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東天紅図 伝小川芋銭筆 その2

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三日間、九州と広島に出張につき、その間はブログの投稿はお休みとなりました。

とにもかくにも掛け軸、陶磁器は贋作が多い。桑山玉洲、菅原梅関、横井金谷、紀楳亭などはいまだに真作と断定できる作品がてもとにありません。

家内が「以前に集めたもののほうがいいものがあるんじゃない。数多くよりいいものだけ集めたら。」と言い出す始末・・。実は過去のものは一度、ずいぶん処分していいものだけを残しているから・・とは言えず・・。もう一度処分・・・。

さて、本日の作品も真贋は不明の作品です。小川芋銭は「贋作が多く作られた作家でもある。そのため、公的機関が「小川芋銭の作品」を公費で購入する際、仮に贋作であるとすると無意味かつ税金の無駄であるため、購入の正当性や鑑定依頼先を巡ってしばしば議論になる。」という画家です。本作品も怪しいものですが、私はなんとなく好きな作品です。

東天紅図 伝小川芋銭筆 その2
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱 
全体サイズ:横452*縦1895 画サイズ:横337*縦1285



共箱でもないし、印章は書いています。はてさて???

画号の「芋銭」は、「自分の絵が芋を買うくらいの銭(金)になれば」という思いによるという。手書きの印章はよくあることで、手書きだからといって、贋作とは限りませんせい、逆に信憑性が高いくらいです。



題名も不明ですが、箱に「東天紅」と書かれているので、そのままとしました。



東天紅:ニワトリの一品種。鳴き声を賞玩する目的で作られた。鳴き声は豊かで長く,約20秒継続するものもある。高知県原産。天然記念物。



よく出来ている作品かと思いますが、真贋や如何・・・・・・。

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小川 芋銭(おがわ うせん):本名:小川茂吉、幼名:不動太郎、男性、1868年3月11日(慶応4年2月18日)〜1938年(昭和13年)12月17日)は、日本の画家。19世紀から20世紀前半にかけて活躍した日本の日本画家である。

小川家は武家で、親は常陸国牛久藩の大目付であったが、廃藩置県により現在の茨城県牛久市城中町に移り農家となる。

最初は洋画を学び、尾崎行雄の推挙を受け朝野新聞社に入社、挿絵や漫画を描いていたが、後に本格的な日本画を目指し、川端龍子らと珊瑚会を結成。横山大観に認められ、日本美術院同人となる。

生涯のほとんどを牛久沼の畔(現在の牛久市城中町)で農業を営みながら暮らした。画業を続けられたのは、妻こうの理解と助力によるといわれている。画号の「芋銭」は、「自分の絵が芋を買うくらいの銭(金)になれば」という思いによるという。

身近な働く農民の姿等を描き新聞等に発表したが、これには社会主義者の幸徳秋水の影響もあったと言われている。また、水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られている。

芋銭はまた、絵筆を執る傍ら、「牛里」の号で俳人としても活発に活動した。長塚節や山村暮鳥、野口雨情などとも交流があり、特に雨情は、当初俳人としての芋銭しか知らず、新聞記者に「あの人は画家だ」と教えられ驚いたという逸話を残している。

芋銭の墓は1943年(昭和18年)、自宅近くの曹洞宗の寺院、稲荷山得月院(牛久市城中町258)に建てられた。

贋作が多く作られた作家でもある。そのため、公的機関が「小川芋銭の作品」を公費で購入する際、仮に贋作であるとすると無意味かつ税金の無駄であるため、購入の正当性や鑑定依頼先を巡ってしばしば議論になる。

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