最近の版画では近代の版画家の作品が話題を呼んでいるようです。
とくに小原古邨や川瀬巴水がその代表的な版画家ですが、以前は浮世絵版画が注目を集めていた頃には日本ではあまり注目されていなかった版画家です。今では人気が高まり、評価もそれにつれて上がり、ちょとやそっとでは手の届かない価格になりつつあります。
本日紹介する作品は川瀬巴水の焼け跡のある作品ですので、それほど無理のない値段で入手できた作品ですが、たしかに魅力のある版画を制作した画家と見直しています。
郷里の母が亡くなって遺品を整理している中で、父が使っていたと思われる旅行鞄は以前に本ブログで紹介しました。この旅行鞄の修理を依頼していたのですが、この度修理が出来上がってきました。
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外部と内部はクリーニングされてきました。鞄を絞めた際の金具部分を通す皮の部分が修復されています。
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内部の止めるための皮バンドが一部欠損していましたが、修復されてきました。全体に古さが失われように気を使わられています。
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仕上がりると一層豪華になりました。修理先でも「一種の芸術品ですね。」とほめていただき、長らく修理に出していたのでお店の方が「なんだか寂しくなりますね。」と言われたのが印象的でした。皮の製品がよほど好きなのでしょう。
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息子も興味津々ですが、「これからは君が大切にするんだよ。」と言ってもピンときていないようです。今はまだおもちゃのようです。そう、これも大切な骨董品です。
さて、本日は気まぐれで購入した川瀬巴水の版画の作品です。川瀬巴水、小原古邨ら最近、日曜美術館で取り上げられたこともあり、たいへんな人気です。本作品はやけ跡があり、廉価で入手できた作品です。
潮来乃夕 川瀬巴水画
紙本着色版画額装 焼け有 誂:布タトウ+黄袋
昭和5年5月作 画サイズ:横300*縦425
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川瀬巴水:(かわせ はすい)1883年(明治16年)5月18日 ~1957年(昭和32年)11月7日)。日本の大正・昭和期の浮世絵師、版画家。本名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。
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衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られています。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれています。
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アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気があります。
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1883年(明治16年)、東京府芝区(現港区)に糸組物(組紐)職人・庄兵衛の長男として生まれています。本名は文治郎。
10代から画家を志し14歳の時、川端玉章門下の青柳墨川に日本画を学んでいます。次いで荒木寛友にも学び、25歳で父親の家業を継ぐが画家になる夢を諦めきれず、妹夫婦に商売を任せ、25歳で日本画家・鏑木清方の門を叩きましたが、20代も半ばを過ぎた遅い始まりに難色を示され洋画家の道を進められました。その為当時、洋画家の集まりとして知られた白馬会葵橋洋画研究所に入り岡田三郎助から洋画を学びました。しかし洋画の世界では挫折を経験し27歳の時、一度は入門を断られた清方に再度入門を申し出て許されると2年の修行を経て1910年(明治43年)に「巴水」の画号を与えられました。
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1918年(大正7年)、師の清方が得意とした美人画で行き詰まりを感じ始め、同門・伊東深水の版画「近江八景」に影響を受けて版画家に転向。当時浮世絵版画は衰退の一途を辿っていましたが、幼い頃によく滞在した栃木県塩原を描いた風景版画「塩原おかね路」、「塩原畑下り」を製作、数々の作品を新版画に力を入れていた渡辺版画店より発表し始めました。
これらを第一作として終生、夜、雪などといった詩情的な風景版画を貫いています。始めは伊東深水の影響が大きかったのですが、次第に歌川広重や小林清親の風景版画を研究していき、技法的な工夫も見られるようになります。
また全国各地に取材しており、作品の数量も多くあります。新版画家中、織田一磨による石版画の風景画に対抗するかのように、木版風景画で良く知られた存在です。
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1920年(大正9年)、「旅みやげ第一集」完成。1921年(大正10年)、「東京十二題」、「旅みやげ第二集」完成。精力的に活動をしていた矢先1923年(大正12年)、関東大震災で被災、多くのスケッチを失い一時失意の底に沈んだそうです。
1926年(大正15年)、「日本風景選集」完成。1929年(昭和4年)、「旅みやげ第三集」完成。1930年(昭和5年)、「東京二十景」完成。同年、東京府荏原郡馬込町平張975番地(現大田区南馬込3丁目17番地)に洋館づくりの家を建てています。1936年(昭和11年)、「日本風景集東日本編」完成。
