本ブログに投稿された大林千萬樹の作品は、本日の作品で「その8」となります。
大林千萬樹は江戸期の歴史風俗に取材した美人画を多く描いていますが、その綿密な歴史考証にもとづく華麗な画風については、上村松園、鏑木清方らの偉大な画家の陰に隠れていてまだ充分に認知されていないと思われますが、その点については再評価されるべき美人画家かと思います。
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圓窓美人図(仮題) 大林千萬樹筆 その8
絹本着色軸装 軸先鹿骨 合箱
全体サイズ:縦1430*横500 画サイズ:縦545*横410
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下記の画歴のように院展を中心に活動した画家ですが、この院展出品作の多くは残念ながら現在確認されません。画風としては清方に学んだ,たおやかで柔和な女性表現がみられます。
*********************************************
大林 千萬樹:(おおばやし ちまき)1887年(明治20年)1月~1959年(昭和34年)4月26日)は大正時代から昭和時代の日本画家。1887年1月、岡山県岡山市平野町に生まれる。名は頼憲。まず富岡永洗、川合玉堂に師事した後、鏑木清方に入門しています。
1906年(明治39年)の日本絵画協会日本美術院絵画展覧会に「のべの土産」を出品、翌年、東京勧業博覧会に「歌舞」という作品を出品しています。
その後、1913年(大正2年)の第13回巽画会展に「胡笳の声」を出品、褒状1等を獲得、また、同年4月の美術研精会第12回展に出品した「涼味」が賞状を受賞しています。
翌1914年(大正3年)3月、東京大正博覧会には「真堤我意中の人」、「廓の宵」を出品、10月の第1回再興院展に「編笠茶屋」を出品すると、これが初入選を果たしています。
以降、1915年(大正4年)第2回展に「手牡丹」、1916年(大正5年)第3回展に「いねむり」、1917年(大正6年)第4回展に「口三味線」、1922年(大正11年)第9回展に「紅粧」と出品を続けています。さらに1934年(昭和9年)に開催の大礼記念京都美術館美術展覧会に「新粧」を出品しています。この間、1916年、第2回郷土会展に「通い廓」を、翌1917年、第3回郷土会展に作品を出品したことが知られています。
大正末期には関東大震災以後に奈良に移り、その後、名古屋へ移り、昭和10年代には京都に在住、戦後は各地に移り住んだといわれています。
昭和34年4月26日、静岡県熱海市で病に倒れ、最後は京都で72年の生涯を閉じています。
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大正末期より奈良に住み,のちに名古屋に移り,昭和10年代には京都に住むなど各地に足跡を残した画家ですが、「岡山県を代表する美人・風俗画家の大林千萬樹」として最近は取り上げられ、笠岡出身で繊細な美人画を得意とした上島鳳山とともに,度々地元の笠間では展覧会で紹介されています。
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大林千萬樹は、江戸時代の風俗などを題材とした美人画を得意とし、たおやかな江戸時代の女性を描きましたが、その特徴として線描やぼかしなど伝統的な技法を丁寧に実現し、日本的情感を最大限に表現していると言えるのでしょう。やわらかい筆致で描かれた江戸時代の日常風景や、ぼかしを活かした筆遣いによる女性の姿などの印象的な画が多くあり、一部のファンには高い評価を得ています。
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大林千萬樹は才能あふれる画家であり、数々の魅力的な作品を残していますが、その中でも特に美人画は人気がありますが、保存状態がよいものは数が少ない状況かもしれません。当方の作品も幾つかは染み抜き、改装、保存箱の誂えなど良い保存状態を保つように処置している作品が複数あります。
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近代美人画では数多くの画家が日本画壇から輩出されており、上村松園、鏑木清方、伊東深水らが超一流の画家に加え、島成園、池田焦園、梶原緋紗子らが挙げられますが、大林千萬樹は木谷千種らと共に中堅の特異な画家の一人として挙げられるでしょう。
作品ついての評価は賛否両論あるでしょうが、本作品は色香漂う本作品は実に魅力的な作品となっています。
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本作品は落款から円熟期の作と思われますが、詳しい制作年代などの詳細は不明です。また合わせ箱のため正式な題名については不明であり、本ブログでは「圓窓美人図(仮題)」としております。
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下記の貼り紙もありますが、詳細は不明です。
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同時期のと思われる同じ書体の落款の作品は本ブログにも2点投稿されています。
元禄美人図 大林千萬樹筆 その1
絹本着色軸装 軸先堆朱 合箱入
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横
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唐美人図 大林千萬樹筆 その2
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱
全体サイズ:縦1772*横597 画サイズ:縦1105*横408
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顔部分だけ大きく描いている作品には下記の3作品があります。
柳下美人図 大林千萬樹筆 その5
絹本着色軸装 軸先木製朱塗 合箱
全体サイズ:縦1270*横555 画サイズ:縦345*横415
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柳下美人図 大林千萬樹筆 その6
絹本着色軸装 軸先木製朱塗 合箱
全体サイズ:縦1270*横555 画サイズ:縦345*横415
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幾山河 大林千萬樹筆 その7
絹本着色軸装 軸先木製蒔絵 共箱二重箱
全体サイズ:縦1300*横620 画サイズ:縦350*横425
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現在、大林千萬樹の作品は市場では数万円で入手できる画家の作品ですが、もっと評価され、長らく作品が保管されるように維持するファンが増えることを期待しています。
