さて、会社の方は昨日から夏季休暇に入りました。本日から私は郷里に帰省します。ブログのネタ(作品)もそろそろ尽きてきましたので、新しいネタでも探してきましょう。
本日は武器の代用品としても製作された作品です。
琉球南蛮焼花生 荒磯徳利(鬼の腕)
合箱
口径44*最大胴径80*底径60*高さ258
本作品は沖縄でウニヌーティー(鬼の腕)といわれている作品のようです。
琉球は、1609年に薩摩藩により占領された。薩摩藩の支配下にあった時に、反乱を起こさぬように武器となる刀を所持する事を禁じられていました。武器を持てなくなった琉球の人びとが慣れ親しんでいる泡盛の徳利を、 いざとなった時は底を割って武器として使ったと言われ、 その割れ口が「鬼の腕」に、鬼の腕の太さに似ているところからそう呼ばれています。
また、海上輸送の折に海賊に襲われたとき、こん棒や投げつける武器としても使われていたようです。
泡盛焼酎を入れる器だけでなく、武器としての用途もあり、かたく焼き締めて硬く、分厚くてずっしりと重いという特徴があります。
江戸時代に、琉球が薩摩藩から独立して、江戸に参勤交代するようになって、道中の街道や宿場で泡盛を入れた酒瓶(鬼の腕)を宣伝したのが、茶人の眼にとまって、姿形のよい花入れとして重宝するようになりました。当時は、鎖国時代で、外国(南蛮)との貿易は、長崎の出島以外は御法度があり、外国製品はたいへんな貴重品で、異国南蛮のやきものに対するエキゾチックなあこがれも強かったこともその要因と考えられます。
鬼の腕は、茶花一輪、枝もの、投げ入れが品よく収まり、花もちも最高と評されています。南蛮焼は総じてその窯変を愉しみ、その粗雑さ、歪さも興味が尽きない。水に濡らして愉しむのもまた一興です。
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南蛮焼
南蛮焼というのは、中国南部・ルソン・安南などから輸入された?器(せつき)のことで、紫黒色で無釉(むゆう)のものが多く、日本では茶入れ・茶壺・水指・建水などに用いられてきました。
各国産のものが混在しており、作風は一定していません。南蛮島物はほとんど呂宋(フィリピン)と阿嬬港(マカオ)との製品とすることがありますが、これらの地はただ陶磁の集散地であっただけで産地ではないようです。
中国明代の広東窯はフィリピン、ボルネオその他南洋諸島に大小各種の陶器を輸出したので、南蛮焼といわれるものの大部分は中国南方の生産と思われ、南蛮芋頭水指という伝世品に万暦(1573-1619)の年款のあるものがあります。そのほか安南(ヴェトナム)・迢羅(タイ)あたりの粗製品も混在しているようで、またインド文のあるものもあるのでインド産の一部も南蛮焼と呼ばれていたことがわかります。
南蛮焼と呼ばれるものを通観してみると、一定の作風がなくまた窯印もほとんどなく、多くは紫黒色の妬器質で、無釉の作品に頑健味があるようで、また施釉の作品もあります。『万宝全書』は「南蛮焼は下品なり日本の備前焼物を見るが如し」といいます。備前焼と南蛮焼は無釉の焼締という似たような器とみなされていたようです。
国内の南蛮写しは備前・伊賀・京都・信楽・常滑・瀬戸・丹波・萩・唐津・高取などにありますが、本作品は沖縄の南蛮手に分類されるかと思います。
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本日は武器の代用品としても製作された作品です。
琉球南蛮焼花生 荒磯徳利(鬼の腕)
合箱
口径44*最大胴径80*底径60*高さ258
本作品は沖縄でウニヌーティー(鬼の腕)といわれている作品のようです。
琉球は、1609年に薩摩藩により占領された。薩摩藩の支配下にあった時に、反乱を起こさぬように武器となる刀を所持する事を禁じられていました。武器を持てなくなった琉球の人びとが慣れ親しんでいる泡盛の徳利を、 いざとなった時は底を割って武器として使ったと言われ、 その割れ口が「鬼の腕」に、鬼の腕の太さに似ているところからそう呼ばれています。
また、海上輸送の折に海賊に襲われたとき、こん棒や投げつける武器としても使われていたようです。
泡盛焼酎を入れる器だけでなく、武器としての用途もあり、かたく焼き締めて硬く、分厚くてずっしりと重いという特徴があります。
江戸時代に、琉球が薩摩藩から独立して、江戸に参勤交代するようになって、道中の街道や宿場で泡盛を入れた酒瓶(鬼の腕)を宣伝したのが、茶人の眼にとまって、姿形のよい花入れとして重宝するようになりました。当時は、鎖国時代で、外国(南蛮)との貿易は、長崎の出島以外は御法度があり、外国製品はたいへんな貴重品で、異国南蛮のやきものに対するエキゾチックなあこがれも強かったこともその要因と考えられます。
鬼の腕は、茶花一輪、枝もの、投げ入れが品よく収まり、花もちも最高と評されています。南蛮焼は総じてその窯変を愉しみ、その粗雑さ、歪さも興味が尽きない。水に濡らして愉しむのもまた一興です。
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南蛮焼
南蛮焼というのは、中国南部・ルソン・安南などから輸入された?器(せつき)のことで、紫黒色で無釉(むゆう)のものが多く、日本では茶入れ・茶壺・水指・建水などに用いられてきました。
各国産のものが混在しており、作風は一定していません。南蛮島物はほとんど呂宋(フィリピン)と阿嬬港(マカオ)との製品とすることがありますが、これらの地はただ陶磁の集散地であっただけで産地ではないようです。
中国明代の広東窯はフィリピン、ボルネオその他南洋諸島に大小各種の陶器を輸出したので、南蛮焼といわれるものの大部分は中国南方の生産と思われ、南蛮芋頭水指という伝世品に万暦(1573-1619)の年款のあるものがあります。そのほか安南(ヴェトナム)・迢羅(タイ)あたりの粗製品も混在しているようで、またインド文のあるものもあるのでインド産の一部も南蛮焼と呼ばれていたことがわかります。
南蛮焼と呼ばれるものを通観してみると、一定の作風がなくまた窯印もほとんどなく、多くは紫黒色の妬器質で、無釉の作品に頑健味があるようで、また施釉の作品もあります。『万宝全書』は「南蛮焼は下品なり日本の備前焼物を見るが如し」といいます。備前焼と南蛮焼は無釉の焼締という似たような器とみなされていたようです。
国内の南蛮写しは備前・伊賀・京都・信楽・常滑・瀬戸・丹波・萩・唐津・高取などにありますが、本作品は沖縄の南蛮手に分類されるかと思います。
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