子供は絵本好き・・・、何冊も持ってきては「これ読んで!」
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そんな本の中に大人顔負けに図録まで入ってくることがたびたび。「お父さんの耳はどこが悪いの?」、ともかく子供の成長は早いImage may be NSFW.
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金城次郎の作品は銘のないもの、掻銘のあるものでも共箱のない初期のもの、しかも皿なら40センチ、壺なら30センチを超えるものでないとみるべき作品はない、というのが小生の実感です。
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本日はその金城次郎がまだ作品を画一していない、葛藤に時代に作られた作品の紹介です。これが金城次郎氏の作品かどうか疑問視する方があろうかと思いますが、当方では間違いないと判断しています。
壺屋焼 白化粧地鉄絵唐草文花瓶 金城次郎作
口径*最大胴径160*高台径*高さ325
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金城次郎の1972年に読谷に移転する以前、壺屋で作陶に取り組んでいた頃の初期作品と思われます。印銘はありませんが、高台内の特徴から金城次郎の作と断定しています。これは経験則のようなものによる判断です。
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金城次郎は主に呉須の点描による唐草文の作品を製作していますが、本作品のように蛸唐草のような描き方の唐草文様の作品は珍しいと思います。
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金城次郎氏の有名な作品といえば、複数の曲線や渦巻き模様を組み合わせてつるが絡み合う様子を表した唐草模様や、魚を描いた魚文があげられます。
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特に名高い「魚文線彫り」と呼ばれる魚が泳ぐ様を描いた模様は沖縄に伝わる定番の柄で、子孫繁栄を意味するめでたい柄です。一方で唐草文は金城次郎氏が朝鮮陶磁器の影響を受けた上下のS宇状唐草文(と中間部の牡丹唐草文)という加飾構成の作品は、数は少ないものの金城次郎作品に取り込まれています。まさに「自分の個性で描く」ようなっていくことを確立した頃の葛藤時代の図柄の作品と言っていいでしょう。
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金城次郎といえば魚文という評価があるのは事実ですが、読谷村時代の作に比して、その文様を確立する頃の壺屋時代にこそ次郎の多様さや美しさの到達点を見ることができるいう評価も一方であります。習熟した壺屋の技を駆使し、作陶のための 伝統の要点を頑固に守りながら、壺屋時代には自然で作為を感じさせない、それでいて見紛うことなく金城次郎でしかない美しい品物が淡々と生み出されています。
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壺屋時代(那覇市壺屋での作陶時期、1972年に読谷村へ窯を移た)の作品、この頃の作品の多くは、基本的に「次」の掻き銘がありません。
*金城次郎は1975年以降に自作品に「次」の線刻署名を入れるようになりますが、それ以前でわずかではあるが、出来の良いものなど注文主の求めに応じて「金次」などの線刻署妬を行っていたどうです。
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ただやみくもに壺屋時代の作品がいいかというとそれは大いに疑問です。主に日用雑貨の作品を製作していましたが、それらに見るべきものは残念ながらありません。ただ40センチを超える大皿や高さ30センチを超える大柄な壺にこそ金城次郎の魅力がいっぱいです。脳梗塞を患った以降にはこのような大作の優品はなく、己の作品を生み出そうと葛藤していた時代のこの時の大作にこそ金城次郎の魅力が詰まっているように思います。
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金城次郎氏のこのような銘のない大作の作品群を評価する人は稀かもしれません。骨董商は共箱、銘の偏重傾向ありますから、こういう作品群をあまり評価しません。しかし、共箱・銘のある金城次郎の作品のなんとつまらないことか・・。口に出す人は少ないですが、万人が認めるところでしょう。手元にある共箱のある、銘のある作品は見るべき点はないと見直す必要があります。
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上記左の壺が壺屋時代頃、右が読谷村時代入った頃の掻銘のある作品。全体にてかりもなくなっており、釉薬や造形が安定しています。
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大皿も同じですね。極端に大きな作品は少なくなり、作品がすとんとまとまってしまってきています。この傾向は晩年まで続きますが、壺屋時代の豪放さは影を潜めてしましまいます。
こういう傾向は作家の作品に多々あり、浜田庄司は逆に晩年の作に魅力がいっぱいあります。一部の赤絵を除き、晩年前の作品には魅力が乏しいものです。ただ、やはり浜田庄司の作品も大作にこそ魅力があるという点では金城次郎と共通しています。
下記の赤絵の作品は三越の展示会に出品された作品。赤絵についても数は少ないがやはり晩年の作が優れていますね。釉薬やフォルムに落ち着きがあります。
柿釉赤絵角皿 浜田庄司作
共箱
縦272*横275*高さ64*高台径約155
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下記の作品は当方で所蔵してる浜田庄司の最大の大きさの作品で、出来、大きさでこれに勝る作品は見たことがありません。
茶鐵砂大壺 浜田庄司作
共箱 花押サイン入
高さ570*口径340*胴径520*底径215
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民芸の作品はともかくでかいものがいい。お茶碗にいいものもありますが、数茶碗としての趣向以外は茶席では使いようがない。濃茶ではむろん、お薄でも主茶碗に民芸作はありえません。このところをわきまえていない方が多いようです。浜田庄司にしろ、河井寛次郎にしろ、金城次郎にしろ、茶器には向いていませんね。会席の飯茶碗・食器碗にはもってこいですが・・。
その作家の作品ならなんでもいいという鑑識眼のない愛好家が多いようですが、何ごとも自分の好みというものは明確にしておくべきものです。これは趣味も仕事も同じですが、子供は好みを明確に持っているImage may be NSFW.