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1939年(昭和14年)、朝鮮へ旅行、「朝鮮八景」完成。1944年(昭和19年)、栃木県塩原市に疎開。1948年(昭和23年)、東京都大田区内に引越しています。1952年(昭和27年)、「増上寺の雪」が無形文化財技術保存記録の作品に認定されました。これが代表作となっています。
1957年(昭和32年)、自宅において胃癌のため死去。享年74歳。墓所は世田谷区北烏山の万福寺。法名は釈明巴水信士。「旅情の版画家川瀬巴水を偲び」の碑があります。
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描かれたのは潮来(いたこ)の水郷。川瀬巴水は全国各地を取材し描いており、その作品量は膨大です。
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潮来:(いたこ)茨城県南東部,利根川下流域の水郷にある地域。 1889年町制。 1955年津知 ,延方 ,大生原 (おおうはら) の3村と合体。 2001年牛堀町と合体し,市制 (潮来市 ) 。
古代から鹿島,香取,国府 (石岡) へ通じる交通の要地。近世,水戸藩の飛地で,東北諸藩と江戸を結ぶ奥州航路と利根川,江戸川水運の中継港として栄えた。明治以後は水郷観光の中心として復活。アヤメ園,潮来十二橋めぐりなどが有名で,釣り,カモ猟なども盛ん。
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第2次世界大戦後,内浪逆浦 (うちなさかうら) を干拓し,水田が開かれたが,住宅団地に変容した。行方 (なめかた) 台地上の稲荷山公園からは,水郷の景勝を一望できる。水郷筑波国定公園に属する。 JR鹿島線,国道 51号線が通り,東関東自動車道と結ばれる。
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作品は好みによりますが、その作品数の多さから蒐集する側には悩ましい版画家でしょう。
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本来浮世絵版画は額に入れて飾ってはいけません。日に焼けるからですが・・。
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骨董は本来消耗品と考えている小生はそこまでこだわる必要はないと、額を選んで額装にしました。
30年ほど前、小生が若かりし頃、骨董店の店先で浮世絵版画を買い漁って?いた頃、見向きもしなった版画の作品ですが、今になっては「買っておけばよかったかな。」と後悔しています。ただ、一般的には当時からそれほど廉価ではなかったようにも覚えています。
いずれにしても当方の主流ではない作品群ですので、雰囲気だけを愉しんでいます。
とくに小原古邨や川瀬巴水がその代表的な版画家ですが、以前は浮世絵版画が注目を集めていた頃には日本ではあまり注目されていなかった版画家です。今では人気が高まり、評価もそれにつれて上がり、ちょとやそっとでは手の届かない価格になりつつあります。
本日紹介する作品は川瀬巴水の焼け跡のある作品ですので、それほど無理のない値段で入手できた作品ですが、たしかに魅力のある版画を制作した画家と見直しています。
郷里の母が亡くなって遺品を整理している中で、父が使っていたと思われる旅行鞄は以前に本ブログで紹介しました。この旅行鞄の修理を依頼していたのですが、この度修理が出来上がってきました。
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外部と内部はクリーニングされてきました。鞄を絞めた際の金具部分を通す皮の部分が修復されています。
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内部の止めるための皮バンドが一部欠損していましたが、修復されてきました。全体に古さが失われように気を使わられています。
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仕上がりると一層豪華になりました。修理先でも「一種の芸術品ですね。」とほめていただき、長らく修理に出していたのでお店の方が「なんだか寂しくなりますね。」と言われたのが印象的でした。皮の製品がよほど好きなのでしょう。
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息子も興味津々ですが、「これからは君が大切にするんだよ。」と言ってもピンときていないようです。今はまだおもちゃのようです。そう、これも大切な骨董品です。
さて、本日は気まぐれで購入した川瀬巴水の版画の作品です。川瀬巴水、小原古邨ら最近、日曜美術館で取り上げられたこともあり、たいへんな人気です。本作品はやけ跡があり、廉価で入手できた作品です。
潮来乃夕 川瀬巴水画
紙本着色版画額装 焼け有 誂:布タトウ+黄袋
昭和5年5月作 画サイズ:横300*縦425
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川瀬巴水:(かわせ はすい)1883年(明治16年)5月18日 ~1957年(昭和32年)11月7日)。日本の大正・昭和期の浮世絵師、版画家。本名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。
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衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られています。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれています。
