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氏素性のわからぬ作品 色鍋島 陽刻大根図変形皿

ちょっと面白そうな陶磁器の作品を見ると手を出してしまうのが当方の悪い癖・・・。
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本日は大根の図柄の陽刻の磁器の作品の紹介です。入手時は伊万里、平戸、そてとも・・・という程度の知識での入手でした。
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有田の伊万里や平戸、鍋島などの面白い手頃な作品(お値段と大きさ)は飾るだけではなく、使ってみたくなる面白さがあります。
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氏素性のわからぬ作品 色鍋島 陽刻大根図変形皿誂箱最大幅165*最大奥行115*高台径*高さ32
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大根を題材にした伊万里系統の作品は多々ありますが、繊細な陽刻と錆釉が面白い・・。
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いつ頃の作品かはまったく不明で、最近作られたものかもしれません。
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陽刻は型で作られたようですが、繊細な線は一品ずつかもしれません。おそらく布を柔らかい状態で胎土に押し付けたのな?
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変形した形も面白い。
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この形や錆釉の部分はなにを表しているのでしょう?
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筋文様と錆釉が効いていて、面白さが増していますね。
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同型の作品をいくら探してもない・・・??? と思って検索してみたら下記の資料を見つけました。
参考資料:「改訂版 初期鍋島」(関和男・編、創樹社美術出版)掲載作品           Image may be NSFW.
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捜してみると見つかるものですね。ただし掲載作品 「花文色錦色絵小皿」と本作品の比較では微妙に図柄が違いますので、後世の模倣作品かもしれません。
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古伊万里か平戸焼かと思っていたら、どうも鍋島系統の作品らしい。それなら最近作られたような感じも理解できますね。
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ただし貴重な初期鍋島なのか、写しなのかははっきり分かりませんが、現代でも作るのにはだいぶ手間と技術がいるでしょうね。
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鍋島焼をちょっと復習してみましょう。
鍋島焼:藩窯製品としての「鍋島焼」が作り始められた正確な時期や事情については、藩の公式の記録が残っておらず、判然としないようです。伝承によれば鍋島焼は1628年(寛永5年)、有田の岩谷川内(いわやがわち)で創始されたとされ、1661年頃(寛文初年)、有田の南川原(なんがわら)に窯を移し、さらに1675年(延宝3年)、有田と伊万里の中間の山中にある大川内山(おおかちやま)に移ったとされます。
大正時代、東京日々新聞の記者であった大宅経三は佐賀藩の御道具山役(藩窯の主任)の地位にあった副田(そえだ)家の過去帳を調べ、その調査結果を著書『肥前陶窯の新研究』(1921年)に発表しており、同書によれば、鍋島焼は素性不明の浪人・高原五郎七(五郎八とも)が有田の岩谷川内(いわやがわち)で青磁を焼造し、佐賀藩の御用を務めたのが起源であるようです。この五郎七は、秀吉の家来とも朝鮮から渡来の工人ともいわれる半ば伝説上の人物で、藩のキリシタン取締りを避けて出奔してしまったと伝えられています。その後、1628年(寛永5年)、五郎七の教えを受けた副田喜左衛門日清という人物が御道具山役となり、手明鑓(てあきやり)という武士待遇の身分で佐賀藩に仕えたとされます。
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2010年にサントリー美術館で開催された展覧会「誇り高きデザイン 鍋島」の図録には、「岩谷川内の鍋島藩窯の創始を1640年代末頃とし、寛文年間(1660年代)に大川内山に移転した。」と記されています。
同図録の説では藩窯自体は岩谷川内から南川原を経ずに直接大川内山へ移ったとし、南川原では一部の製品が作られていましたが、後に藩窯に合流したものとみなしています。
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藩窯が岩谷川内にあった時代の製品としては、木瓜形(もっこうがた)、葉形、州浜形などの小型の色絵皿が残っていますが、今日「鍋島」と称されている独特の様式をもった磁器はおおむね大川内山窯の製品と見なされています。
1952年(昭和27年)以降行われた大川内山窯跡の発掘調査の結果、出土した磁器片と伝世品の磁器とは一致するものが多く、鍋島の産地が大川内山であったことは学問的にも確認されています。ただし、鍋島には製作年を明記した作品が少なく(江戸時代末期には若干の製作年銘入り製品がある)、同じ文様を長期間使うことが多く、年代による作風の変化を追うことは困難なようです。
*陶磁研究家の矢部良明は大川内山の製品を初期(1680年代)、盛期(1690年代から1750年頃まで)、後期(1750年頃から廃藩置県の1871年まで)の3期に区分しています。
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文様は更紗文、雪輪文のような幾何学的なもの、植物、野菜、器物などを図案化して描いたもの、風景などを描いた絵画的なものなど多岐にわたりますが、いずれも純和風のデザインであることが特色で、この点は中国・景徳鎮窯を範とした伊万里焼と区別されるところです。
大根、人参、茄子のような、寓意的・象徴的意味を持たない卑俗な題材も大胆に図案化しています。
高台内には銘、界線などを入れず、目跡なども残さず、白一色に仕上げるのが通例です。
*錆釉 - 酸化第一鉄を呈色剤として酸化炎焼成することによって茶系色に発色するもので、鍋島焼の特徴のひとつです。
以上が基本的な鍋島焼の事項ですが、むろん有名な尺皿らの作品にはもっと定義的なものがありますね。
なお大根をモチーフにした磁器には下記の作品らがあります。
下記の写真は古伊万里かな?
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こちらは鍋島の青磁・・。
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さて当方にて最近入手した氏素性の解らぬ面白そうな作品ら・・・。
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天啓赤絵(五彩手)?、南京赤絵写(古伊万里)、古九谷五彩などの食器らと共に彩を添える本日紹介した作品・・・・。これらの区別は素人では難しいでしょうね。
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余っていた空箱が偶然あったので保管箱に・・・。「おっと、古伊万里」は訂正の必要がありますね。真贋や氏素性などを含めて後日にいろんなことが解ってくるのは、未熟な当方には多々あることですが、それを記録に遺すのもまたひと苦労・・・。


































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