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Channel: 夜噺骨董談義
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戊辰重陽浅絳山水図 釧雲泉筆 その37 *** 文化5年(1808年) その4

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痛んでいた掛軸を再表具するのは費用はかかりますが、見違えるようになるので楽しくもあります。


鐘馗図 法橋月岡雪斎筆絹本水墨軸装 軸先木製 合箱入 全体サイズ:横680*縦1860 画サイズ:横540*縦1290 
2023年6月改装1.折れの補修とマジック部分を除去して改装します。       25,000円2.上箱+多当紙新調                         5,000円


1万5千円で入手した作品を3万円かけて修復・・。
 
補修費用は安いほうなのでしょう。








さて本日紹介する作品です。真贋共々、多くの作品を紹介している釧雲泉とされている作品ですが、本日は文化5年に描かれたとされる「戊辰」の落款のある作品「その4」となります。


戊辰重陽浅絳山水図 釧雲泉筆 その37 *** 文化5年(1808年)その4水墨淡彩紙本軸装 軸先木製 誂箱全体サイズ:縦1963*横565 画サイズ:縦1275*横445
 

釧雲泉は、文化3年4月(1806年)46歳の頃、大窪詩仏とともに信越に赴いています。高崎から安中を抜け碓氷峠を越えて信濃入りし、信濃川を下って越後の柏崎に至っており、その途次各地で画の依頼を受けて制作をしています。


ここで大窪詩仏は引き返しえてますが、雲泉は旅を続け三条で秋を過ごします。

その後一旦、江戸に帰り、妻子を連れて越後三条に移住し、南画の普及に尽くすことになります。


この間越後の各地を遍歴し石川侃斎、上田坦山、倉石米山、倉石乾山、行田八海などの門弟を育てており、この作品が描かれたとされる文化5年(1808年)には燕の素封家の神保家に滞在し画作している記録があります。


戊辰四幅という四季山水図(春の題は不詳・夏山聴雨・秋渓覚句・寒江独釣)が描かれた頃の作で、構図が「秋渓覚句」と「寒江独釣」に似通っています。

落款には「戊辰秋九月重陽 後三日作雲泉就」とあり、文化5年(1808年)の作と推定されます。文化8年に釧雲泉は亡くなってしまいますので、亡くなる3年前の50歳頃の作でしょう。
 
軸先もないのでしみ抜きして改装しようと思っています。
 

本作品の落款は享和の頃からの文化時代のものと違和感もなく、印章もこの頃に押印されていたものと一致します。
  


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