藤井達吉は、当時の分業と技術偏重を特徴とする旧来の職人主義的な工芸観を排し、自然の観察に基づいて作家が自ら模様を生み出し、制作までを一貫して行うべきことを主張しました。それは、工芸が「芸術」として自立する道を模索した、この時代の新進の工芸家たちに共通する思いを代弁したものでもあったと言えます。
花之図 藤井達吉筆 その17
紙本水墨淡彩染付和紙軸装 軸先陶器 合箱
全体サイズ:縦1265*横595 画サイズ:縦310*横470
![]()
上記の工芸に対する思いを藤井達吉の言葉で引用しますと次のようになります。
•「工芸とは本来、絵画・彫刻・及び工芸全般を包合し、総合的に作られてこそ一つの作品となるもので、その内一つでも欠けることは許されない。」
•「工芸においては、絵画も一義、図案も一義、素材も一義、枝術も一義であり、全てが整って初めて一つの作品となる。 つまり、工芸は全ての芸術的要素を含んだ総合芸術である。」
•「旧来、工芸品は数人の分割された職人の手仕事によって作られており、作り手の作意は表に出さなかったが、これでは本当の芸術とは言えない。一つの作品の、図案から制作までを一人でおこない、作者の人間性を表現して初めて芸術作品と言える。」
![]()
和紙を自分で考案し、絵を自分で描き、表具の素材も自ら作り、表装のデザインを行い、軸先も陶器で製作してひとつの掛け軸を作り出しています。
絵の下手な漆器、表具を知らない日本画家、ものづくりに大切な何かを置き去りにした工芸品が市場を占めている現代へのアンチテーゼかも・・。
![]()
また藤井は、従来はほとんど見向きもされなかった薊(あざみ)や羊歯(しだ)、鶏頭などの身近な植物を模様のモチーフとして取り上げながら、七宝、象嵌、刺繍、染色、金工など、あらゆる技法を用いて、手箱や盆、帯や着物といった身の回りの品々から、図案集、装幀、さらには日本画まで、多様な作品を手がけることとなります。
このような藤井の制作態度にはまた、「生活の芸術化」を志す、一貫した信念がありました。『主婦之友』に「手芸」についての連載を行うなど、家庭生活を豊かにするために、広く素人である主婦の啓蒙に尽力したことも、藤井の大きな功績の一つと言えるでしょう。
![]()
この作品の題名は仮題として「花」にしましたが、躑躅でしょうか?
![]()
美術学校にも行けず、独学で芸術の道を歩んだ達吉に美を教えたものは、「自然」であったそうです。草花の無駄の無い美しさに美の本質を見つけ、そこから芸術を学んだそうです。
路傍の雑草一本にも心を使い、庭は手入れをせず、自由奔放に育った雑草と四季の移り変りの美を大切にしたそうです。このことは、達吉の多くの作品の基となっているデザインを見れば一目瞭然ですね。
上記を藤井達吉の言葉で表現すると下記のようになるのでしょう。
•「自然を見つめる。言い換えれぱ自然を愛すること。そして自然に教えられることが芸術の第一歩ではなかろうか。」
•「写生から出発し、写生を超越して創造に行くのが芸術である。」
•「自然を観察せよ。」
![]()
さらには達吉の言う「人間らしさ」とは、常に向上することであると言っています。つまり、咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづけるという意味でしょう。それは、人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと言えるのでしょう。
藤井達吉は下記の言葉を遺しています。
•「芸術作品は、作者の人間性、全人格が優劣を決めるのであって、技術ではない。」
•「最後は『人格』に帰する。何をしてもこの『人格』の表現だ。」
•「より人間らしく生き、人間らしく生きるために芸術をおこなうのである。」
•「咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづける」
•「人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと」
藤井達吉が友人に当てた書簡に有名な次の言葉があります。
•「芸術とは何ぞや宗教なり 宗教とは何ぞや真実なり 真実とは何ぞや愛なり 愛とは何ぞや芸術なり」
![]()
絵に合った和紙を自分で考案し、掛け軸に仕立てた作品は数多くあります。
![]()
ただ野菜などを戴いた方にお礼に描いた作品も数多く存在し、共箱の作品は意外に少なく、表具が凡庸なものも多くあります。本作品も共箱ではなく作品に押印された印章のみです。
![]()
写真では解りにくいのですが、この絵にこの表具はよく似合っています。
![]()
布のように見えるかもしれませんが、表具はすべて紙で作られています。
![]()
奇抜なデザインの作品も多々ある藤井達吉の作品ですが、基本的には渋いデザインを真骨頂にしているように思います。
![]()
今では知る人も少ない藤井達吉ですが、今こそ「旧来、工芸品は数人の分割された職人の手仕事によって作られており、作り手の作意は表に出さなかったが、これでは本当の芸術とは言えない。一つの作品の、図案から制作までを一人でおこない、作者の人間性を表現して初めて芸術作品と言える。」という思想を考え直す時のように思えます。
![]()
何からなにまで人任せの風潮のある中で、現代人は高齢化の時代を迎えていますが、なによりも大切なのは「咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづける」姿勢である思うのは小生だけでではないように思います。
花之図 藤井達吉筆 その17
紙本水墨淡彩染付和紙軸装 軸先陶器 合箱
全体サイズ:縦1265*横595 画サイズ:縦310*横470

