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Channel: 夜噺骨董談義
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古備前波状文壷 その5 室町前期

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マンションが多くなった都会の住宅事情などの理由から居場所を失ったのは掛け軸ばかりではなさそうです。大きな壺もまた居場所を失っているように思われます。居場所を失った作品らが当方に迷い込んでくるのかもしれせんが、手頃な大きさを選ぶとしても、当方でもあまり数多くなるのは考え物の作品群です。飾るにもせいぜいひとつかふたつが妥当で、収納するに場所をとる・・・



古備前波状文壷 その5 室町前期
合箱
口径約138*胴径*底径約153*高さ280



本作品には窯印がなく、「肩のはり」はすんなりとしており、玉縁が柔らかい形状を成しています。底には下駄印があり、古備前では下駄印があるのは極めて珍しくい?とされ、このような作り方の特徴の壺は室町初期の古い手のもの? 定かではありません。



備前焼に、彫られた窯印が見られる様になったのは、一般的には、室町時代中期以降であると言われています。大窯を共同で焚くようになって、各自の製品がわかる様に手印を入れたのが始まりであろうと思われます。窯印も後代になっては、その様な目的だけではなく、自己の製品の優秀性を表示する商標の如きものに変わってきたとされています。



窯印の書かれた場所、大きさなども多様で、室町時代後期のものは大きく、肩、胴部に彫っていますが、時代が下がってくるに従って小さく、底部に彫られるようになり、押印も桃山時代から見られるようになって、江戸中期以降は押印の方が彫印より多くなったという記事があります。特殊なものには古備前大瓶の肩に彫られた窯印があるそうです。



さて本作品には窯印が見られません。これだけで「窯印のできる室町中期以前の作」とはむろん決めきれませんね。戦乱の世になってくるに従い、個々の窯で焼成するのが難しくなり、共同窯で焼成することから窯印が増えたとはいえ、当然窯印のない作品も多数あったものと推測されるでしょう。



備前の陶印はその大部分が共同窯に於いてその所属を明らかにするための窯印であって、その窯印には家号を用いており、丹波では共同窯の場合には各窯の部屋のよって区別しているため窯印の必要がなく、主として作者名が彫ってあるそうです。



室町時代中期の古備前には玉縁が多いですが、この時代の玉縁が最も力がある作行が多いようです。そして肩が張っている特徴があります。これより古い作品はもっとすんなりしているらしい。むろん窯印があってすんなりした形状の作品もあるでしょうから、このことからも時代を限定することはできませんね。



古備前で下駄印があるのは極めて珍しいという記事があります。胴と底を別に作っているので、それをはめ込んだ跡が高台に残るそうで、この手の物は室町初期~中期の古い手のものに多いとされるそうです。



以上より本作品を大胆にも「室町時代初期」と断定できるかどうかは確かでありません。



本体の汚れを洗い流して、水を一杯にして庭に咲いた紅白の牡丹を活けてみました。水のシミ具合もちょうどよさそうです。水が沁み出してこないとかえってつまらないかもしれませんね。不思議なことに二日、三日経つと水が沁み出てこなくなります

この現象は下記の作品で以前に本ブログで紹介した「古備前波状文壷 その4」(窯印在)も同じです。水圧との関連かな? 



当方は時代はどうあれ、今のところこの花を活けて、さらに水の染み出し具合を鑑賞して作品の良し悪しを判断しています。むろん本体の景色も評価の対象です。火表、火裏の対比も評価のポイントとされています。



壺は「ど~んと置くだけ」というのはある意味で面白味がないかもしれませんね。



軒下に壺だらけという御仁もいましたが、ともかく部屋が壷だらけにならないように注意しなくてはなりませんね。備前の壺の作品も取捨選択にさしかかっていますが、先人の蒐集した作品(家に伝来している作品)に敵う作品がまだ蒐集できていない状況です。


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