陶器でつくる手桶の器・・、自分で作ると解りますが意外に難しいものです。私も挑戦したのですがうまくいかず、結局陶芸の先生がほとんど手を貸してくれて作った苦い?思い出があります。その作品は「どこかに箱に入れてしまったはず・・」と思い起こさせてくれる作品です。
備前手持皿 隠崎隆一作
共箱
最大幅*高台径*胴径*高さ・・・未測定
作陶というものを経験したことのない人はとても損だと私は思います。
土を捏ね、「さてどういうものを作ろうか」と心が弾むのはとても楽しいことです。
電動ろくろで器用に作るのよりも手捏ねでつくる器が味があっていいものです。自分で作った皿やお茶碗を使うのは人間の原点のように思います。
今はなんでも買ってしまいますが、数十年前は椅子や机なども自分で作ったものです。どうやって作るのかとても楽しかったですね。造ることを愉しく思う気持ちを忘れた人(現場マン)にはモノを作る資格そのものがもはや無いといってもいいでしょう。
管理ばかりでなく、人にモノを作る愉しみを与えることが我々の使命のひとつでもあります。
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隠崎隆一:1950年 長崎県に生まれる。1973年 大阪芸術大学を卒業、1988年 田部美術館「茶の湯の造形展」大賞受賞。1995年第8回MOA岡田茂吉賞優秀賞受賞。1996年 日本陶磁協会賞受賞。2004年 「備前焼の魅力―伝統と創造―展」出品
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備前手持皿 隠崎隆一作
共箱
最大幅*高台径*胴径*高さ・・・未測定
作陶というものを経験したことのない人はとても損だと私は思います。
土を捏ね、「さてどういうものを作ろうか」と心が弾むのはとても楽しいことです。
電動ろくろで器用に作るのよりも手捏ねでつくる器が味があっていいものです。自分で作った皿やお茶碗を使うのは人間の原点のように思います。
今はなんでも買ってしまいますが、数十年前は椅子や机なども自分で作ったものです。どうやって作るのかとても楽しかったですね。造ることを愉しく思う気持ちを忘れた人(現場マン)にはモノを作る資格そのものがもはや無いといってもいいでしょう。
管理ばかりでなく、人にモノを作る愉しみを与えることが我々の使命のひとつでもあります。
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隠崎隆一:1950年 長崎県に生まれる。1973年 大阪芸術大学を卒業、1988年 田部美術館「茶の湯の造形展」大賞受賞。1995年第8回MOA岡田茂吉賞優秀賞受賞。1996年 日本陶磁協会賞受賞。2004年 「備前焼の魅力―伝統と創造―展」出品
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