最近、原稿を整理、制作する時間がなく、本日はあんちょこなリメイク・・・。リメイクもしていないかな? リンク先も古くなっている・・・
昨夜は大宮へ・・ということで以前の投稿のほぼそのままです。読まれたことのある方はご容赦願います。
ところで本ブログに訪問者数をもとに順位がつくようですが、獣医の対象となっているブログ数がいくつあるかというとなんと208万件以上あるようです。2000位ということは0.2%以内ということか・・・、アクセス件数が多いのやら少ないのやらよくわかりませんが、マイナーな投稿対象としては多いほうかもしれません。もうすぐ訪問者数で40万人、閲覧者数ですでに200万を超えました。我ながらよく続いていると思っていますが、作品が追いついているのも そろそろリメイクした原稿でも投稿しないと続かないかもしれませんね。それともそろそろ投稿を打ち切るか・・・
以下は前回投稿したときのまま・・・、リンク先は古くてリンクしていないものもあります。
昨夜は元同僚と現在の同僚と大宮で賑やかに牛タン・・。久しぶりで愉しいひと時を過ごしました。飲みながらも仕事の話・・??、噺はあっちへこっちへ・・、基本的には人の噺を聞いていない・・、相変わらずのにぎやかさ。
昨日のなんでも鑑定団は締めは酒井抱一の作品・・、もう少し贋作でもましなものを出品してもらいたいのですが・・、当ブログでも酒井抱一とその関係のある印籠(原羊遊斎・・この作品はブログからは公表を控えています)、愛弟子というか鞄持ちの鈴木其一を取り上げましたが、こちらのほうがためになる・・。
橋本雅邦の真贋は非常に難しいと言ってもよいでしょう。箱書きがきちんとしていたり、画集などに掲載されていると判断しやすいのですが、そのほかは子息の秀邦、川合玉堂の鑑定などが頼りですが、それも偽者が多いのです。
鶺鴒図 伝橋本雅邦筆 その3(整理番号)
絹本水墨軸装 軸先鹿角 所蔵箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横325*縦1010
箱書きに「明治32年□月 天松庵蔵」とあることから、明治32年頃の作品ではないかと推察されます。
当方でもこれはそうしないという作品は以前に紹介した下記の作品です。
鶴 橋本雅邦筆
紙本水墨軸装 共箱 軸先蒔絵
全体サイズ:横377*1385 画サイズ:横276*縦606
山水画や吉祥図など明治画壇に与えた影響は狩野芳崖とともに非常に大きい画家です。
なかなかありそうで真作は市場には少ないのが橋本雅邦です。
岩などを墨で滲ませて表現するするあたりの技法の高さはさすがです。
真贋はほとんどが落款と印章でわかりますが、よく出来た贋作もありますので特に印章の大きさも比べる必要があります。
他の参考作品との比較検証
思文閣墨蹟資料目録「和の美」第458号 作品NO3「旅人観瀑図」 評価金閣 180万
橋本雅邦:天保6年(1835年)生まれ、明治41年(1908年)没。享年74歳。狩野派画家。狩野芳崖と供に近代日本画の育ての親といわれる。雅邦は江戸木挽町の狩野家内に生まれ、幼名千太郎、のちに長卿と改め、秋園と号す。幕末社会の不安と狩野家の没落と家庭的な困難とで辛酸をなめ、50歳ころになって画名をあらわした。詳細は高名画家ゆえ他の文献を参照としたい。
はてさて意味深な「伝」・・・・・ 本気になってリメイクする必要がありそうですね。
昨夜は大宮へ・・ということで以前の投稿のほぼそのままです。読まれたことのある方はご容赦願います。
ところで本ブログに訪問者数をもとに順位がつくようですが、獣医の対象となっているブログ数がいくつあるかというとなんと208万件以上あるようです。2000位ということは0.2%以内ということか・・・、アクセス件数が多いのやら少ないのやらよくわかりませんが、マイナーな投稿対象としては多いほうかもしれません。もうすぐ訪問者数で40万人、閲覧者数ですでに200万を超えました。我ながらよく続いていると思っていますが、作品が追いついているのも そろそろリメイクした原稿でも投稿しないと続かないかもしれませんね。それともそろそろ投稿を打ち切るか・・・
以下は前回投稿したときのまま・・・、リンク先は古くてリンクしていないものもあります。
昨夜は元同僚と現在の同僚と大宮で賑やかに牛タン・・。久しぶりで愉しいひと時を過ごしました。飲みながらも仕事の話・・??、噺はあっちへこっちへ・・、基本的には人の噺を聞いていない・・、相変わらずのにぎやかさ。
昨日のなんでも鑑定団は締めは酒井抱一の作品・・、もう少し贋作でもましなものを出品してもらいたいのですが・・、当ブログでも酒井抱一とその関係のある印籠(原羊遊斎・・この作品はブログからは公表を控えています)、愛弟子というか鞄持ちの鈴木其一を取り上げましたが、こちらのほうがためになる・・。
橋本雅邦の真贋は非常に難しいと言ってもよいでしょう。箱書きがきちんとしていたり、画集などに掲載されていると判断しやすいのですが、そのほかは子息の秀邦、川合玉堂の鑑定などが頼りですが、それも偽者が多いのです。
鶺鴒図 伝橋本雅邦筆 その3(整理番号)
絹本水墨軸装 軸先鹿角 所蔵箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横325*縦1010
箱書きに「明治32年□月 天松庵蔵」とあることから、明治32年頃の作品ではないかと推察されます。
当方でもこれはそうしないという作品は以前に紹介した下記の作品です。
鶴 橋本雅邦筆
紙本水墨軸装 共箱 軸先蒔絵
全体サイズ:横377*1385 画サイズ:横276*縦606
山水画や吉祥図など明治画壇に与えた影響は狩野芳崖とともに非常に大きい画家です。
なかなかありそうで真作は市場には少ないのが橋本雅邦です。
岩などを墨で滲ませて表現するするあたりの技法の高さはさすがです。
真贋はほとんどが落款と印章でわかりますが、よく出来た贋作もありますので特に印章の大きさも比べる必要があります。
他の参考作品との比較検証
思文閣墨蹟資料目録「和の美」第458号 作品NO3「旅人観瀑図」 評価金閣 180万
橋本雅邦:天保6年(1835年)生まれ、明治41年(1908年)没。享年74歳。狩野派画家。狩野芳崖と供に近代日本画の育ての親といわれる。雅邦は江戸木挽町の狩野家内に生まれ、幼名千太郎、のちに長卿と改め、秋園と号す。幕末社会の不安と狩野家の没落と家庭的な困難とで辛酸をなめ、50歳ころになって画名をあらわした。詳細は高名画家ゆえ他の文献を参照としたい。
はてさて意味深な「伝」・・・・・ 本気になってリメイクする必要がありそうですね。