色紙はいろんな額に入れた飾れます。下記の作品は黒柿でできています。紐は新調しています。
![]()
発荷峠展望 福田豊四郎筆 色紙 その193紙本水墨色紙 3号 作品サイズ:縦270*横240
![]()
十和田湖を訪れるルートは幾つかありますが、当方の郷里からは小坂町を通って発荷峠から行くのが通常のルートです。
![]()
本作品には印章はなく、誰かの依頼かスケッチ程度の描いた作品と推定され、その落款の書体から昭和30年以降と思われます。
![]()
福田豊四郎の晩年の十和田湖来訪礫歴としては1964年に6月に恩師川端龍子・紀美子夫妻を案内し、小坂の実家、男鹿、田沢湖、角館、蔵王、裏磐梯をドライブしていますが、落款からその頃の作と推定されます。その年の11月に上野の松坂屋にて「十和田湖十二景」を開催しています。
![]()
戦後にはそのほかに1952年8月、1959年夏、1961年夏に十和田湖を訪れていますが、明確に発荷峠から訪れたされるのは川端龍子夫妻と同行した時です。
![]()
その時の写真が遺っており、実に楽しそうに語らいでいます。この後に福田豊四郎は1970年(昭和45年 享年65歳)に肝硬変にて亡くなり、川端龍子は一足早く1966年(昭和41年 享年80歳)に亡くなっていますので、この写真は川端龍子が亡くなる2年前の写真です。
![]()
このような経緯を知っていたので、ネットオークションで入札のなかった作品でしたが落札(数千円)しましたが果たしてその時のスケッチかどうかは確証はありません。
次は福田豊四郎の年賀状の作品です。祖父母から父や母まで家族で付き合いのあった福田豊四郎の年賀状は数点当方でも所蔵していますが、本作品はネットオークションで入手した作品です。
![]()
賀春(おばこ) 福田豊四郎筆 年賀状 その195紙本着色色紙 年賀状 作品サイズ:縦130*横80
![]()
福田豊四郎が秋田の美人「おばこ」を描いた作品では「秋田のマリア」という作品が有名ですね。1948年(昭和23年)山本丘人、上村松篁、吉岡堅二ら13名と「世界性に立脚する日本絵画の創造」をスローガンに「創造美術協会」を結成し、創造美術第1回展に出品した作品が「秋田のマリヤ」(1948年 昭和23年)です。
![]()
土間の片隅で仕事の手を休め、乳を与える母親を描いています。戦後の混乱の中から創造美術という新団体を結成するにあたって、日本のイコンとして描かれた本作品は、日本画の新生を期した豊四郎の戦後の代表作とされます。
![]()
この年賀状は「秋田のマリア」を発表後の翌年に描かれている点で非常に興味深い作品となります。
次は晩年に描いた色紙の作品です。この額は樺細工ですが、現在は市販されていませんし、紐は新調しています。
![]()
菊 福田豊四郎筆 色紙 その194紙本着色色紙 3号 作品サイズ:縦270*横240染み抜き後色紙貼替 ¥10,000
![]()
シミが酷いのでネットオークションで入札がなかった作品です。
![]()
このようなシミは染み抜きできれいになります。費用はおおよそ1万円くらいでしょうか?
![]()
書き込みの良い作品なので4000円ほどにて落札しました。染み抜きの費用とあわせるとお買い得かどうかはまようところでしょうか?
![]()
ついでにもう1点染み抜きを必要とする作品の紹介です。こちらは竹細工の額です。大きさの調整が効くの部便利な額ですね。
![]()
雀図 平福百穂筆 その153絹本水墨淡彩 色紙 タトウ入 昭和35年2月舟山三郎鑑定書在中 画サイズ:縦270*横240染み抜き処置必要
![]()
![]()
![]()
落款と印章から晩年の昭和期の作品と推定しています。
![]()
舟山三朗氏の鑑定書が添付されています。
![]()
最後は郷里の骨董店にて頂いてきた作品です。
鳥海山 舘岡栗山筆 その15紙本着色色紙画サイズ横240*縦270
![]()
「鳥海山(2236m、山形・秋田)」は秀麗な姿から「出羽富士」とも呼ばれており、平福百穂と深い親交のあった歌人・斎藤茂吉は「さやけき」とたたえています。
![]()
短期間に廉価で集めた色紙類。ちょっと本気になるとあっという間に増えてきますね。
![]()
収納用の箱もどんどん「その2」、「その3」と増えてきています。
![]()
色紙大の作品はまだまだ未整理なものがあります。
![]()
男の隠れ家では随時、飾る作品を変えいます。
![]()
まだまだあるが、なかなか帰郷できないので退職後にのんびりとするしかない・・・。
![]()
色紙の作品の福田豊四郎の保存箱は「その3」となりました。
![]()
色紙は飾りぱなっしはよくありませんが、飾らない時は色紙タトウに整理しておくのがよいでしょう。個々の額を誂えるとたいへんな数になりますね。

