77の法事まで祭壇は座敷の設けたままでしたが、亡くなった家内の母も無事に旅立ったことでしょう。欄間には「忠孝」の文字の額、国家、家を守る基本としたためています。
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地域の本家ですが、高齢であったこともあり近所と身内だけの法事としました。
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息子もきちんとおもてなし? 家できちんと家人を送り出す習わしも少なくなりましたね。
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夕方は家族でくつろぎました。
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本日紹介するのは「遼三彩」と思しき作品です。三彩という陶磁器には主流として唐三彩・遼三彩・ペルシャ三彩・奈良三彩・明三彩、そして源内焼などがありますが、意外に作品が多くあるのは遼三彩です。遼三彩の作品は何点か本ブログで紹介していますが、本作品を含めて当方の復習の意味も兼ねて投稿します。
遼三彩 石榴文盤
箱入
口径207*高台径105*高さ44
中国の東北部に建国した契丹族の遼で焼造された三彩陶器。北宋王朝と北方の領土を巡って激しく争ったことで知られる契丹族の国・遼の三彩です。
遊牧民族である契丹族は,むろん製陶業はもたなかったのですが,国家意識に目覚めて916年に建国すると中国文化の摂取につとめ,文化向上につとめ華北の陶工を領内に拉致して窯を築かせたそうです。遼寧省赤峰市に近い乾瓦窯はその代表的な窯であり,ここで遼三彩は焼造されています。
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創始は遼後期の1060年代からですが,単色の緑釉陶と褐釉陶はすでに10世紀に焼造していると思われる。遼三彩は唐三彩と同様すべて副葬品であり、遼三彩の起こりは遼代中期に政府が厚葬(手厚い埋葬)を禁じたことと関わりがあります。
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すでに紹介した下記の「緑釉麒麟像」は10世紀にはじまった単色の作品と推定しています。骨董店の主人も「唐三彩というより遼ではないか。」と推測していました。おそらく副葬品でしょう。
麒麟は『礼記』によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されています。このことから、幼少から秀でた才を示す子どものことを、「麒麟児」や、天「上の石麒麟」などと称することから、生まれ変わったらそのような人物になることを祈念していたかもしれませんね。
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遼は北部に位置し自然資源はもちろん、献上される貢ぎ物にも限りがあったので、貴族たちの厚葬の風潮は社会財源にとってきわめて大きな浪費であったようです。そこで政府は金銀器の副葬を禁じ、代わりに金銀器の効果にならった三彩釉の陶器や金メッキした銅器を用いさせたようです。
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唐三彩とは違って、朔北の草原に生まれたこの三彩はある程度の粗放さに裏打ちされた力強い野性味に満ちているといえましょう。赤い素地に白化粧をして低温釉の三彩釉を施すことに変わりはありませんが、地肌に付けられる刻花文や印花文が唐三彩のそれのように整然とはしておらず、その上の三彩釉も規矩にこだわらず自由奔放に掛けられていますので、かなり印象は違ったものになります。
すでに紹介した下記の作品は刻花文の作例ですが、こちらは「遼三彩」と断定はしていませんのでご了解ください。
三彩飛雁文盤
合箱
口径243*高さ24*底径
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唐三彩ほどの繊細さはない作品ですが、素朴な雰囲気が日本のわびさびの精神に通ずるところから人気があります。重ねて焼成するのでそのため三点の目あとがついていることがあります。
本作品には重ね焼きの目跡は見当たりませんね。
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本作品は遼三彩の典型的な作例で石榴の図を彫文で表し、緑釉と褐釉を掛けており、遼三彩らしい素朴さとともに近代的なデザイン性に溢れています。
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形や文様にきびきびとした印象が強い宋時代の陶磁器と比べると明るくおおらかであり、むしろ唐時代の中国陶磁の作風に通じるかもしれません。
こちらもすでに紹介されている作品ですが、副葬作品にふさわしい作例ですね。
三彩印花鴛鴦文陶枕
幅205*奥行184*高さ137
化粧箱入
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11世紀後半になると、乾瓦窯はひときわ優れた三彩を生み出した。轆轤成形した器面に、型で文様を浮彫りする技を得意とし、三彩の色彩も鮮やかさを増しました。
下記の作品がその頃の作品に相当すると考えています。
遼三彩印花牡丹文皿
合箱
最大口径185*底径*高さ38
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なお本作品に誂えられている箱は下記のものです。
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右下の記述「□□堂」についてはよくわかりません。大きさも合わない箱なのでこの箱は破棄して別の新品の桐箱を誂えます。
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1000年前後の前の作品です。人は生きても100年ですが、骨董品は大切にしていると永久に存在し続け人の当時を思い起こさせてくれるタイムカプセルのようなものですね。
再興九谷と並べて展示してみました。デザイン性には九谷と共通点がありそうです。
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釉薬の剥がれ部分はこれ以上進行しないように金繕いをしておきした。
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人は亡くなると覚えている人には思い出を遺してくれますが、存在自体はなくなります。骨董のすごいのは長く物体が遺ることでそれに纏わる歴史を学ばせてくれることですね。
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そこに美を見出すことが大きな付加価値としてありますが、価値ゆえにつけ込む贋作はその美徳を大いに汚すものに相違はありません。
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古い作品には埋葬品として作られた作品も多くあり、本来は故人の行く末を案じて作らられたものです。
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それを掘り返して現世に呼び戻して愉しむのはひとつの罪悪かもしれません。
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人というのは罪深いものです。改めて「忠孝」とはなにかを考えなくてはいけないのかもしれません。

