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Channel: 夜噺骨董談義
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天啓古染付青花松図中皿 明末

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こんなものと思う人が多いと思います。実際に打ち捨てられていたように売られていた作品です。そこで「古染付」の賛美を投稿します。

天啓古染付青花松図中皿 明末
合箱
口径152*高台径80*高さ31



天啓古染付について
天啓の染付を、我国では俗に「古染付」と呼んでいますが、それは何時頃、誰によって名付けられたものかは解っていません。茶会記や陶書関係のどこを見ても、不思議なことにその名は見当らないそうです。「古染付」という三文字からは古い染付という意味にとれ、これは新渡りの染付に対し、古渡りの染付の意として用いられたのではないかと思われます。「元」に始まったといわれる染付が、「明」に入って宣徳、成化、嘉靖、万暦、天啓、崇禎と続き、どうして天啓の染付だけが「古染付」と呼ばれたものでしょうか? それはやはり茶人による日本向特注品ということが関係しているようです。特に天啓染付だけを別に呼称したのは、その風雅な作風を重んじ、他の時代の染付と敢えて区別した数寄者の粋な心根にあると思われます。天啓染付に「古染付」とは正に言い得て妙です。染付へのほのかな郷愁を微妙に匂わした呼び名はまさに「古染付」の他にないでしょう。



古染付の生まれた天啓年間(1621ー1627)は、万暦につづく7年間で、約300年の明朝の歴史の中で、国力の最も衰微した末期です。景徳鎮窯業史からみれば、乱世という社会情勢の中で、これまで主役を演じて来た官窯が廃止され、それに代って民窯の活動が一段と盛んになった時期です。天啓染付と称する一種独特のやきものが生まれて来たのは、この様な時代背景があってのことで、天啓年代に至って突如として出現したものではなく、万暦に既にその萠芽は見られるものです。官窯が消退したために、勢い民窯の風味が表に出て来、それが古染付の母体となったと推察できます。従って年代的には、どこからどこ が古染付の出現した時代かは判断とせず、万暦に、崇禎に降っても古染付らしい染付は存在するので、莫然とした言いまわしながら、天啓を中心とした明未清初の端境期のやきものと考えるのが妥当でしょう。



古染付は中国陶磁の官窯を笑うかの如く、対照的に自由奔放でさり気ない作品です。均等に余白を唐草模様や雲竜文で埋め尽すような明代の染付に較べ、古染付の絵付はいかにもおおらかで、屈託がありません。こうしなければならないといった制約もなければ、そうなるのが当然といった習慣めいた決まりもありません。



その文様の描線が曲っていようと、いまいと、一本余っても足りなくても、また太くても細くても、一向にお構いなしといった鷹揚さが古染付の古拙ぶりを助長し、存在感を高めています。描線が自由にのびのびとしながらも、決してバランスを崩さず、現代陶芸が真似の出来ない風雅を醸し出しています。




描かれるものは、山水を始めとして、花鳥、人物、動物、故事、物語など多種多様で、あらかじめ意図された意匠がないかの如く即興的です。 たとえば「羅漢図皿」の如きは、中皿という白い空間を描線でひきしめて、古今を通じてこの様な卓抜したデザインは、初期伊万里染付のごく一部を除いては例をみないものです。羅漢の表情は一見、漫画的であり、それは圧制から解き放たれた天啓画人の喜びの声ともとれ、また、惰落した現代陶芸への揶揄とも思えるものです。




古いやきものを愛する人は多いですが、それを使う人は少ないようです。使いこなす人はもっと少ないと思われます。毀れることを気遺って箱に仕舞い込んだり、滅多に日の当らぬ所に安置されっ放しでは、やきものとしての生命はないように思います。扱いに慎重を要しますが、それを用いることが、やきものを甦えらせることになります。 美しきものが日常的傍にあって用いられて、ハッと身のひきしまる程驚くことがあります。それは美濃や、唐津や、伊万里の残欠であっても、さり気なく用いられることがやきものへの思いが感じられて嬉しいものです。もとより古染付も用に応じて造られた雑器に過ぎないから、時に応じてそれぞれ使う選択と手だてを考え、季感、色感を他の器とのとり合わせに思いをめぐらせてみると、なかなかに楽しいものです。古染付ばかりでなく、伊万里、源内焼、瀬戸といったいろんな取り合わせを愉しむことが大切です。



昨夜の食器・・、染付、自作の鉢、古唐津(発掘品)刷毛目の呼続(この手は何点かあります)。ともかく今回の作品も普段使いに仲間入・・。

下記の作品は最近、家内が割ったもの・・・、三分割 大正期の頃の錦染付七寸皿、私が修理中・・。



普段使いはいつか壊れるもの。。、惜しんではいけませんね。修理できるものは修理して使えばいいのです。今はいい接着剤がたくさんあります。



もったいなくて使えないのは器ではないように思います。人間もいつかは死ぬ、生きているうちに使いたいものです。


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