろしさを知らないのでしょうね。仕事や個人の自由といいますが、それは元気なうちだけ・・、ぽっくり死ぬだけが死に方ではなく、多くが仕事をやめたあとも、病気と闘ったりしながら生きていかなくてはなりません。

人と人が助け合って生きていく仕組みを考える必要がありますが、可能性のある人は早く結婚したほうがいいです。そしてできるなら早く子どもをつくることです。小生のように還暦を過ぎてからつくった人もいますよ。

さて骨董品はかなり処分、整理しましたが、自宅分だけでもまだ半分も処理できていません。

骨董はいずれ離れていくもの、しばしさらばという感じです。コレクターが収集品を整理を終わったと思ったら、急死してしまいました。厳選して遺した作品を子息達が全部換金処分・・、そんなものかもしれませんが、なんとか後世に遺すべきものは遺したいですね。

結婚も骨董蒐集もままならなかった戦時中の作品です。

戦時中のやるせない思いがこもっている作品であると思います。後世に伝えるべき、遺すべき作品のように思います。

千里一走 山口蓬春筆 その4
紙本水墨軸装 軸先象牙絵付 共箱
全体サイズ:縦1705*横434 画サイズ:縦530*横275



箱書きには「昭和一八年春日 為菊田氏 蓬春題」とあり、参考落款である作品「白装」の落款・印章に箱書ともに一致します。

   

これらはよくつ使われる印章です。

  

昭和18年の箱書から「虎千里を帰る」という意味で戦地に赴く人に描かれた作品ではないかと推察されます。

寅には、「虎は千里行って千里帰る」という格言があり、意味は、二つあり、

ひとつは、虎のように勢い盛んに、というもので、「獣の王者である虎は、一日に千里の距離を走り千里戻ってくることができるほど、勝れた行動力を持っていると言われることから、人やものの勢いが非常に盛んな様子のたとえ 。」、

もうひとつは、親子の絆。「虎は一日に千里の距離を走るが、巣穴にいる自分の子供を思ってまた千里を走って帰ってくる。親が子を思う気持ちの強さをたとえたことば。」です。



そう、本日は逆に自分の子どもが帰ってくる。だからの本日投稿

虎の絵に軸先が象牙に竹の漆絵、表装に竹の柄・・、いいですね。



昔はこういうところにこだわりや見栄があった。でも戦時中の表具かな??




山口逢春の所蔵する作品群は以下のとおりです。いずれ本作品も期間限定での公開となる予定です。


春苑象悟 山口逢春筆(非公開作品) その1
絹本着色軸装共箱二重箱軸先象牙 
全体サイズ:横653*縦1410 画サイズ:横523*縦433 10号




柳鷺図 山口逢春筆(一部で公開作品)その2
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:縦2180*横442 画サイズ:縦1300*横320



「柳鷺図」はそろそろ染み抜き改装の必要がありますが、資金不足・・・


叭々鳥 伝山口逢春筆 その3
絹本着色軸装 軸先象牙 合箱二重箱
全体サイズ:縦2095*横715 画サイズ:縦1290*横500

世の中には人の教えてくれない大切なことがたくさんあるようです。ままにならなった時代から今は好きなことは自分でかなり選択できる時代ですが、それゆえ自分で学び、感じとることができないと生き方を誤まることになりかねません。

衝動買い 唐獅子紋染付花瓶 南紀男山焼 

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昨夜から長男が自宅マンションにやってきました。小生の骨董部屋をほぼ占領・・。書斎に全面撤退。作品もかなり減らしました。調べの終了したものや疑わしきものはもはや手もとに置かず・・・。常に新しいことにチャレンジです。

長男を風呂に入れるのは未だうまくいかず、毎回ないてわめいての大騒動・・。そのうちどちらかが慣れるだろう・・。いたって健康で寝るか、飲むか、きょろきょろしてニコニコしてる長男坊です。

本日の作品も新しいものへのチャレンジ・・・、何気なくといえば聞こえが良いのですが、要するに衝動買い。プロなら許せないことでも、素人は反省するまもなくやってしまうことです。

唐唐獅子紋染付花瓶 南紀男山焼 
合箱
口径105*胴径130*高さ270*底径110



本作品は印銘で「南紀男山」と刻印されていますが、南紀男山焼の銘は書かれたものがほとんどで、刻印があるかどうかは後学にします。



以前に投稿しました「偕楽園焼」と同じように紀州藩御用窯のようですが、当方は全くもってこの窯については詳しくありません。



作品が面白そうのなので、購入したように覚えています。いいものやら、悪いものなのやら検討のつかない作品です。




南紀男山という焼き物群はいずれにしてもあまり上等な部類ではなさそうには思います。



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南紀男山焼:文政10年(1827)頃から、明治11年(1878)にかけて、和歌山県有田郡広川町男山において焼かれたもので、紀州で最大の規模を持っていた。