地域の本家ですが、高齢であったこともあり近所と身内だけの法事としました。

息子もきちんとおもてなし? 家できちんと家人を送り出す習わしも少なくなりましたね。

夕方は家族でくつろぎました。

本日紹介するのは「遼三彩」と思しき作品です。三彩という陶磁器には主流として唐三彩・遼三彩・ペルシャ三彩・奈良三彩・明三彩、そして源内焼などがありますが、意外に作品が多くあるのは遼三彩です。遼三彩の作品は何点か本ブログで紹介していますが、本作品を含めて当方の復習の意味も兼ねて投稿します。
遼三彩 石榴文盤
箱入
口径207*高台径105*高さ44
中国の東北部に建国した契丹族の遼で焼造された三彩陶器。北宋王朝と北方の領土を巡って激しく争ったことで知られる契丹族の国・遼の三彩です。
遊牧民族である契丹族は,むろん製陶業はもたなかったのですが,国家意識に目覚めて916年に建国すると中国文化の摂取につとめ,文化向上につとめ華北の陶工を領内に拉致して窯を築かせたそうです。遼寧省赤峰市に近い乾瓦窯はその代表的な窯であり,ここで遼三彩は焼造されています。

創始は遼後期の1060年代からですが,単色の緑釉陶と褐釉陶はすでに10世紀に焼造していると思われる。遼三彩は唐三彩と同様すべて副葬品であり、遼三彩の起こりは遼代中期に政府が厚葬(手厚い埋葬)を禁じたことと関わりがあります。

すでに紹介した下記の「緑釉麒麟像」は10世紀にはじまった単色の作品と推定しています。骨董店の主人も「唐三彩というより遼ではないか。」と推測していました。おそらく副葬品でしょう。
麒麟は『礼記』によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されています。このことから、幼少から秀でた才を示す子どものことを、「麒麟児」や、天「上の石麒麟」などと称することから、生まれ変わったらそのような人物になることを祈念していたかもしれませんね。

遼は北部に位置し自然資源はもちろん、献上される貢ぎ物にも限りがあったので、貴族たちの厚葬の風潮は社会財源にとってきわめて大きな浪費であったようです。そこで政府は金銀器の副葬を禁じ、代わりに金銀器の効果にならった三彩釉の陶器や金メッキした銅器を用いさせたようです。

唐三彩とは違って、朔北の草原に生まれたこの三彩はある程度の粗放さに裏打ちされた力強い野性味に満ちているといえましょう。赤い素地に白化粧をして低温釉の三彩釉を施すことに変わりはありませんが、地肌に付けられる刻花文や印花文が唐三彩のそれのように整然とはしておらず、その上の三彩釉も規矩にこだわらず自由奔放に掛けられていますので、かなり印象は違ったものになります。
すでに紹介した下記の作品は刻花文の作例ですが、こちらは「遼三彩」と断定はしていませんのでご了解ください。
三彩飛雁文盤
合箱
口径243*高さ24*底径

唐三彩ほどの繊細さはない作品ですが、素朴な雰囲気が日本のわびさびの精神に通ずるところから人気があります。重ねて焼成するのでそのため三点の目あとがついていることがあります。
本作品には重ね焼きの目跡は見当たりませんね。

本作品は遼三彩の典型的な作例で石榴の図を彫文で表し、緑釉と褐釉を掛けており、遼三彩らしい素朴さとともに近代的なデザイン性に溢れています。

形や文様にきびきびとした印象が強い宋時代の陶磁器と比べると明るくおおらかであり、むしろ唐時代の中国陶磁の作風に通じるかもしれません。
こちらもすでに紹介されている作品ですが、副葬作品にふさわしい作例ですね。
三彩印花鴛鴦文陶枕
幅205*奥行184*高さ137
化粧箱入

11世紀後半になると、乾瓦窯はひときわ優れた三彩を生み出した。轆轤成形した器面に、型で文様を浮彫りする技を得意とし、三彩の色彩も鮮やかさを増しました。
下記の作品がその頃の作品に相当すると考えています。
遼三彩印花牡丹文皿
合箱
最大口径185*底径*高さ38

なお本作品に誂えられている箱は下記のものです。

右下の記述「□□堂」についてはよくわかりません。大きさも合わない箱なのでこの箱は破棄して別の新品の桐箱を誂えます。

1000年前後の前の作品です。人は生きても100年ですが、骨董品は大切にしていると永久に存在し続け人の当時を思い起こさせてくれるタイムカプセルのようなものですね。
再興九谷と並べて展示してみました。デザイン性には九谷と共通点がありそうです。

釉薬の剥がれ部分はこれ以上進行しないように金繕いをしておきした。

人は亡くなると覚えている人には思い出を遺してくれますが、存在自体はなくなります。骨董のすごいのは長く物体が遺ることでそれに纏わる歴史を学ばせてくれることですね。

そこに美を見出すことが大きな付加価値としてありますが、価値ゆえにつけ込む贋作はその美徳を大いに汚すものに相違はありません。

古い作品には埋葬品として作られた作品も多くあり、本来は故人の行く末を案じて作らられたものです。

それを掘り返して現世に呼び戻して愉しむのはひとつの罪悪かもしれません。

人というのは罪深いものです。改めて「忠孝」とはなにかを考えなくてはいけないのかもしれません。