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アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気があります。
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1883年(明治16年)、東京府芝区(現港区)に糸組物(組紐)職人・庄兵衛の長男として生まれています。本名は文治郎。
10代から画家を志し14歳の時、川端玉章門下の青柳墨川に日本画を学んでいます。次いで荒木寛友にも学び、25歳で父親の家業を継ぐが画家になる夢を諦めきれず、妹夫婦に商売を任せ、25歳で日本画家・鏑木清方の門を叩きましたが、20代も半ばを過ぎた遅い始まりに難色を示され洋画家の道を進められました。その為当時、洋画家の集まりとして知られた白馬会葵橋洋画研究所に入り岡田三郎助から洋画を学びました。しかし洋画の世界では挫折を経験し27歳の時、一度は入門を断られた清方に再度入門を申し出て許されると2年の修行を経て1910年(明治43年)に「巴水」の画号を与えられました。
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1918年(大正7年)、師の清方が得意とした美人画で行き詰まりを感じ始め、同門・伊東深水の版画「近江八景」に影響を受けて版画家に転向。当時浮世絵版画は衰退の一途を辿っていましたが、幼い頃によく滞在した栃木県塩原を描いた風景版画「塩原おかね路」、「塩原畑下り」を製作、数々の作品を新版画に力を入れていた渡辺版画店より発表し始めました。
これらを第一作として終生、夜、雪などといった詩情的な風景版画を貫いています。始めは伊東深水の影響が大きかったのですが、次第に歌川広重や小林清親の風景版画を研究していき、技法的な工夫も見られるようになります。
また全国各地に取材しており、作品の数量も多くあります。新版画家中、織田一磨による石版画の風景画に対抗するかのように、木版風景画で良く知られた存在です。
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1920年(大正9年)、「旅みやげ第一集」完成。1921年(大正10年)、「東京十二題」、「旅みやげ第二集」完成。精力的に活動をしていた矢先1923年(大正12年)、関東大震災で被災、多くのスケッチを失い一時失意の底に沈んだそうです。
1926年(大正15年)、「日本風景選集」完成。1929年(昭和4年)、「旅みやげ第三集」完成。1930年(昭和5年)、「東京二十景」完成。同年、東京府荏原郡馬込町平張975番地(現大田区南馬込3丁目17番地)に洋館づくりの家を建てています。1936年(昭和11年)、「日本風景集東日本編」完成。
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1939年(昭和14年)、朝鮮へ旅行、「朝鮮八景」完成。1944年(昭和19年)、栃木県塩原市に疎開。1948年(昭和23年)、東京都大田区内に引越しています。1952年(昭和27年)、「増上寺の雪」が無形文化財技術保存記録の作品に認定されました。これが代表作となっています。
1957年(昭和32年)、自宅において胃癌のため死去。享年74歳。墓所は世田谷区北烏山の万福寺。法名は釈明巴水信士。「旅情の版画家川瀬巴水を偲び」の碑があります。
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描かれたのは潮来(いたこ)の水郷。川瀬巴水は全国各地を取材し描いており、その作品量は膨大です。
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潮来:(いたこ)茨城県南東部,利根川下流域の水郷にある地域。 1889年町制。 1955年津知 ,延方 ,大生原 (おおうはら) の3村と合体。 2001年牛堀町と合体し,市制 (潮来市 ) 。
古代から鹿島,香取,国府 (石岡) へ通じる交通の要地。近世,水戸藩の飛地で,東北諸藩と江戸を結ぶ奥州航路と利根川,江戸川水運の中継港として栄えた。明治以後は水郷観光の中心として復活。アヤメ園,潮来十二橋めぐりなどが有名で,釣り,カモ猟なども盛ん。
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第2次世界大戦後,内浪逆浦 (うちなさかうら) を干拓し,水田が開かれたが,住宅団地に変容した。行方 (なめかた) 台地上の稲荷山公園からは,水郷の景勝を一望できる。水郷筑波国定公園に属する。 JR鹿島線,国道 51号線が通り,東関東自動車道と結ばれる。
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作品は好みによりますが、その作品数の多さから蒐集する側には悩ましい版画家でしょう。
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本来浮世絵版画は額に入れて飾ってはいけません。日に焼けるからですが・・。
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骨董は本来消耗品と考えている小生はそこまでこだわる必要はないと、額を選んで額装にしました。
30年ほど前、小生が若かりし頃、骨董店の店先で浮世絵版画を買い漁って?いた頃、見向きもしなった版画の作品ですが、今になっては「買っておけばよかったかな。」と後悔しています。ただ、一般的には当時からそれほど廉価ではなかったようにも覚えています。
いずれにしても当方の主流ではない作品群ですので、雰囲気だけを愉しんでいます。