2019年9月に家内が郷里の骨董店より倉田松濤の作品2点にて5万円で購入した作品。小生が福田豊四郎の作品の購入に迷っている脇で、家内が店主に倉田松濤の作品を所望・・・Image may be NSFW.
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家内は倉田松濤の吉祥の作品が好きだと言って複数の作品を購入しています。
家内が購入した一作品目が下記の作品です。箱書からもとは六曲一双の屏風の作品だったようです。
張果老 倉田松濤筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 鑑定箱
全体サイズ:縦2154*横653 画サイズ:縦1348*横500
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描かれているのは「駒仙人」、つまり張果(張果老)のことです。本ブログでも安田靫彦の作品などで取り上げています。
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張果(ちょうか、生没年不詳)は、中国の代表的な仙人である「八仙」の一人です。
敬称を込めて、「張果老」と呼ばれていますね。唐の玄宗時期に宮廷に招かれ、様々な方術を見せ、天宝年間に尸解(死んで肉体から解脱し、仙人になる)したといわれていますし、正史にも名を連ね多くの伝承を残しています。
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恒州の条山にこもり、近隣には数百歳と自称し、白い驢馬に乗り、一日に数千里を移動したと伝えられています。休むときに驢馬を紙のように折り畳んで箱にしまい、乗る時には水を吹きかけて驢馬に変えたそうです。 箒に乗る魔法使いのような人です。
則天武后に招かれて山を降りた時に死に、死体は腐敗してしまったそうですが、後日、生き返っているところを発見されたとのこと。
開元22年(734年)、玄宗は通事舎人・裴晤を使わして張果を迎えようとしましたが、また死んでしまったそうです。裴晤が死体に向かって玄宗の意を伝えると、死んでいた張果は息を吹き返し、玄宗は改めて中書舎人・徐嶠を送り、張果は朝廷に出仕することになったそうです。
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張果は、玄宗に老いていることを問われ、白髪を抜き、歯をたたき割ったところ、すぐに黒髪、白い歯が生えてきたといいます。また、玄宗が妹の玉真公主を自分に嫁がせようとしているのを予言したこと、酒樽を童子に変えたことなどさまざまな法術を行いました。
食事は酒と丸薬だけしかとらず、法術について問われると、いつもでたらめな回答をしたと言われています。師夜光や邢和璞という法術を行うものたちにも、正体を見定めることはできませんでした。
玄宗は高力士に相談し、本当の仙人か見定めるため、張果に毒酒を飲ませた。張果は「うまい酒ではない」といい、毒で焦げた歯をたたき落とし、膏薬を歯茎に貼って眠り、目を覚ました時には歯は生えそろっていたとのこと。そのため、玄宗は真の仙人と認め、銀青光禄大夫と通玄先生の号を与えたそうです。
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玄宗は道士の葉法善に張果の正体を問うたところ、葉法善は「正体を話すと、言った瞬間に殺されるので、その後で張果に命乞いを行って欲しい。」と約束をとりつけた上で、張果の正体が渾沌が生まれた時に現れた白蝙蝠の精であると話したそうです。言い終わると、葉法善は体中の穴から血を流して死んだそうです。玄宗は張果に冠を脱ぎ、裸足になって命乞いをし、張果が葉法善の顔に水を吹きかけるとすぐに蘇生したといいます。
なんともいくつか中国らしい恐ろしい逸話・・・Image may be NSFW.
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張果は恒州に帰ることを願ったため、詔により許された。天宝元年(742年)、玄宗は再び召し出したが、張果は急死してしまった。葬儀の後、棺桶を開くと死体は消えており、尸解仙になったと噂された。玄宗はこれを機に神仙を信じるようになったと言われています。
なんとも奇怪で恐ろしい仙人ですが、一般的には馬に乗る仙人としか思われていません。逸話によるとどうも本作品のような優しそうな人物ではなさそうです。
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箱書には下記のよう記されています。
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当方で判読できる範囲では下記のような内容のようです。六曲一双の作品ですので、仙人が6人が描かれていたのかもしれませんね。
箱題:百三談画房松濤筆仙人之図 四幅揃之内
圀手首藤巴涛代は秋田縣百三談□□□画伯倉田松濤代の高弟也。
巴濤氏所蔵の六曲屏風仙人方□は師松濤画伯の傑作なり。
余巴濤代息より此六曲半双を譲渡せられ六枚揃巻軸として蔵せるも
懇望により一を小林達郎氏に又一を田邊一司氏に遣り四幅を蔵す。
是其壱幅とす。
昭和十年四月 七□庵□雲題 押印 四幅之内 駒仙人
箱書きに記された六曲一双の屏風の作品が個々にどうなっているのは今では知る由もありませんし、この元の所蔵者の詳細も解りません。ただ瓢箪から駒という御利益を願うのみ・・・Image may be NSFW.
