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五柳先生図 倉田松涛筆 その12

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節句にマンションに鯉の幟というわけにもいかず、鐘馗様の掛け軸を飾りました。



倉田松涛の作品ですが、状態のよくない作品を改装した作品で、家内も大好きな作品です。鬼の表情も面白い。




本日の作品は実のところ、題名が解りません。「人物図」や「菊と老人」などどいう愛想のない題でもよいのですが、とりあえず陶 淵明を描いた「五柳先生図」としておきました。なんかどこかで見たような図でそのうちに解るかと思っていますが、その頃には作品はもう手元にないというのが常です。

五柳先生図 倉田松涛筆
紙本水墨紙軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:横460*縦1730 画サイズ:横340*縦1090



落款の部分に「百三談 畫房主人 松涛□」と署されている。「百三談畫房」の朱文長方印が押印されています。また「松涛」朱文長丸印も押印されています。



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倉田松濤:明治〜大正期の日本画家。慶応3年(1867)生〜昭和3年(1928)歿。秋田県出身。巽画会・日本美術協会会員。 幼い時から平福穂庵に師事。特異な画家といわれ、匂いたつような濃厚な筆で一種異様な宗教画(仏画)をのこした。少年時代から各地を転々とし、大正期初の頃には東京牛込に住んだ。この頃より尾崎紅葉らと親交を深め、帝展にも数回入選し世評を高くした。宗教画の他に花鳥も得意とし、俳画にも関心が高く「俳画帳」などの著作もある。豪放磊落な性格でしられ、酒を好み、死の床に臨んだ際にも鼻歌交じりで一句を作ったという逸話もある。落款「百三談画房」、雅号は「百三談主人」など。



五柳先生:陶淵明の号。彼が自分のことを託して書いた「五柳先生伝」という文章に基づく。家の前に5本の柳があったところからの名という。



陶 淵明:365年(興寧3年)〜 427年(元嘉3年)11月)は、中国魏晋南北朝時代、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。



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倉田松涛の評価を再認識できないかと思い、こうしていくつもの作品を投稿しています。



そうそう本作品を「陶 淵明」とした根拠はないわけではなく、下記の詩「飮酒二十首 其五」の部分の「採菊東籬下:菊を採る 東籬の下 東の垣根の下で菊を摘むと」 によります。

結廬在人境:廬を結びて人境に在り(人里に家を構えているが)
而無車馬喧:而も車馬の喧しき無し( しかし来客が車や馬の音にのって騒がしく訪れることもない)
問君何能爾:君に問う 何ぞ能く爾ると (「なぜそんなことがありえるのか」と問われるが)
心遠地自偏:心遠ければ 地 自ずから偏なり (心が世間から遠く離れているから、住んでいる土地も自然に人少ない趣きにかわるのだ)
採菊東籬下:菊を採る 東籬の下( 東の垣根の下で菊を摘むと)
悠然見南山:悠然として南山を見る( 遠く遥かに廬山が目に入る)
山氣日夕佳:山気 日夕に佳し( 山の光景は夕方が特に素晴らしい)
飛鳥相與還:飛鳥 相ひ与に還る (鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく)
此中有眞意:此の中に真意有り(この光景に内にこそ、真実の境地が存在する)
欲辯已忘言:弁ぜんと欲して已に言を忘る (しかし、それをつぶさ説き明かそうとすると、言葉を忘れてしまうのだ)

郷里の秋田には多くの味わい深い画家がいます。地元である秋田の人も解る方が少ないというのはさみしい限りです。解っていても大切にしないで、先祖が遺したものも売り払うというのはもっとさみしいものです。結局はそういうことをすると手元にはなにも残らない・・。上記のような漢詩を味わうこともない・・。



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