先月末は蓼科へ・・、学生時代に冬を含めて登山したことのある八ヶ岳を眺めながらの紅葉見物とゴルフに興じてきました。
登山をしたことのある人なら山々の美しさをあらためて素晴らしいと思った経験は一度や二度ではないでしょう。紅葉のあでやかさ、新雪と紅葉のコントラストの美しさの極み、雪山の気高さ、新緑のさわやかさなど下界では味わえないものです。ゴルフ場の景色と比較するのもおこがましいくらいの感動なのです。だから山に登るのですが・・。一度は日本アルプスを縦走しておくことは人生で必要なことだと思っています。人間なんざとるにたらないものと思うことさえありますね。
本日は九州へ日帰りです。残りは四国、北海道、北陸、東京となりました。
さて本日の作品はその山岳を描いた作品です。
山岳残雪図 川村曼舟筆
絹本着色軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦1885*横462 画サイズ:縦1155*横328
山元春挙に師事した川村曼舟は自然の美しさを繊細で洗練された感覚で表現した画家と評されています。自然の一瞬の美しさを捉える感覚に秀でています。
さてどこの山を描いたのでしょうか? 残雪といえば黒部? 槍ヶ岳や穂高、白馬、立山、・・・・。季節は5月の末頃か??
学生時代には休みといえばアルバイトか登山しかしていませんでせいたが、そのせいで親には心配かけてしまいました。そのせいもありロッククライミングと冬山はほんの少しでやめました。今回の御嶽で犠牲になられた方々のことを思うと胸がはりさけそうですが、山の怖さを改めて痛感する次第です。
美しさを求めるリスクは常につきまとうもののようです。とくにロープウェイなどで気軽に行ける山ほど多くの人が登山可能なのでリスク回避や対策が必要と思われます。
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川村 曼舟:(かわむら まんしゅう)1880年7月9日 ~ 1942年11月7日)は、日本画家。京都生まれ。本名は万蔵。山元春挙に師事し、1902年新古美術品展で三等賞、1906年京都市立美術工芸学校助教諭、1910年教諭。1908年文展で三等賞、1916年「竹生島」で特選、翌年「日本三景」で特選、1922年京都市立絵画専門学校教授、1936年校長(兼美術工芸学校長)。春挙門下四天王の一人と言われ、春挙歿後は画塾早苗会の指導者となり、また京都絵専・京美工校長として美術教育にも携わる。山川の美しい自然を洗練された感覚で詩情豊かに描き続けた。帝展審査員・帝国美術院会員。昭和17年(1942)歿、63才。
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所蔵した方らしい南村田氏については詳細は不明です。表具を行ったと思われる京都の岡墨光堂が現存します。
登山をしたことのある人なら山々の美しさをあらためて素晴らしいと思った経験は一度や二度ではないでしょう。紅葉のあでやかさ、新雪と紅葉のコントラストの美しさの極み、雪山の気高さ、新緑のさわやかさなど下界では味わえないものです。ゴルフ場の景色と比較するのもおこがましいくらいの感動なのです。だから山に登るのですが・・。一度は日本アルプスを縦走しておくことは人生で必要なことだと思っています。人間なんざとるにたらないものと思うことさえありますね。
本日は九州へ日帰りです。残りは四国、北海道、北陸、東京となりました。
さて本日の作品はその山岳を描いた作品です。
山岳残雪図 川村曼舟筆
絹本着色軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦1885*横462 画サイズ:縦1155*横328
山元春挙に師事した川村曼舟は自然の美しさを繊細で洗練された感覚で表現した画家と評されています。自然の一瞬の美しさを捉える感覚に秀でています。
さてどこの山を描いたのでしょうか? 残雪といえば黒部? 槍ヶ岳や穂高、白馬、立山、・・・・。季節は5月の末頃か??
学生時代には休みといえばアルバイトか登山しかしていませんでせいたが、そのせいで親には心配かけてしまいました。そのせいもありロッククライミングと冬山はほんの少しでやめました。今回の御嶽で犠牲になられた方々のことを思うと胸がはりさけそうですが、山の怖さを改めて痛感する次第です。
美しさを求めるリスクは常につきまとうもののようです。とくにロープウェイなどで気軽に行ける山ほど多くの人が登山可能なのでリスク回避や対策が必要と思われます。
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川村 曼舟:(かわむら まんしゅう)1880年7月9日 ~ 1942年11月7日)は、日本画家。京都生まれ。本名は万蔵。山元春挙に師事し、1902年新古美術品展で三等賞、1906年京都市立美術工芸学校助教諭、1910年教諭。1908年文展で三等賞、1916年「竹生島」で特選、翌年「日本三景」で特選、1922年京都市立絵画専門学校教授、1936年校長(兼美術工芸学校長)。春挙門下四天王の一人と言われ、春挙歿後は画塾早苗会の指導者となり、また京都絵専・京美工校長として美術教育にも携わる。山川の美しい自然を洗練された感覚で詩情豊かに描き続けた。帝展審査員・帝国美術院会員。昭和17年(1942)歿、63才。
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所蔵した方らしい南村田氏については詳細は不明です。表具を行ったと思われる京都の岡墨光堂が現存します。