当初、男山焼は紀州徳川家10代藩主治宝公の、殖産興業政策の一つとして生まれ、藩の御用窯であったが、安政3年(1856)頃から明治維新にかけての時期に、藩の手を離れ、開窯者「崎山利兵衛」の個人経営となり、途中一時開物局時代に藩との共同経営となったが、明治8年(1875)、利兵衛の没後、男山 嘉兵衛、土屋 政吉、など五人の共同経営となったが、製品の売れ行きが悪く、廃窯となった。明治11年(1878)までの50年余りにわたり焼き継がれた紀州焼物の代表的な陶磁器です。

窯場は、広八幡神社の東の小高い丘(男山)の南面に当り、その敷地内に入る相当広い窯器場でありました。そして大規模な登窯などもそなえ、陶磁器の生産量は紀州一を誇りました。原料の陶石は広川町山本の庚申山から、陶土は広川町周辺から採ったといわれ、販売は有田市の宮崎(箕島)陶器商人によって江戸、大阪をはじめ全国各地に船で積み出されました。



製品は主に庶民の日用雑器が多く、今も素朴な美しさと作った人のぬくもりを伝えていますが、なかには陶工のひたむきな美の追求の結果生れた、すばらしい作品もあり、高い評価とともに紀州の名品と、いまも人々に愛されています。そこには陶工として、また経営者として卓越した手腕を発揮した崎山利兵衛を中心に、名人気質の陶工 土屋政吉(光川亭仙馬)や、その他たくさんの陶工たちの優れた技と情熱によって花ひらいた窯であり、紀州の名産と、いまも人々にいわれる由縁でもあります。

あらゆる物が焼かれたと言っても過言ではなく、交趾写、青磁写、色絵写、等々が制作されたが、染付けの物が最も多く、一般大衆向けの製品を数多く作り、伊万里焼きに習って、紀州簑島の陶器商人の手により、藩、県の内外に販売されました。

製品には、在銘のものと、無銘のものが有り、割合から言えば、無銘の物が圧倒的に多く、在銘品は最初から念を入れて作られたようで、技術的にも非常に優秀であり、嗜好的な製品が多いようです。




銘の種類としては、「南紀男山」の染付け銘が大半を占めますが、作者の名前が入った物もあります。その他、窯跡からは、「偕楽園製」「三楽園製」「南紀高松」の銘の入った物も出土しています。

無銘品は、技術的にも在銘品に比べ低級な物が多く、これらは伊万里焼に混ぜて売りさばいた例が多くあげられています。在銘品は藩の御用品であったとも言われていますが、長い間焼かれたわりには、土取場、原材料の供給源、職人の問題等々、不明な点が多いようです。

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2014年 大館 彼岸の帰省 その3

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昨夜は大宮で元同僚の設計の人と会食。本日も会食・・、ダイエットはどこぞへ??

さて彼岸の連休の帰省は自宅に2泊のみ。

屋根の補修も無事完了し、塗装も完了していました。今回は積雪のよる保険で補修できました。



家の中の換気・・、いつも「空き家管理」さんがメンテしてくれているので、おおきな支障はないようです。



2階の天窓のガラスも交換したので点検。このスペースは本来は掘り炬燵式にするはずだった??



何気なく置いてあるテーブルクロスをめくると・・。



螺鈿細工の机が出てきました。「頼山陽」の漢詩?? 意味は???



祖先はなかなかのものを遺していったらしい。壊れていなくよかった。ガラス取替え時に壊されたらたいへんでした。

さて、点検も早々に車を義母に返すために鷹巣までドライブ・・。



帰省はいつも慌しいものです。60歳過ぎたら同級生が田舎に何人か戻ってきているようです。寂れていく郷里を立て直すのは年金生活者かもしれません。



義母と義妹に鷹巣の駅まで送ってもらいました。まずは秋田駅まで・・。



秋田駅から新幹線・・、ここで念願の大館名物「鶏飯弁当」で腹ごしらえ、秋田駅構内で売っています。今まで大館市内では売り切れでした。



この弁当はうめぞ〜。これで二度目の紹介かな? もとはまかない弁当であったそうな。日持ちしないので、ここ秋田駅、大館市内でしか食えない。欲を言えば暖かい最上のものを、大館駅前でどうぞ。
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