さて年始は皆で着物姿です。息子が着ているのは小生のお下がりの着物です。男の隠れ家にある箪笥から家内が引っ張り出してきました。家内も箪笥から探し出して着ています。小生は父のお下がりでは高級過ぎると家内御用達の綿の着物・・・Image may be NSFW.
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まずは初詣・・・。
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雪遊び・・・。
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男の隠れ家にて祈願・・・・、息子は着物には違和感がなく着ています。
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さて本日は本日で3作品目の紹介となる楠瓊州の作品の紹介です。最近の南画家で海外で高い評価を受けているのは本ブログでも作品を取り上げた福田古道人ですが、もっと高い評価を受けてもよいひとりに本日紹介する「楠瓊州」という画家だと思います。
もっと評価されるべき画家 夏景山水図 楠瓊州筆 その3
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入タトウ
全体サイズ:横325*縦1935 画サイズ:横205*縦1290
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楠瓊州の来歴はかきのとおりです。
***************************************
楠瓊州:日本画家。広島県生。名は善二郎。田中柏陰の門下。京都に出て、服部五老・江上瓊山に師事し南画を学ぶ。富岡鉄斎・浦上玉堂を研鑽し、晩年梅原龍三郎や中川一政らの影響も受け、油彩や水彩、南画の融合を試みた。また詩書・篆刻・和歌も能くした。昭和31年(1956)歿、64才
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楠瓊州については意外にご存知ない方が多いようです。楠瓊州が一定の評価されるようになった経緯を下記の記事にて再度説明いたします。
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美術評論家でもある河北倫明氏の楠瓊州に関する下記の一文は、思わぬ反響を呼び、後に国立近代美術館主催の「近代における文人画展」や、また氏が館長をつとめる京都近代美術館での「異色の水墨画展」への遺作九十余展に発展しています。
「その画家の絵は、これまで何人かの人に売られたが、それもきわめて安いうえにきわめてマレであった。よくそれで生きられたと思うが、晩年は書いた絵を友人のところへ持って来ては、米にかえ、金のかたとし、細々と生き延びて絵をかき続けたという。
もっとも、コレだけのことなら、気の毒とはいってもたいして不思議ではなく不精な絵かきの中にはありそうなことである。またコレという画才もなく、生活の才覚もないのなら、やむおえぬ運命かもしれぬ。しかしこの画家は生活の才覚は無かったかも知れぬが、決してただの無能の画家では無かった。いや、それどころか、この晩年の困窮の中で、しだいに画境を純化し、何のとらわれも無い自然な境地に立ち至り続々と興味ある画作を書き残したのである。
数日前、知人からの話でその晩期の遺作の何十点かを見た私は、このあばら家の画家が晩年の孤独のうちに上りつめていた画の世界の純度に驚いた。困窮生活にかかわらず、少しも貧乏くさいところがなく、甘美な情緒さえたたえ、力まず、気取らず、よごれず、遥々とし美の国に遊んでいる。絵のかき方は南画だが、南画といっても児童画のような自由さをはらみ、香り高い色感をもっている。
よくもこの境地まで行ったものだ。世間に画家は多いし、えらい人も多い。しかし、その中でこの名も無く貧しい画家がひとり静かに実現しているものは、決して見過ごすべきものではない、画家らしい画家のひとりがこんなところにもいたことを私は喜ぶ。その画家の名は楠瓊州である。」
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世の中には、満ちあふれた素晴らしい才能を持ちながらも、いつしか時の流れの中に、忘れられ、遂には消えていってしまった画家が何人もいます。本ブログで紹介している南画家、下村為山と楠瓊州もまさにそんな画家で生前はほとんど高い評価を受けていませんでした。ともに己の信念を押し通して、どの画壇、団体にも属さず、いささか、頑なに偏して生きた人達だとも言えましょう。
楠瓊州は明冶25年2月、広島県尾道市に生まれ、高等小学校を卒業後、服部五老の内弟子となって絵の修行に励みましたが、父の急逝により、尾道に戻り家業を継ぎました。その後再び京都に赴き南画家江上瓊山に師事。尾道に戻った後、23歳で画家として立つべく札幌に渡りますが、大正7年には東京に転居。飛鳥山にほど近い北区西ヶ原で、亡くなるまでの約40年間おびただしい画作を続けています。
南画の基調である水墨山水画を出発点としながら、油絵、水彩画、南画の長所もあわせた新日本画の確立を望んでいたようです。昭和31年3月24日、64歳で孤独の内に没し、画室には膨大な画稿が残されたのである。だれ一人身寄りとてなく、あばら家のセンベイ布団にくるまったまま、近所の人にも気づかれず冷たくなっていたそうです。
*元総理の宮沢喜一さんが惚れ、美術評論家の河北倫明氏が褒め、そして有名な 書家上田桑鳩氏が熱愛した画家でもあるそうです。
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賛には「首印 讀畫敲詩?論 本之日談山 話水吸真理 □万感興□ 車□□乃 童心以春□ □□□冬日 瓊州□人作 押印」とあります。
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描いているのは夏? 落款には冬・・???
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下記は本作品に押印されている印章で、右下に遊印もあります。
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本作品は楠瓊州の代表的な作例で佳作と言っていいでしょうが、本ブログを読まれた皆さんがどう感じられたでしょうか?