上記の工芸に対する思いを藤井達吉の言葉で引用しますと次のようになります。
•「工芸とは本来、絵画・彫刻・及び工芸全般を包合し、総合的に作られてこそ一つの作品となるもので、その内一つでも欠けることは許されない。」
•「工芸においては、絵画も一義、図案も一義、素材も一義、枝術も一義であり、全てが整って初めて一つの作品となる。 つまり、工芸は全ての芸術的要素を含んだ総合芸術である。」
•「旧来、工芸品は数人の分割された職人の手仕事によって作られており、作り手の作意は表に出さなかったが、これでは本当の芸術とは言えない。一つの作品の、図案から制作までを一人でおこない、作者の人間性を表現して初めて芸術作品と言える。」

和紙を自分で考案し、絵を自分で描き、表具の素材も自ら作り、表装のデザインを行い、軸先も陶器で製作してひとつの掛け軸を作り出しています。
絵の下手な漆器、表具を知らない日本画家、ものづくりに大切な何かを置き去りにした工芸品が市場を占めている現代へのアンチテーゼかも・・。

また藤井は、従来はほとんど見向きもされなかった薊(あざみ)や羊歯(しだ)、鶏頭などの身近な植物を模様のモチーフとして取り上げながら、七宝、象嵌、刺繍、染色、金工など、あらゆる技法を用いて、手箱や盆、帯や着物といった身の回りの品々から、図案集、装幀、さらには日本画まで、多様な作品を手がけることとなります。
このような藤井の制作態度にはまた、「生活の芸術化」を志す、一貫した信念がありました。『主婦之友』に「手芸」についての連載を行うなど、家庭生活を豊かにするために、広く素人である主婦の啓蒙に尽力したことも、藤井の大きな功績の一つと言えるでしょう。

この作品の題名は仮題として「花」にしましたが、躑躅でしょうか?

美術学校にも行けず、独学で芸術の道を歩んだ達吉に美を教えたものは、「自然」であったそうです。草花の無駄の無い美しさに美の本質を見つけ、そこから芸術を学んだそうです。
路傍の雑草一本にも心を使い、庭は手入れをせず、自由奔放に育った雑草と四季の移り変りの美を大切にしたそうです。このことは、達吉の多くの作品の基となっているデザインを見れば一目瞭然ですね。
上記を藤井達吉の言葉で表現すると下記のようになるのでしょう。
•「自然を見つめる。言い換えれぱ自然を愛すること。そして自然に教えられることが芸術の第一歩ではなかろうか。」
•「写生から出発し、写生を超越して創造に行くのが芸術である。」
•「自然を観察せよ。」

さらには達吉の言う「人間らしさ」とは、常に向上することであると言っています。つまり、咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづけるという意味でしょう。それは、人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと言えるのでしょう。
藤井達吉は下記の言葉を遺しています。
•「芸術作品は、作者の人間性、全人格が優劣を決めるのであって、技術ではない。」
•「最後は『人格』に帰する。何をしてもこの『人格』の表現だ。」
•「より人間らしく生き、人間らしく生きるために芸術をおこなうのである。」
•「咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづける」
•「人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと」
藤井達吉が友人に当てた書簡に有名な次の言葉があります。
•「芸術とは何ぞや宗教なり 宗教とは何ぞや真実なり 真実とは何ぞや愛なり 愛とは何ぞや芸術なり」

絵に合った和紙を自分で考案し、掛け軸に仕立てた作品は数多くあります。

ただ野菜などを戴いた方にお礼に描いた作品も数多く存在し、共箱の作品は意外に少なく、表具が凡庸なものも多くあります。本作品も共箱ではなく作品に押印された印章のみです。

写真では解りにくいのですが、この絵にこの表具はよく似合っています。

布のように見えるかもしれませんが、表具はすべて紙で作られています。

奇抜なデザインの作品も多々ある藤井達吉の作品ですが、基本的には渋いデザインを真骨頂にしているように思います。

今では知る人も少ない藤井達吉ですが、今こそ「旧来、工芸品は数人の分割された職人の手仕事によって作られており、作り手の作意は表に出さなかったが、これでは本当の芸術とは言えない。一つの作品の、図案から制作までを一人でおこない、作者の人間性を表現して初めて芸術作品と言える。」という思想を考え直す時のように思えます。

何からなにまで人任せの風潮のある中で、現代人は高齢化の時代を迎えていますが、なによりも大切なのは「咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづける」姿勢である思うのは小生だけでではないように思います。