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Channel: 夜噺骨董談義
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灯火紋様行燈織部六寸皿  

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昨日、家内はさいたま新都心の骨董市へ・・、出店されている作品を聞いていみたが、あまりいい作品は出ていないようです。あまりにも掛け軸、陶磁器が安くなりすぎて、所蔵している人が手放さないため、品不足もその大きな原因のようです。本日は前はよく骨董市で見かけた作品です。

電気のなかった時代、行燈の中に使われた絵皿・・。行灯に火をつけるときの瞬間に見える絵皿の紋様に人々は何を感じたのでしょうか?

灯火紋様行燈織部六寸皿  
口径190*底径150*高さ18



行灯皿(あんどんざら)は、行燈に用いた油用の受け皿のことで、行燈の中に置かれ、垂れる油を受け止めていた日常の雑器です。

原料となる陶土が豊富で、安価で量産が可能な瀬戸焼、美濃焼などで数多くが焼かれ、特に信濃地域が主要産地となり、尾張地域以外でも北陸地方の角皿、「霞晴山」印のものなどがあるものの、生産量は少なく、品質も劣るとされています。

行灯の中で利用されるため、誰からもその美しさを顧みられることはなく、鑑賞の対象ではないにもかかわらず、現存するものには、無地のものが少なく鉄絵のものが最も多く、民衆的絵画「民画」に近いものです。

形の特徴は平らで丸い形をしていることですが、この形から四角いものに描かれたものとは異なる独自の絵付けが生まれました。伊万里の猪口のように絵から抜けて模様になりきったものではありません。中には織部風の緑釉を一部に掛けたものや、薄茶色で「ダミ」を入れたものなど多種多様で、末期には吹墨の物も製作されました。



皿を何枚も何枚も絵付けすることにより、無駄が省かれ、その単純さに冴え、職人達は、のびのびと、大らかに絵を描いていきました。大量に作るところから、手が勝手に動いているかの様です。描かれた題材は極めて多様でした。

代表的なものは、月・雲・宿・松・白帆・飛鳥などを取り入れた簡素な海辺山水です。簡素な組合せの中に日本の風物が端的に捉えられています。一般の人々の間に借り物ではない純日本の絵付けの皿を用いたいという要求がみなぎっていたためと考えられます。単に作る側の気持ちばかりでなく、使う側からの要求があったことを忘れてはいけません。作る人と使う人の気持ちがぴったり合って初めて真に使いたくなるものが生まれるのです。

この多様性から民芸運動などで、盛んに収集されました。江戸時代寛永年間に真鍮製が出現し、この頃は行灯油が高価で一部に限られていました。文化、文政年間以降、富裕層の拡大とともに陶製が広範囲にわたって急速に広がりましたが、江戸時代後期から明治時代初期頃には、壊れず軽く安価で量産が可能になった真鍮製に再び代わり、照明の電化とともに、完全に消滅しました。

昨日は都内の会合で講演会。東京医科歯科大学の名誉教授の講演でしたが、現代病といえる花粉症、アトピー、うつ病、がんの原因、直す方法(予防も含む)を聞いてきました。

文明の発達とともに便利にはなりましたが、ある意味でおおいに危険なことも廻りに増えたということでしょう。とくに外食産業(外食の美味しいものは危険)、電子機器、簡単食材、ストレス社会・・、これらの有害性をいち早く知ることが大切です。家内の料理は講演内容によると健康にいいようです。

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