家内の親戚から筍が届きました。とにかくデカい! 家内のスーパーへの買い出しは10日に1回らしい。畑から採れる野菜と親戚・知人からの頂き物で間に合うらしい・・。
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息子は大喜びです。小さい時には山に筍を採りに出かけたものですが、義父が亡くなってからは行かなくなりました。
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本日の作品は久方ぶりに蓑虫山人の作品です。蓑虫山人は日曜美術館で特集で放映されて以降、人気が高まったのかもしれません。しかしもともと根強い人気があった画家(紀行家)でしたので、いい作品の入手はもともと難しい画家でありました。
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席画程度の作品はインターネットオークションで入手可能ですが、一時期人気が高かったこともあり、贋作もありますので購入には注意を要します。
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本日の作品は大幅の山水画です。このような出来の良い大きな作品は現在は入手は難しいでしょう。
虎渓山之図 蓑虫山人筆
紙本淡彩軸装 誂箱
全体サイズ:横820*縦1960 画サイズ:横710*縦1430
天地部分は虫食いの跡が痛々しく、箱もありませんので、改装して箱を誂える必要がありそうです。
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「松聲」とある印章は当方の他の所蔵作品「中野山浅絳山水図 その3」と「芭蕉下家鴨図」にも押印されています。これらの作品は入手時において「青森に8年余り長逗留し、某家の襖・戸板等々に描いた家より譲り受けた作品」と説明がありましたので、同時期の作ではないかと推測されますが、実写なら虎渓山という賛から放浪を終えて郷里に戻ってからの作となります。
入手先が大阪ですので、当方の入手経緯においては、一概には判断できませんが、この作品は青森で描いた作品ではない可能性が高くなります。
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虎渓とは中国江西省の廬山(ろざん)にある川のことですが、慧遠法師の虎渓三笑(こけいさんしょう)の故事の場所として名高いです。絵画では啓孫筆 の「虎渓三笑・山水図・三幅対」は有名ですね。
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日本における虎渓山とは岐阜県多治見市にある虎渓山で、夢窓国師が開創され、仏徳禅師を開山とする臨済宗南禅寺派の寺院(永保寺)で、本作品はこの風景を描いた作品と推察されます。
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もともと蓑虫山人は岐阜県の生まれで、1836年(天保 7年)に美濃国(岐阜県)安八郡結村に生まれています。ちなみに本名土岐源吾と言います。1849年(嘉永2年)、14歳で生母「なか」死亡し、その年に郷里を出奔して放浪の旅に出始めました。
1856年(安政3年)21歳のこの年から蓑虫の号を用いています。
1858年(安政5年)23歳に投身自殺を企てた西郷隆盛を助けたという逸話があります。
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最晩年略歴
1896年 明治29年 61歳 1月秋田県扇田の麓家を最後に東北地方における長年の旅を終わり、名古屋の嫡兄左金吾宅を訪ねます。4月羽島郡下羽栗村円城寺に滞在し、この年に美濃地方に大洪水起きています。
1897年 明治30年 62歳 1月円城寺に滞在。10月円城寺地区の人々の援助を受けて「篭庵」なるものを作っています。
1899年 明治32年 64歳 7月丹羽郡北小渕村の大慈寺(姉の寺)に招かれ、聴衆に国体の趣旨を説いています。長母寺に蒐集した古器物出土品等を運びこみました。
1900年 明治33年 65歳 2月名古屋市東区矢田町長母寺にて永眠。法号蓑虫庵遍照源吾居士。
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岐阜県多治見市にある虎渓山を最晩年に訪れて描いたのかもしれませんね。
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蓑虫山人の作品は稚拙なように見えますが、なかなかの作品を描きます。これは南画に見慣れた鑑識眼がありながらも実際に作品を観ないと解らないものかもしれません。
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息子は大喜びです。小さい時には山に筍を採りに出かけたものですが、義父が亡くなってからは行かなくなりました。
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本日の作品は久方ぶりに蓑虫山人の作品です。蓑虫山人は日曜美術館で特集で放映されて以降、人気が高まったのかもしれません。しかしもともと根強い人気があった画家(紀行家)でしたので、いい作品の入手はもともと難しい画家でありました。
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席画程度の作品はインターネットオークションで入手可能ですが、一時期人気が高かったこともあり、贋作もありますので購入には注意を要します。
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本日の作品は大幅の山水画です。このような出来の良い大きな作品は現在は入手は難しいでしょう。
虎渓山之図 蓑虫山人筆
紙本淡彩軸装 誂箱
全体サイズ:横820*縦1960 画サイズ:横710*縦1430
天地部分は虫食いの跡が痛々しく、箱もありませんので、改装して箱を誂える必要がありそうです。
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「松聲」とある印章は当方の他の所蔵作品「中野山浅絳山水図 その3」と「芭蕉下家鴨図」にも押印されています。これらの作品は入手時において「青森に8年余り長逗留し、某家の襖・戸板等々に描いた家より譲り受けた作品」と説明がありましたので、同時期の作ではないかと推測されますが、実写なら虎渓山という賛から放浪を終えて郷里に戻ってからの作となります。
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虎渓とは中国江西省の廬山(ろざん)にある川のことですが、慧遠法師の虎渓三笑(こけいさんしょう)の故事の場所として名高いです。絵画では啓孫筆 の「虎渓三笑・山水図・三幅対」は有名ですね。
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日本における虎渓山とは岐阜県多治見市にある虎渓山で、夢窓国師が開創され、仏徳禅師を開山とする臨済宗南禅寺派の寺院(永保寺)で、本作品はこの風景を描いた作品と推察されます。
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もともと蓑虫山人は岐阜県の生まれで、1836年(天保 7年)に美濃国(岐阜県)安八郡結村に生まれています。ちなみに本名土岐源吾と言います。1849年(嘉永2年)、14歳で生母「なか」死亡し、その年に郷里を出奔して放浪の旅に出始めました。
1856年(安政3年)21歳のこの年から蓑虫の号を用いています。
1858年(安政5年)23歳に投身自殺を企てた西郷隆盛を助けたという逸話があります。
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最晩年略歴
1896年 明治29年 61歳 1月秋田県扇田の麓家を最後に東北地方における長年の旅を終わり、名古屋の嫡兄左金吾宅を訪ねます。4月羽島郡下羽栗村円城寺に滞在し、この年に美濃地方に大洪水起きています。
1897年 明治30年 62歳 1月円城寺に滞在。10月円城寺地区の人々の援助を受けて「篭庵」なるものを作っています。
1899年 明治32年 64歳 7月丹羽郡北小渕村の大慈寺(姉の寺)に招かれ、聴衆に国体の趣旨を説いています。長母寺に蒐集した古器物出土品等を運びこみました。
1900年 明治33年 65歳 2月名古屋市東区矢田町長母寺にて永眠。法号蓑虫庵遍照源吾居士。
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岐阜県多治見市にある虎渓山を最晩年に訪れて描いたのかもしれませんね。
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蓑虫山人の作品は稚拙なように見えますが、なかなかの作品を描きます。これは南画に見慣れた鑑識眼がありながらも実際に作品を観ないと解らないものかもしれません。