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家内が購入した一作品目が下記の作品です。箱書からもとは六曲一双の屏風の作品だったようです。
張果老 倉田松濤筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 鑑定箱
全体サイズ:縦2154*横653 画サイズ:縦1348*横500
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描かれているのは「駒仙人」、つまり張果(張果老)のことです。本ブログでも安田靫彦の作品などで取り上げています。
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張果(ちょうか、生没年不詳)は、中国の代表的な仙人である「八仙」の一人です。
敬称を込めて、「張果老」と呼ばれていますね。唐の玄宗時期に宮廷に招かれ、様々な方術を見せ、天宝年間に尸解(死んで肉体から解脱し、仙人になる)したといわれていますし、正史にも名を連ね多くの伝承を残しています。
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恒州の条山にこもり、近隣には数百歳と自称し、白い驢馬に乗り、一日に数千里を移動したと伝えられています。休むときに驢馬を紙のように折り畳んで箱にしまい、乗る時には水を吹きかけて驢馬に変えたそうです。 箒に乗る魔法使いのような人です。
則天武后に招かれて山を降りた時に死に、死体は腐敗してしまったそうですが、後日、生き返っているところを発見されたとのこと。
開元22年(734年)、玄宗は通事舎人・裴晤を使わして張果を迎えようとしましたが、また死んでしまったそうです。裴晤が死体に向かって玄宗の意を伝えると、死んでいた張果は息を吹き返し、玄宗は改めて中書舎人・徐嶠を送り、張果は朝廷に出仕することになったそうです。
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張果は、玄宗に老いていることを問われ、白髪を抜き、歯をたたき割ったところ、すぐに黒髪、白い歯が生えてきたといいます。また、玄宗が妹の玉真公主を自分に嫁がせようとしているのを予言したこと、酒樽を童子に変えたことなどさまざまな法術を行いました。
食事は酒と丸薬だけしかとらず、法術について問われると、いつもでたらめな回答をしたと言われています。師夜光や邢和璞という法術を行うものたちにも、正体を見定めることはできませんでした。
玄宗は高力士に相談し、本当の仙人か見定めるため、張果に毒酒を飲ませた。張果は「うまい酒ではない」といい、毒で焦げた歯をたたき落とし、膏薬を歯茎に貼って眠り、目を覚ました時には歯は生えそろっていたとのこと。そのため、玄宗は真の仙人と認め、銀青光禄大夫と通玄先生の号を与えたそうです。
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玄宗は道士の葉法善に張果の正体を問うたところ、葉法善は「正体を話すと、言った瞬間に殺されるので、その後で張果に命乞いを行って欲しい。」と約束をとりつけた上で、張果の正体が渾沌が生まれた時に現れた白蝙蝠の精であると話したそうです。言い終わると、葉法善は体中の穴から血を流して死んだそうです。玄宗は張果に冠を脱ぎ、裸足になって命乞いをし、張果が葉法善の顔に水を吹きかけるとすぐに蘇生したといいます。
なんともいくつか中国らしい恐ろしい逸話・・・Image may be NSFW.
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張果は恒州に帰ることを願ったため、詔により許された。天宝元年(742年)、玄宗は再び召し出したが、張果は急死してしまった。葬儀の後、棺桶を開くと死体は消えており、尸解仙になったと噂された。玄宗はこれを機に神仙を信じるようになったと言われています。
なんとも奇怪で恐ろしい仙人ですが、一般的には馬に乗る仙人としか思われていません。逸話によるとどうも本作品のような優しそうな人物ではなさそうです。
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箱書には下記のよう記されています。
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当方で判読できる範囲では下記のような内容のようです。六曲一双の作品ですので、仙人が6人が描かれていたのかもしれませんね。
箱題:百三談画房松濤筆仙人之図 四幅揃之内
圀手首藤巴涛代は秋田縣百三談□□□画伯倉田松濤代の高弟也。
巴濤氏所蔵の六曲屏風仙人方□は師松濤画伯の傑作なり。
余巴濤代息より此六曲半双を譲渡せられ六枚揃巻軸として蔵せるも
懇望により一を小林達郎氏に又一を田邊一司氏に遣り四幅を蔵す。
是其壱幅とす。
昭和十年四月 七□庵□雲題 押印 四幅之内 駒仙人
箱書きに記された六曲一双の屏風の作品が個々にどうなっているのは今では知る由もありませんし、この元の所蔵者の詳細も解りません。ただ瓢箪から駒という御利益を願うのみ・・・Image may be NSFW.
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