発荷峠展望 福田豊四郎筆 色紙 その193紙本水墨色紙 3号 作品サイズ:縦270*横240

十和田湖を訪れるルートは幾つかありますが、当方の郷里からは小坂町を通って発荷峠から行くのが通常のルートです。

本作品には印章はなく、誰かの依頼かスケッチ程度の描いた作品と推定され、その落款の書体から昭和30年以降と思われます。

福田豊四郎の晩年の十和田湖来訪礫歴としては1964年に6月に恩師川端龍子・紀美子夫妻を案内し、小坂の実家、男鹿、田沢湖、角館、蔵王、裏磐梯をドライブしていますが、落款からその頃の作と推定されます。その年の11月に上野の松坂屋にて「十和田湖十二景」を開催しています。

戦後にはそのほかに1952年8月、1959年夏、1961年夏に十和田湖を訪れていますが、明確に発荷峠から訪れたされるのは川端龍子夫妻と同行した時です。

その時の写真が遺っており、実に楽しそうに語らいでいます。この後に福田豊四郎は1970年(昭和45年 享年65歳)に肝硬変にて亡くなり、川端龍子は一足早く1966年(昭和41年 享年80歳)に亡くなっていますので、この写真は川端龍子が亡くなる2年前の写真です。

このような経緯を知っていたので、ネットオークションで入札のなかった作品でしたが落札(数千円)しましたが果たしてその時のスケッチかどうかは確証はありません。
次は福田豊四郎の年賀状の作品です。祖父母から父や母まで家族で付き合いのあった福田豊四郎の年賀状は数点当方でも所蔵していますが、本作品はネットオークションで入手した作品です。

賀春(おばこ) 福田豊四郎筆 年賀状 その195紙本着色色紙 年賀状 作品サイズ:縦130*横80

福田豊四郎が秋田の美人「おばこ」を描いた作品では「秋田のマリア」という作品が有名ですね。1948年(昭和23年)山本丘人、上村松篁、吉岡堅二ら13名と「世界性に立脚する日本絵画の創造」をスローガンに「創造美術協会」を結成し、創造美術第1回展に出品した作品が「秋田のマリヤ」(1948年 昭和23年)です。

土間の片隅で仕事の手を休め、乳を与える母親を描いています。戦後の混乱の中から創造美術という新団体を結成するにあたって、日本のイコンとして描かれた本作品は、日本画の新生を期した豊四郎の戦後の代表作とされます。

この年賀状は「秋田のマリア」を発表後の翌年に描かれている点で非常に興味深い作品となります。
次は晩年に描いた色紙の作品です。この額は樺細工ですが、現在は市販されていませんし、紐は新調しています。

菊 福田豊四郎筆 色紙 その194紙本着色色紙 3号 作品サイズ:縦270*横240染み抜き後色紙貼替 ¥10,000

シミが酷いのでネットオークションで入札がなかった作品です。

このようなシミは染み抜きできれいになります。費用はおおよそ1万円くらいでしょうか?

書き込みの良い作品なので4000円ほどにて落札しました。染み抜きの費用とあわせるとお買い得かどうかはまようところでしょうか?

ついでにもう1点染み抜きを必要とする作品の紹介です。こちらは竹細工の額です。大きさの調整が効くの部便利な額ですね。

雀図 平福百穂筆 その153絹本水墨淡彩 色紙 タトウ入 昭和35年2月舟山三郎鑑定書在中 画サイズ:縦270*横240染み抜き処置必要



落款と印章から晩年の昭和期の作品と推定しています。

舟山三朗氏の鑑定書が添付されています。

最後は郷里の骨董店にて頂いてきた作品です。
鳥海山 舘岡栗山筆 その15紙本着色色紙画サイズ横240*縦270

「鳥海山(2236m、山形・秋田)」は秀麗な姿から「出羽富士」とも呼ばれており、平福百穂と深い親交のあった歌人・斎藤茂吉は「さやけき」とたたえています。

短期間に廉価で集めた色紙類。ちょっと本気になるとあっという間に増えてきますね。

収納用の箱もどんどん「その2」、「その3」と増えてきています。

色紙大の作品はまだまだ未整理なものがあります。

男の隠れ家では随時、飾る作品を変えいます。

まだまだあるが、なかなか帰郷できないので退職後にのんびりとするしかない・・・。

色紙の作品の福田豊四郎の保存箱は「その3」となりました。

色紙は飾りぱなっしはよくありませんが、飾らない時は色紙タトウに整理しておくのがよいでしょう。個々の額を誂えるとたいへんな数になりますね。