陶磁器というのはお互いの関連しあって発展してきているので、生産地が特定できる器は意外に限られており、どこが生産地かは真贋以外にも判断に迷うことがあります。その中で当方が蒐集外の分野で悩むのが「五彩手」と呼ばれ磁器の作品群です。
氏素性の解らぬ作品(模倣作品) 伝南京赤絵手 石榴文四寸角皿 五客揃合箱幅140*奥行140*高台角*高さ35
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南京赤絵、南京赤絵から発展した中国の五彩手、そして古九谷や古伊万里と発展してきた五彩の作品群ですが、当然その後に模倣された作品が出ているので、ますます分かりにくいものですね。特に古九谷や古伊万里は中国に倣った図柄を描くので混乱します。
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高台は砂付高台ですので、まず伊万里系統ではないと思います。
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虫喰いの跡は多少見られますので、清朝期の南京赤絵かその後の五彩への移行期かと・・。
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古九谷も意外に雑な絵柄のものがありますので、範疇から削除できませんが、古九谷系統の色釉薬は虹彩の兆候があるはずですが、この作品にはありません。
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南京赤絵は口縁の錆釉薬が特徴ですが、すべてにあるものではなく、虫喰いの少なくなる清朝期の作ではない作品が多くあります。
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無難なのは後世の模倣のでしょうが、そうとは思えない感があります。
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これはもはや理屈ではないところ・・・。ただ最終的には第六感で模倣した贋作ではないかというのが結論です。どうも絵に洒脱さがない。
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いずれサイズ的にもそれほど高価なものではなく、南京赤絵だとしてもこのサイズは数多くあります。飾るよりも実際に使う方がいい使い勝手の良い作品でしょう。
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さて古九谷と思われる作品には本ブログで下記の作品を紹介しています。
九谷五彩手 明末五彩倣草花文四寸角皿 五客揃徳田八十八吉識箱幅132*奥行132*高さ34
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九谷五彩:緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して、絵付けされたスタイルです。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれます。器の中央に、作品のモチーフを絵画的・写実的に描くことも、色絵の特徴です。作品の見どころは、屏風や掛軸から器へ抜け出してきたかのような絵画を描いた、熟練された絵付けの筆づかいです。
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特に色絵の古九谷は、中国の明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデルになっているとも言われ、大皿 (大平鉢) から小皿 (端皿) に至るまで、中国風の人物・動物・山水 (風景) を見事に描写した名品が数多く残されています。
清朝期の南京赤絵から五彩手の移行期と思われる作品には下記の作品を紹介しています。
南京赤絵手 鳥草花文角皿 合箱幅136*奥行136*高台角*高さ32
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南京赤絵:今から350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅したが、民窯はしたたかに生き残りむしろ自由闊達な赤絵を作りはじめた。これを南京赤絵という。
南京赤絵の特徴南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びていているが、これは色彩を一層際立たせる効果があります。絵付けには天啓赤絵と違い基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色され、その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放です。その後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な五彩と称される作風へ変化しました。当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多いが、日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。器の縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してあるものが多い。これらは南京赤絵の独特の手法だがないものも多くあります。高台内は車輪高台で、砂付高台だが、これも例外はあります評価は寸法によって大いに違い、辺20センチ程度の大きめの作品はかなり高価だが、辺12センチの同じような皿だと数が多く評価が下がる。*さて本作品の図柄はあきらかに下記の参考作品の縮小版、もしくは図柄を模倣したもの・・。
参考作品 なんでも鑑定団出品作南京赤絵花紋角皿 200角 評価金額500万
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評:鑑定額500万円。今から350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多い。ところが日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっているという。縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してある。これは南京赤絵の手法。寸法は1辺20センチでこれが1辺12センチの同じような皿だとわずかに30万円になる。
透明の釉薬を上掛けして、その上に赤絵で柘榴を書いている。柘榴は種がたくさん採れるので子孫繁栄の印。青、黄色、緑の澄み切った良い釉薬で葉や岩を描いている。上には赤絵で太陽を描いて、空中に昆虫が飛んで、足元には寿の石と言われる太湖石を配している。回りを華唐草文様で囲って、その外を鉄絵で口紅でとめてある。これが額縁効果を表して、このまま壁にかけても絵画として鑑賞できるようになっている。
近代の模倣された作品も多い。伊万里、京焼、中国などで数多くの模倣された作品が出回っているのでしょう。下記の写真の作品もまたそのひとつ。
倣南京赤絵手 花鳥文角皿 誂箱幅181*奥行178*高さ38
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この作品は模倣作品であり、やはりまったく面白みに欠けるものです。違いは微妙なのですが、これは写真では分かりにくいものですね。
氏素性の解らぬ作品(模倣作品) 伝南京赤絵手 石榴文四寸角皿 五客揃合箱幅140*奥行140*高台角*高さ35