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金城次郎の作品は銘のないもの、掻銘のあるものでも共箱のない初期のもの、しかも皿なら40センチ、壺なら30センチを超えるものでないとみるべき作品はない、というのが小生の実感です。
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本日はその金城次郎がまだ作品を画一していない、葛藤に時代に作られた作品の紹介です。これが金城次郎氏の作品かどうか疑問視する方があろうかと思いますが、当方では間違いないと判断しています。
壺屋焼 白化粧地鉄絵唐草文花瓶 金城次郎作
口径*最大胴径160*高台径*高さ325
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金城次郎の1972年に読谷に移転する以前、壺屋で作陶に取り組んでいた頃の初期作品と思われます。印銘はありませんが、高台内の特徴から金城次郎の作と断定しています。これは経験則のようなものによる判断です。
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金城次郎は主に呉須の点描による唐草文の作品を製作していますが、本作品のように蛸唐草のような描き方の唐草文様の作品は珍しいと思います。
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金城次郎氏の有名な作品といえば、複数の曲線や渦巻き模様を組み合わせてつるが絡み合う様子を表した唐草模様や、魚を描いた魚文があげられます。
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特に名高い「魚文線彫り」と呼ばれる魚が泳ぐ様を描いた模様は沖縄に伝わる定番の柄で、子孫繁栄を意味するめでたい柄です。一方で唐草文は金城次郎氏が朝鮮陶磁器の影響を受けた上下のS宇状唐草文(と中間部の牡丹唐草文)という加飾構成の作品は、数は少ないものの金城次郎作品に取り込まれています。まさに「自分の個性で描く」ようなっていくことを確立した頃の葛藤時代の図柄の作品と言っていいでしょう。
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金城次郎といえば魚文という評価があるのは事実ですが、読谷村時代の作に比して、その文様を確立する頃の壺屋時代にこそ次郎の多様さや美しさの到達点を見ることができるいう評価も一方であります。習熟した壺屋の技を駆使し、作陶のための 伝統の要点を頑固に守りながら、壺屋時代には自然で作為を感じさせない、それでいて見紛うことなく金城次郎でしかない美しい品物が淡々と生み出されています。
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壺屋時代(那覇市壺屋での作陶時期、1972年に読谷村へ窯を移た)の作品、この頃の作品の多くは、基本的に「次」の掻き銘がありません。
*金城次郎は1975年以降に自作品に「次」の線刻署名を入れるようになりますが、それ以前でわずかではあるが、出来の良いものなど注文主の求めに応じて「金次」などの線刻署妬を行っていたどうです。
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ただやみくもに壺屋時代の作品がいいかというとそれは大いに疑問です。主に日用雑貨の作品を製作していましたが、それらに見るべきものは残念ながらありません。ただ40センチを超える大皿や高さ30センチを超える大柄な壺にこそ金城次郎の魅力がいっぱいです。脳梗塞を患った以降にはこのような大作の優品はなく、己の作品を生み出そうと葛藤していた時代のこの時の大作にこそ金城次郎の魅力が詰まっているように思います。
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金城次郎氏のこのような銘のない大作の作品群を評価する人は稀かもしれません。骨董商は共箱、銘の偏重傾向ありますから、こういう作品群をあまり評価しません。しかし、共箱・銘のある金城次郎の作品のなんとつまらないことか・・。口に出す人は少ないですが、万人が認めるところでしょう。手元にある共箱のある、銘のある作品は見るべき点はないと見直す必要があります。
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上記左の壺が壺屋時代頃、右が読谷村時代入った頃の掻銘のある作品。全体にてかりもなくなっており、釉薬や造形が安定しています。
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大皿も同じですね。極端に大きな作品は少なくなり、作品がすとんとまとまってしまってきています。この傾向は晩年まで続きますが、壺屋時代の豪放さは影を潜めてしましまいます。
こういう傾向は作家の作品に多々あり、浜田庄司は逆に晩年の作に魅力がいっぱいあります。一部の赤絵を除き、晩年前の作品には魅力が乏しいものです。ただ、やはり浜田庄司の作品も大作にこそ魅力があるという点では金城次郎と共通しています。
下記の赤絵の作品は三越の展示会に出品された作品。赤絵についても数は少ないがやはり晩年の作が優れていますね。釉薬やフォルムに落ち着きがあります。
柿釉赤絵角皿 浜田庄司作
共箱
縦272*横275*高さ64*高台径約155
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下記の作品は当方で所蔵してる浜田庄司の最大の大きさの作品で、出来、大きさでこれに勝る作品は見たことがありません。
茶鐵砂大壺 浜田庄司作
共箱 花押サイン入
高さ570*口径340*胴径520*底径215
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民芸の作品はともかくでかいものがいい。お茶碗にいいものもありますが、数茶碗としての趣向以外は茶席では使いようがない。濃茶ではむろん、お薄でも主茶碗に民芸作はありえません。このところをわきまえていない方が多いようです。浜田庄司にしろ、河井寛次郎にしろ、金城次郎にしろ、茶器には向いていませんね。会席の飯茶碗・食器碗にはもってこいですが・・。
その作家の作品ならなんでもいいという鑑識眼のない愛好家が多いようですが、何ごとも自分の好みというものは明確にしておくべきものです。これは趣味も仕事も同じですが、子供は好みを明確に持っているImage may be NSFW.
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