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この作品は書斎の脇床に飾って愉しんでいます。
大林千萬樹は江戸期の歴史風俗に取材した美人画を多く描いていますが、その綿密な歴史考証にもとづく華麗な画風については、上村松園、鏑木清方らの偉大な画家の陰に隠れていてまだ充分に認知されていないと思われますが、その点については再評価されるべき美人画家かと思います。
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圓窓美人図(仮題) 大林千萬樹筆 その8
絹本着色軸装 軸先鹿骨 合箱
全体サイズ:縦1430*横500 画サイズ:縦545*横410
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下記の画歴のように院展を中心に活動した画家ですが、この院展出品作の多くは残念ながら現在確認されません。画風としては清方に学んだ,たおやかで柔和な女性表現がみられます。
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大林 千萬樹:(おおばやし ちまき)1887年(明治20年)1月~1959年(昭和34年)4月26日)は大正時代から昭和時代の日本画家。1887年1月、岡山県岡山市平野町に生まれる。名は頼憲。まず富岡永洗、川合玉堂に師事した後、鏑木清方に入門しています。
1906年(明治39年)の日本絵画協会日本美術院絵画展覧会に「のべの土産」を出品、翌年、東京勧業博覧会に「歌舞」という作品を出品しています。
その後、1913年(大正2年)の第13回巽画会展に「胡笳の声」を出品、褒状1等を獲得、また、同年4月の美術研精会第12回展に出品した「涼味」が賞状を受賞しています。
翌1914年(大正3年)3月、東京大正博覧会には「真堤我意中の人」、「廓の宵」を出品、10月の第1回再興院展に「編笠茶屋」を出品すると、これが初入選を果たしています。
以降、1915年(大正4年)第2回展に「手牡丹」、1916年(大正5年)第3回展に「いねむり」、1917年(大正6年)第4回展に「口三味線」、1922年(大正11年)第9回展に「紅粧」と出品を続けています。さらに1934年(昭和9年)に開催の大礼記念京都美術館美術展覧会に「新粧」を出品しています。この間、1916年、第2回郷土会展に「通い廓」を、翌1917年、第3回郷土会展に作品を出品したことが知られています。
大正末期には関東大震災以後に奈良に移り、その後、名古屋へ移り、昭和10年代には京都に在住、戦後は各地に移り住んだといわれています。
昭和34年4月26日、静岡県熱海市で病に倒れ、最後は京都で72年の生涯を閉じています。
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大正末期より奈良に住み,のちに名古屋に移り,昭和10年代には京都に住むなど各地に足跡を残した画家ですが、「岡山県を代表する美人・風俗画家の大林千萬樹」として最近は取り上げられ、笠岡出身で繊細な美人画を得意とした上島鳳山とともに,度々地元の笠間では展覧会で紹介されています。
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大林千萬樹は、江戸時代の風俗などを題材とした美人画を得意とし、たおやかな江戸時代の女性を描きましたが、その特徴として線描やぼかしなど伝統的な技法を丁寧に実現し、日本的情感を最大限に表現していると言えるのでしょう。やわらかい筆致で描かれた江戸時代の日常風景や、ぼかしを活かした筆遣いによる女性の姿などの印象的な画が多くあり、一部のファンには高い評価を得ています。
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大林千萬樹は才能あふれる画家であり、数々の魅力的な作品を残していますが、その中でも特に美人画は人気がありますが、保存状態がよいものは数が少ない状況かもしれません。当方の作品も幾つかは染み抜き、改装、保存箱の誂えなど良い保存状態を保つように処置している作品が複数あります。
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作品ついての評価は賛否両論あるでしょうが、本作品は色香漂う本作品は実に魅力的な作品となっています。
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本作品は落款から円熟期の作と思われますが、詳しい制作年代などの詳細は不明です。また合わせ箱のため正式な題名については不明であり、本ブログでは「圓窓美人図(仮題)」としております。
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元禄美人図 大林千萬樹筆 その1
絹本着色軸装 軸先堆朱 合箱入
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横
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唐美人図 大林千萬樹筆 その2
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱
全体サイズ:縦1772*横597 画サイズ:縦1105*横408
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顔部分だけ大きく描いている作品には下記の3作品があります。
柳下美人図 大林千萬樹筆 その5
絹本着色軸装 軸先木製朱塗 合箱
全体サイズ:縦1270*横555 画サイズ:縦345*横415
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柳下美人図 大林千萬樹筆 その6
絹本着色軸装 軸先木製朱塗 合箱
全体サイズ:縦1270*横555 画サイズ:縦345*横415
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幾山河 大林千萬樹筆 その7
絹本着色軸装 軸先木製蒔絵 共箱二重箱
全体サイズ:縦1300*横620 画サイズ:縦350*横425
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現在、大林千萬樹の作品は市場では数万円で入手できる画家の作品ですが、もっと評価され、長らく作品が保管されるように維持するファンが増えることを期待しています。
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この作品は書斎の脇床に飾って愉しんでいます。