近年は掛け軸の人気がありません。ましてや南画などは・・。掛け軸を飾るスペースがない、扱い方が知らないという目先の不理由で放置されているのは忍びないものです。
着物も同じ運命・・・、それでは寂しかろうというもの、なにかが欠けていく・・・。
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下記は家族三人で着物姿・・・、自宅にて家内の稽古仲間での初釜の際の撮影です。息子に去年買った袴はもう短いようです。ほかは小生のおさがり・・・。私も親戚のお下がり・・・。
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まずは初詣・・・。
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雪遊び・・・。
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男の隠れ家にて祈願・・・・、息子は着物には違和感がなく着ています。
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さて本日は本日で3作品目の紹介となる楠瓊州の作品の紹介です。最近の南画家で海外で高い評価を受けているのは本ブログでも作品を取り上げた福田古道人ですが、もっと高い評価を受けてもよいひとりに本日紹介する「楠瓊州」という画家だと思います。
もっと評価されるべき画家 夏景山水図 楠瓊州筆 その3
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入タトウ
全体サイズ:横325*縦1935 画サイズ:横205*縦1290
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楠瓊州の来歴はかきのとおりです。
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楠瓊州:日本画家。広島県生。名は善二郎。田中柏陰の門下。京都に出て、服部五老・江上瓊山に師事し南画を学ぶ。富岡鉄斎・浦上玉堂を研鑽し、晩年梅原龍三郎や中川一政らの影響も受け、油彩や水彩、南画の融合を試みた。また詩書・篆刻・和歌も能くした。昭和31年(1956)歿、64才
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楠瓊州については意外にご存知ない方が多いようです。楠瓊州が一定の評価されるようになった経緯を下記の記事にて再度説明いたします。
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美術評論家でもある河北倫明氏の楠瓊州に関する下記の一文は、思わぬ反響を呼び、後に国立近代美術館主催の「近代における文人画展」や、また氏が館長をつとめる京都近代美術館での「異色の水墨画展」への遺作九十余展に発展しています。
「その画家の絵は、これまで何人かの人に売られたが、それもきわめて安いうえにきわめてマレであった。よくそれで生きられたと思うが、晩年は書いた絵を友人のところへ持って来ては、米にかえ、金のかたとし、細々と生き延びて絵をかき続けたという。
もっとも、コレだけのことなら、気の毒とはいってもたいして不思議ではなく不精な絵かきの中にはありそうなことである。またコレという画才もなく、生活の才覚もないのなら、やむおえぬ運命かもしれぬ。しかしこの画家は生活の才覚は無かったかも知れぬが、決してただの無能の画家では無かった。いや、それどころか、この晩年の困窮の中で、しだいに画境を純化し、何のとらわれも無い自然な境地に立ち至り続々と興味ある画作を書き残したのである。
数日前、知人からの話でその晩期の遺作の何十点かを見た私は、このあばら家の画家が晩年の孤独のうちに上りつめていた画の世界の純度に驚いた。困窮生活にかかわらず、少しも貧乏くさいところがなく、甘美な情緒さえたたえ、力まず、気取らず、よごれず、遥々とし美の国に遊んでいる。絵のかき方は南画だが、南画といっても児童画のような自由さをはらみ、香り高い色感をもっている。
よくもこの境地まで行ったものだ。世間に画家は多いし、えらい人も多い。しかし、その中でこの名も無く貧しい画家がひとり静かに実現しているものは、決して見過ごすべきものではない、画家らしい画家のひとりがこんなところにもいたことを私は喜ぶ。その画家の名は楠瓊州である。」
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世の中には、満ちあふれた素晴らしい才能を持ちながらも、いつしか時の流れの中に、忘れられ、遂には消えていってしまった画家が何人もいます。本ブログで紹介している南画家、下村為山と楠瓊州もまさにそんな画家で生前はほとんど高い評価を受けていませんでした。ともに己の信念を押し通して、どの画壇、団体にも属さず、いささか、頑なに偏して生きた人達だとも言えましょう。
楠瓊州は明冶25年2月、広島県尾道市に生まれ、高等小学校を卒業後、服部五老の内弟子となって絵の修行に励みましたが、父の急逝により、尾道に戻り家業を継ぎました。その後再び京都に赴き南画家江上瓊山に師事。尾道に戻った後、23歳で画家として立つべく札幌に渡りますが、大正7年には東京に転居。飛鳥山にほど近い北区西ヶ原で、亡くなるまでの約40年間おびただしい画作を続けています。
南画の基調である水墨山水画を出発点としながら、油絵、水彩画、南画の長所もあわせた新日本画の確立を望んでいたようです。昭和31年3月24日、64歳で孤独の内に没し、画室には膨大な画稿が残されたのである。だれ一人身寄りとてなく、あばら家のセンベイ布団にくるまったまま、近所の人にも気づかれず冷たくなっていたそうです。
*元総理の宮沢喜一さんが惚れ、美術評論家の河北倫明氏が褒め、そして有名な 書家上田桑鳩氏が熱愛した画家でもあるそうです。
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賛には「首印 讀畫敲詩?論 本之日談山 話水吸真理 □万感興□ 車□□乃 童心以春□ □□□冬日 瓊州□人作 押印」とあります。
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近年は掛け軸の人気がありません。ましてや南画などは・・。掛け軸を飾るスペースがない、扱い方が知らないという目先の不理由で放置されているのは忍びないものです。
着物も同じ運命・・・、それでは寂しかろうというもの、なにかが欠けていく・・・。
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下記は家族三人で着物姿・・・、自宅にて家内の稽古仲間での初釜の際の撮影です。息子に去年買った袴はもう短いようです。ほかは小生のおさがり・・・。私も親戚のお下がり・・・。