南京赤絵、南京赤絵から発展した中国の五彩手、そして古九谷や古伊万里と発展してきた五彩の作品群ですが、当然その後に模倣された作品が出ているので、ますます分かりにくいものですね。特に古九谷や古伊万里は中国に倣った図柄を描くので混乱します。

高台は砂付高台ですので、まず伊万里系統ではないと思います。

虫喰いの跡は多少見られますので、清朝期の南京赤絵かその後の五彩への移行期かと・・。

古九谷も意外に雑な絵柄のものがありますので、範疇から削除できませんが、古九谷系統の色釉薬は虹彩の兆候があるはずですが、この作品にはありません。

南京赤絵は口縁の錆釉薬が特徴ですが、すべてにあるものではなく、虫喰いの少なくなる清朝期の作ではない作品が多くあります。

無難なのは後世の模倣のでしょうが、そうとは思えない感があります。

これはもはや理屈ではないところ・・・。ただ最終的には第六感で模倣した贋作ではないかというのが結論です。どうも絵に洒脱さがない。

いずれサイズ的にもそれほど高価なものではなく、南京赤絵だとしてもこのサイズは数多くあります。飾るよりも実際に使う方がいい使い勝手の良い作品でしょう。

さて古九谷と思われる作品には本ブログで下記の作品を紹介しています。
九谷五彩手 明末五彩倣草花文四寸角皿 五客揃徳田八十八吉識箱幅132*奥行132*高さ34

九谷五彩:緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して、絵付けされたスタイルです。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれます。器の中央に、作品のモチーフを絵画的・写実的に描くことも、色絵の特徴です。作品の見どころは、屏風や掛軸から器へ抜け出してきたかのような絵画を描いた、熟練された絵付けの筆づかいです。

特に色絵の古九谷は、中国の明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデルになっているとも言われ、大皿 (大平鉢) から小皿 (端皿) に至るまで、中国風の人物・動物・山水 (風景) を見事に描写した名品が数多く残されています。
清朝期の南京赤絵から五彩手の移行期と思われる作品には下記の作品を紹介しています。
南京赤絵手 鳥草花文角皿 合箱幅136*奥行136*高台角*高さ32

南京赤絵:今から350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅したが、民窯はしたたかに生き残りむしろ自由闊達な赤絵を作りはじめた。これを南京赤絵という。
南京赤絵の特徴南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びていているが、これは色彩を一層際立たせる効果があります。絵付けには天啓赤絵と違い基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色され、その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放です。その後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な五彩と称される作風へ変化しました。当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多いが、日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。器の縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してあるものが多い。これらは南京赤絵の独特の手法だがないものも多くあります。高台内は車輪高台で、砂付高台だが、これも例外はあります評価は寸法によって大いに違い、辺20センチ程度の大きめの作品はかなり高価だが、辺12センチの同じような皿だと数が多く評価が下がる。*さて本作品の図柄はあきらかに下記の参考作品の縮小版、もしくは図柄を模倣したもの・・。
参考作品 なんでも鑑定団出品作南京赤絵花紋角皿 200角 評価金額500万

評:鑑定額500万円。今から350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多い。ところが日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっているという。縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してある。これは南京赤絵の手法。寸法は1辺20センチでこれが1辺12センチの同じような皿だとわずかに30万円になる。
透明の釉薬を上掛けして、その上に赤絵で柘榴を書いている。柘榴は種がたくさん採れるので子孫繁栄の印。青、黄色、緑の澄み切った良い釉薬で葉や岩を描いている。上には赤絵で太陽を描いて、空中に昆虫が飛んで、足元には寿の石と言われる太湖石を配している。回りを華唐草文様で囲って、その外を鉄絵で口紅でとめてある。これが額縁効果を表して、このまま壁にかけても絵画として鑑賞できるようになっている。
近代の模倣された作品も多い。伊万里、京焼、中国などで数多くの模倣された作品が出回っているのでしょう。下記の写真の作品もまたそのひとつ。
倣南京赤絵手 花鳥文角皿 誂箱幅181*奥行178*高さ38

この作品は模倣作品であり、やはりまったく面白みに欠けるものです。違いは微妙なのですが、これは写真では分かりにくいものですね。